第2話魔術師への来客

「失礼、カルヴァトス教授ですね?」


 講演を終えて。

 魔術師の卵たち、その保護者たちの相手を程々にこなして控え室のドアを開けたシンジ・カルヴァトスを出迎えたのは、聞き覚えの無い声だった。


 奇妙な抑揚の声でもあった――少なくとも学生たちではないし、調子はどうだ等という答えの無い問い掛けをしてくる同僚とも違っている。

 少年のような、惚れ惚れする高音トレブル

 しかしそこに立っていたのは思ったよりも歳を経た、青年と、そう呼ぶ方が正しいような男だった。三つ揃いのスーツ、血の気の失せた青白い顔、新品の筆のような白髪。

 色素を何処かに置き忘れてきたらしい青年は、まるでそういう機構の人形のように深々と一礼した。


「勝手に失礼して申し訳ありません。講義の終わる時間に来れば会えるだろうと思っていたのですが」


 青年の言葉でようやく、その動作がお辞儀だったのだとシンジは理解した。

 誠意というモノを丸っきり感じない一礼だった。そういう作法だからそうしているだけという、無感情な物腰だがしかし、無礼では無い。


「それは失礼、質疑応答が盛り上がってしまいまして。積極的な後継というものは全く、得難いながら時には面倒ですね」

「なるほど」

「…………」


 なるほどって。

 光の加減だろうか赤みを帯びた瞳からは、感情のかの字も認められない――体温のような温かみどころか、こちらを理解しようという努力の欠片さえ感じられないのである。

 建設的な会話は難しいようだ。シンジはため息交じりに、眼鏡の位置を直した。


「何かご用ですか、失礼ですがその……学術的な質問をお持ちの方とは思えないのですが」

「私は伝言役メッセンジャーです」

 青年は淡々と答えた。「『学術的な質問をお持ちの方』から、貴方を連れてくるよう命じられたのです」

「なるほど」


 相手の言葉に対してでは無い納得を、シンジは得た。

 興味のない内容に対して、人の返事は『なるほど』しか無くなるようだ。


「一緒に来ていただきますね、教授」

「悪いんですが」

 ちっとも悪いと思わずに、シンジは首を振ることが出来た。「この後市長と、会食の予定がありましてね。政治は苦手ですが、後進のためにはこうした地盤固めが大切ですから」


 なるほど、と青年は繰り返した。

 互いの事情に興味の無い者同士、冷ややかなやり取りは熱心に続く。


「しかし私にも、任務があります。シンジ・カルヴァトス教授。六大国家全ての叡智が集まる知恵の神殿、神秘学の最高峰、【魔法研究塔マレフィセント】において最も有名な術学者である貴方を我が主の元にお連れしなくてはならない」

「随分と持ち上げてくれましたが、それならば【塔】に直接アポイントメントを取ってください」

「そうした形式的な手段では間に合わないと、主は判断なされました」

「現実的な手法が採れないのなら、それは諦めた方が良いと思いますよ」

「……どうしても来ていただけませんか、教授」

「行きたいと思わせる努力を、もう少しした方が良いと思うね」


 そっと、胸ポケットの万年筆に指を這わせながら、シンジは冷静に、青年の様子を観察する。

 見たところ武闘派ではなさそうな体つきだが、人は見た目に寄らないものだ。例えばシンジ自身も、魔術の補助さえあれば町の端から端まで馬より早く、駆け抜けることだって出来る。

 魔術師を来る相手がそうした、常識を誤魔化す技を何一つ持たないとは流石に、考えにくい。少なくとも何か対策はしてあるはずだ。


 一呼吸で魔力を精製、体内を循環させながら術式を待機。

 今のところ魔術師にとって致命的な、神秘的結界の様子は無い。室内の魔素は通常通りだし、家具にも不自然なところは見当たらない。とすると環境では無くこのに何かあるか。


 思った通り、青年はスーツのポケットに手を入れる。シンジは眉を寄せながら、万年筆を引き抜いた。

 シンジの警戒に、青年は眉一つ動かさなかった。淡々とした仕草であいている片手を上げると、ゆっくりと、ポケットから手を引き抜く。


「主より、『もしも固持されたならを見せるように』と言われております。これを見せればきっと、貴方は驚くだろうと」

「どうかな」

 万年筆をナイフのように青年へ突きつけながら、シンジは首を振る。「こう見えて魔術師だ、ちょっとやそっとじゃあ驚いたりは」


 ころんと、軽い音がテーブルに転がった。

 その小さな姿を一目見て、シンジは息を呑む。


 滑らかな乳白色のは、鋭い円錐形。

 狼などの肉食動物が持つものよりも小型で、ヒトの口にも容易に収まりそうなその先端には、小さな穴が開いている。


 それは、


 文献も痕跡もほとんど残さず絶滅した幻想種に在りながらも例外的に有名で、魔導書グリモアから戯曲などの娯楽に至るまで様々な書物に名を刻む、常闇の支配者。

 ヒトの如く在りながら、獣の如く噛みつき、悪魔のように生き血をすする生き物の最も特徴的な象徴シンボルが、そこに転がされたのだ。


「…………驚いたな」

「一緒に来ていただけますね、教授?」


 青年の言葉に、シンジは勢い良く頷いた。









「……?」


 束ねた赤毛を揺らして廊下を駆けていた少女はふと、何かに気付いたような顔をして足を止めた。

 スカートを翻して廊下を戻り、曲がり角にピタリと張り付く。


 息を殺す彼女が覗き込むその先に、次の瞬間、人影が現れる。マテマリア・ローランの茶色いジャケットに身を包む、肩書きを思えば若すぎる青年。

 シンジ・カルヴァトス。尋ね人を見付けた少女はしかし、難しい顔のままだ。


「……まだ、帰る時間じゃ無いはずなのに……っ?!」


 自分の把握している予定表スケジュールとの差異に首を傾げていると、その理由が彼の背後から現れる。

 抜けたというよりは元々そういう風に作られたデザインされたような、見事な白髪の男。全身をきっちりとスーツで固めているためだろうか、それともピンと伸びた背筋のせいだろうか、どこか無機質な印象を受ける。


 少女の瞳が一瞬、色を変える。

 髪と同じ、燃えるような赤色――その赤色は瞬きと共にあっという間に隠れて、彼女の出身国ではありふれた、新緑色に。

 秋から夏へ。

 瞬く間だ。


「あの人は…………いえ、は……」


 変転する視界の中で、赤毛の少女が見出したのは青年の、根源的な性質。いや、とでも言うべきその成り立ち方、正しく奇跡の配合方法だ。

 少女が用いたのは原初の魔術。

 【視る】、それだけで成立する最も初歩的な、呪術の源泉、その一柱。


「……」


 さて、どうするか。

 悩む彼女の名前は、リタ・ギムレット。

 シンジ・カルヴァトスの記憶のほんの片隅にぽつりと、小さく染みついただけの赤色である。


 今は、まだ。

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