第1話魔術師、講堂にて語る。
「……かつて地上は、楽園でした。
聖都アズライトで最も広い大ホールに響く自分の声が思いの外、落ち着いていることに、シンジ・カルヴァトスはそっと胸を撫で下ろした。
デカンタの水を、意図的にゆっくりとした動作でコップに注ぐ。
余裕には、内心から沸き起こるものと外見から染み渡るものとがある。シンジのようなタイプには、心の引き出しをひっくり返して前者を探すよりも後者を身に付ける方が適している。
焦らずゆったりと、焦らすような仕草。
そして微笑み。
自分には自信があるぞ、と振る舞うことで本当に自信があると、自分自身に信じ込ませるのである。
……そんな儀式めいた自己暗示と、良く冷えた水をコップに一杯。耐衝撃魔術紋様を編み込んだ、マテマリア=ローランのスーツ。
そこまで揃えてようやく、シンジはホールに整然と並んだ3200人の魔術師候補たちと向き合うことが出来た。十代の、無垢な好奇心に満ちた瞳の群れと相対して平然としているためには、凡そ老練な同僚と議論をぶつけ合うよりも下準備が必要だった。
全く、厄介な義務だ。
後進の育成を時間の浪費と言い放つつもりは無いが、どんなことにも適材適所というものがあるのではないか。選ばれた少年少女だって、説明の上手い者から話を聞く方がやる気になってくれるだろうに。
だが、まあ仕方が無い。
シンジは若輩だし、カルヴァトス家は名門では無い。面倒な義務を押し付けられる程度、受け入れなくてはならない。
そしてやるからには、きっちりこなさなくてはならないだろう。
「勿論そこには、広義でのヒトの姿もあったでしょう。ですが我々の祖先は、かつての神代においてはあくまでも脇役に過ぎません。強固な外骨格も空を舞う翼も、岩を砕く牙さえ持っていないひ弱な肉体にとって、魔力に満ちた神代の主役は荷が重すぎました。やはり主役は彼ら、幻想種です」
同僚のラストールを思い出す。
アードライト聖国南部出身の陽気な彼はそれこそ、自信以外を纏ったことなど無いだろう。だから、参考になる。
彼のように気取った仕草で、ジャケットの胸ポケットを探る。
取り出した純銀製の筆記用具に魔力を込めると、ペン先に点った鮮やかな緑色の光が生き物のように蠢き、精緻な幾何学模様となった。
【術式展開・
脳裏に浮かべた言葉と同時に魔方陣が起動、シンジの魔力を吸い上げて、あらかじめ設定した幻影を空中に描き出した。
――何度見ても、美しい。
シンジの頭上に出現したのは高さ8メートル、幅なんと40メートルの長大な壁画の映像だ。
「【色彩の】魔女カメレオンの傑作、『
今度は必要から、シンジは水を飲んだ。喉を潤し、再び口を開く。「ご覧の通り、様々な幻想種が一列になって駆けている光景ですね。鮮やかな色使いもですが、痺れ羊の毛皮が帯電している様子や蹄の起こす砂煙など、正しく目の前で現実に繰り広げられているような臨場感が特徴です」
それは、シンジ・カルヴァトスの
幼き日に出会って以来、心を奪われたままだ――その、神にも届こうかという技術は勿論だが何よりも、そこに描かれていない神秘に。
「この壁画はいわば目次です、描かれている100余りの幻想種は同時に、我々が知る全ての幻想種でもあります。例えば、これは何か御存知ですか?」
『魔猪です!』
「その通り」
ホールからの返答に微笑む。シンジの操作で拡大された漆黒の塊も、心なしか嬉しそうだ。「【文明薙ぎ】、【英雄殺しの獣】。神話時代においては竜種と並ぶ英雄の仇敵。群れるという点においては竜よりも、旧世代の人類にとって恐ろしい相手だったでしょう。では、これは?」
万年筆を軽く振ると、壁画の別な部分が拡大された。
分厚い曇天の中鳥と並んで空を飛ぶそれは、キワモノ揃いの幻想種においてもかなり異質な外見をしている。獣の皮で作った風船のような、或いは、無理矢理膨らませた人間のような、正しく怪物と呼ぶに相応しい異形。
よく見ればその背中には、巨大な翼が、肩には幾つもの獣の頭部が並んでいて、足首は蛇の頭となっている。
『……テュポーン?』
「素晴らしい!」
思わずシンジは拍手を贈った。「あまり知られていない、良く勉強しているね」
【
応えの主、鮮やかな赤毛の少女は、周囲の羨望のまなざしを受けて恥ずかしそうに俯いた。
「では、これは?」次にピックアップしたのは、脚の生えた虎の頭蓋骨。
『【
「これはどうかな?」笑うカボチャが咲くバラの苗木。
『あ、【
興が乗ったシンジの質問に、少女はほとんど淀みなく答えていく。
嬉しい驚きだった。専門家を自称する魔術師でさえ咄嗟に答えられないような幻想種も、彼女はしっかりと予習してきているようだった。
「実に見事だ、君、名前は?」
『り、リタです! リタ・ギムレット!』
「リタ、一先ず名前当てゲームは降参だよ」
『え、あ、はい、いやいいえ! その……光栄です!』
喜びと恐縮の狭間で右往左往する少女に苦笑しつつ、シンジは「では」と続ける。
「これを聞いてみよう、リタ。これは――何をしている行列だろうか?」
しん、とクディア大氷河のような静寂がホールを包んだ。
まるで【雪の女王の凱旋】だなと、シンジはぼんやりと思う。いつの間にか僕は、
『…………わかりません』暫くの沈黙の末、少女は答えた。
「質問が意地悪すぎたかな、これは、僕の推論を多分に含んだ意見だからね」
しかし、重要なことだ。
疑問を持つこと、その答えを想像すること。世界には、それが必要だ。
シンジは万年筆のキャップを捻り、幻像を再び全体図に戻した。
幅40メートルに渡って描かれた、1000年経った今でもなお、鮮やかな色彩を保った壁画。
そこに描かれた、一直線、同じ方向へと進む幻想種の群れ。
「絵を見るときは全体を見て構図や色のバランスを楽しむ、そして、徐々に視線を細部に向けていくと良い」
全体の流れ。
描かれた幻想種たちは皆――草食肉食魂食の区別無く、身体の大小も関係なく、互いに争うことも無く、我先に絵画の端へと向かっている。
そして、細部。
彼らの誰もが懸命に進んでいて、立ち止まるモノは一匹も居ない。中には長い首を巡らせて、背後を気にする素振りをするモノも居るが、その足下は必死に走ったままである。
もっと細かく見てみると、気付かないだろうか。
彼らの顔つきは、何やら怯えているようでは無いか?
彼らの眼差しは、何やら恐怖に駆られているようでは無いか?
「そう。これは進む列ではないんだ――逃げているんだよ」
ホールに満ちた先ほどとは別種の静寂に、シンジは満足の笑みを浮かべた。
居並ぶ若者たちの顔には、鋭利な好奇心が浮かんでいる。こちらの話を余すところ無く切り刻んで咀嚼し、吸収しようという確固たる意思。
どれだけ幼くても、彼らもまた魔術師の一人なのだ――シンジと同じく。
ここからが本番だった。
手応えに微笑みながら、【魔術師】シンジ・カルヴァトスは
「…………【
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