第5話 改行

 踏み出した足で地面を蹴る。息を吸い、一際大きく駆ける。手を広げ、体を一転させ後ろを振り向きこちらを追う影の姿を捉える。

 前傾姿勢のまま後方へと運ばれる肉体は、爪先に触れた地面を削りながら急停止する。瞬間、両の足は押さえ込んだ力を解き放つように音を轟かせた。


 爆ぜるような勢いで影へと肉迫する。


 姿がよく見える距離まで1秒と掛からなかった。丸みを帯びたシャープなボディライン、全身は体毛に覆われ、筋肉質な野性の肉体は余分な脂も肉も付かない痩身とも言える締り方をしている。

 動物で言えば狼に近いだろう。しかし、額に“角”が生えている点と、明らかに自然なものではない紋様が彼らの体表を蠢いている。


 一拍遅れて、狼のような生き物はこちらの動きに気がついた。鳴き声を上げようとしたのか、顎をかちあげた掌にくぐもった振動が伝わる。

 哀れにも彼は、顔を驚かせる暇もなく頭部を大地へ叩きつけられた。鈍い音と粘性の強い液体を弾けさせ、ひしゃげた口腔から気泡の断末魔を最期に息絶えた。徐に手を離すと、残る2体の影は警戒を露わに吠えている。

 象を追い立てる獅子の頭目が踏み潰されたように、自ら招いた油断の脅威に毛を奮い立たせているのだ。


 膠着した状況で、一歩大きく踏み込んだ。


 先刻とはまた違った轟音が響いた。腹にくるような、重く深い音だった。

 振動は広く森に伝わり、揺れる木々の葉と叩き起こされた動物たちの音が続く。夜の森に響いた異常は、同じくこの森に住まう2体の影にも異常として伝わったのだろう。狩る側である彼らも、一目散に逃げ去っていく。


 その二つの影が見えなくなると、男はため息を一つ吐き、足を上げた。足首まで踏み抜いた地面が、捲れ上がるように土を溢す。


 一時期旅を共にしていた武術家はこれを“震脚”と呼んでいた。爪先と踵で二重に、そして膝とで4重に力を加える独特の歩法で大地を一枚の板として揺らす技術らしい。

 勿論、本来は床や踏み固められた硬い地盤で出来るものであって、ぬかるんだ地面に木々が根を張る森の中で出来るものではない。


 彼が魔王討伐を成していなければ、誰しもがそう言うのだろう。














 夜通し歩き続け、ようやく森を抜ける。

 鬱蒼と茂る木々を開いて現れるのは、荒くれた岩石地帯だ。手頃な平地を見つけ、背負っていた荷物を下ろす。大の男でもすっぽり入れそうな巨大な背嚢バッグには幾つもの鉄器が収まっていた。


 背後に広がる森林から、僅かな間もなく草花のない岩石地帯へと変わる。ここも、昔はそれほど不自然な土地ではなかった。岩石地帯と森林地帯とを切り貼りして繋げたような作為的な地続きは、草花の根を縫糸痕代わりに、辛うじて自然の姿を保っている。

 ツギハギの辺りを持ってきたシャベルで掘る。岩石混じりの土砂を何度も何度も掘り返し、一帯が塹壕のようになる頃には、朝日も夕陽に変わっていた。

 掘り起こした土塊の山の他はなく、額を汗が伝う。“かつて埋めたもの”は見つからなかった。


 地図を取り出し、点火棒で炙ると幾つかの地点に新たな記号が書き加えられる。そしてその記号の加えられた地域が萎むように地図上から消えた。


 130年ほど昔、ある研究者が開発していたのは、地質や周囲の物体を分析し、その情報を地脈を通る魔力の流れに乗せて送信する革命的なマッピングシステムだった。

 まだ国家間の緊張が高かった頃、国内の地図としてはコストが高く、他国も含めるには外交上のリスクが大きかった。彼女の研究は議会の資料庫に埋もれ、必要とされるその時まで日の目を見られなかった。

 その道具を再開発し、来たる災厄に備えようとした賢者を勇者は手伝った。必要となる素材の確保に始まり、その為の資金援助、信頼できる知恵者の増員から実地試験まで、魔王討伐の為の旅の途中、その旅が終わってからも暫く、彼は賢者と同等の熱意を持って研究に携わった。


 そして勇者には賢者の知らない懸念があった。魔王討伐の折に触れ、魔王軍四天王や幹部と会敵した際に、引っかかる物言いをしていたからだ。確証のない不安は相談するには漠然とし過ぎていて、旅の最後、魔王が放った呪詛を目の当たりにして漸く得心がいった。


 いまだ信じられない程に荒唐無稽な真実。手の打ちようがなく、諦めるには絶望が目に見えず音に聞こえない。


 世界が縮んでいる


 などと、確信を得た今でも信じきれずにいる。

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