第6話盗掘者

 祭壇の脇、ひっそりと隠された戸の奥へと進むエリクィン神父の背中よりも、シンジ・カルヴァトスはその存在そのものに驚いていた。


「司教用の通路ですよ」

 通い慣れた様子のエリクィン神父は、シンジを振り返ったまま戸の奥に進んでいく。「奥に居住スペースがありましてね、儀式にはこちらを通って登壇することになります」

「なるほど。出口が隠れているのは、集まった信徒の眼前にいきなり登場して動揺させつつ、衣装の神秘的な衝撃インパクトを直前まで維持できるわけですね」

「同時に、司教の側にも暗示を掛ける効果があります。この通路、狭く暗いでしょう? ここを一人、重苦しくて滅多に着ない祭服を着て歩くわけです――その後で話す教義の内容をブツブツと、反芻しながら。そうして徐々に徐々に、自分自身の奥へと信仰が染み込んでいくのです、深く、深く」


 通過儀礼リインカーネーションかと、シンジは理解した。

 魔術師の基礎でもある。自己暗示、『己ならば神秘を為し得る』と、自分自身に言い聞かせる技術。小綺麗な二枚舌だ。


 宗教の根本は『納得』だ――背負ってきた苦行、出会ってきた不運、艱難辛苦の悉くに意味があったのだと誰より、自分自身を納得させる技術。

 神の実感は手っ取り早い手段だ、だが、実感側が先ず確信しなくては誰も『納得』させられはしまい。そのためには自分の内に、神を感じなくてはならない。


「教会の全てには意味があります」


 エリクィン神父はこちらを見たまま暗い通路を進んでいく。

 その足取りに迷いは無く、背中にも目が付いているようだった。何度か通ったことがあるのだろうか、そう言えばこの通路は先の聖堂と違って埃っぽくない。


「最近のは使いやすさを重視していますが、ここのように古いものは儀礼的な意味合いを重要視しています。教会を訪れ、祈りを捧げ、司教に祝福を授けられる。この一連の流れで皆、己の信仰心を高めるのです――壁画やステンドグラス、香炉などはそれを手助けするように配置しております」

「魔方陣や香木と同じですね、魔術師にとっての詠唱補助だ」


 シンジは同意する。勿論、教会にとって嬉しい共感では無いだろうが。

 しかし残念ながら、環境を整えて精神に好影響を与えるという点では両者も同じだ。結果として宗教は内側に向くし、魔術は外へとその影響を発信するだけ。


 エリクィン神父は苦笑しながら、薄暗い廊下を進んでいく。


「詰まりこの先は、司教の自室というわけですね?」

 外観や内装を思うに、部屋の主人が生活しているとは思えないが。「僕を会わせたい相手というのは、その司教なのですか?」

「いいえ。この教会を任されていた司教は御高齢のため隠居なされ、後任を手配するかそれとも解体するか、意見が分かれていたところですが――そのことを知らなかったようです」

「なるほど」


 その、化石を見付けた誰かさんは教会にそれを持ち込んだ――既に放棄されているとも知らず、或いは誰かと待ち合わせのために。

 そして同時に理解できるのは、エリクィン神父はまたしても、情報を小出しにするつもりらしいということだった。盗掘者の正体をわざわざ『彼』と表現するのは、そういうことだろう。


 まあ、とシンジは腹を括る。

 『舐めたなら飲み干せ』だ、ここまで来ればあとは何処で説明されようが同じこと。二人はもう黙ったまま、通路の先へと進んでいき、そして。


「………………」


 









 司教の自室は思ったよりも質素だった。

 使い込まれたデスクに聖典が詰まった本棚、タンス、それとベッドが一つあるきり。住む者の気質を示すように本棚もシーツもキッチリ揃っていて、デスクの上の時代がかった羽ペンもインク壺も、使いやすいよう丁寧に並べられている。


 高齢だったという司教の生真面目さが滲み出るような部屋だが、それらを覆い尽くすように分厚い埃が積もっているのが、何故だか少し物悲しい。趣味の良い筆記用具も、今では過去に呑み込まれている。

 もはや過去しかない部屋。その中央で、死体は寝そべっていた。


「牙の化石は彼の持ち物から見付かりました」

?」

 シンジはその、そいつそのものが遺物のような有様の死体を観察する。「衣類の類いを身に付けているようには見えないが、回収したということですか?」

「いいえ。彼の唯一の持ち物はだけです」

「……なるほど」


 良く見ると、腹部に切り傷が見える。一度切って縫合し、もう一度切り開いた痕だ――恐らくエリクィン神父らが発見し、不自然に気付いて回収したのだろう。

 そう聞いてから改めて見ると、死体は胎児のように身体を丸めている。腹部を庇うようなその姿勢は、化石を守ろうとしていたのだろうか。


「お気付きとは思いますが」

 死体を観察するシンジに、エリクィン神父が言う。「死体の外傷は一点のみです」

「……首筋の刺し傷ですね」

 少々憮然としながら、シンジは頷いた。「噛み傷のようだ」

噛み傷でしょう」

 神父は嬉しそうだ。「獣に噛まれた傷を見たことがあります、それにそっくりだ」

「それで、僕に何をしろと?」


 自分の声に籠もった苛立ちに、シンジはしかし悪いとは思えなかった。いきなり死体とご対面させられて感想を求められても、結局、そのくらいしか湧いては来ないだろう。

 エリクィン神父も知っているようだが、シンジは別に死体を見て特別動揺したり、怯えたりすることはない。ないが、しかし、普通に嫌悪感はある。死体を見た経験があるだけで、死体を見ることに慣れているわけではないのだ。死体を主な素材とする黒魔術師だって、趣味としているわけではない。


 魔術師として何か意見を求められているのだろうと思っていたが、死体を鼻歌交じりに観察して喜ぶと思われても、困る。


 エリクィン神父は慌てずに、優しく微笑んだ。


「彼の来歴を調べたいのですよ。彼は化石を持っていましたが、それを掘り出したのかそれとも、掘り出した誰かからこれを受け取ったのかが判らないのです」

「それは調査どころか捜査の範疇でしょう、確か、現代の異端審問官殿が負っている役割だ」

「手掛かりがないのです、お恥ずかしい話ですが。彼は着衣も持ち物も一切が剥ぎ取られていて、挙げ句外見はこの有様。調査は暗礁どころか、出航さえままならないのです」

「それで、僕に何をしろというのです」

 シンジは深々と、溜息を吐いた。「貴方たちは専門家プロフェッショナルだ、僕のごとき素人が何を手伝えると?」

「先ほども申しましたが、彼が何者かを調べたいのです」


 どうやって。

 尋ねようとしてふと、シンジはエリクィン神父の目を見た。黒い、夏の夜空のように澄み切った瞳を。そこに浮かぶ確信を。


 まさか、とシンジは漸く、己の不用心を悟った。異端審問官に呼び出されて教会に行くという、この状況そのものがあまりにも異常すぎて迂闊にも、最も警戒するべき場所へと彼が踏み込んでいることに気付けなかった。

 あぁ彼は――。シンジ・カルヴァトスの秘密を。


 エリクィン神父は聖人のように奇妙な確信を携えて、微笑みながら厳かに言った。


「貴方には、『手段』があるはずです。カルヴァトス教授、どうかそれを、神のために使って頂けませんか?」

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