第3話 空白

 水と食糧と野営道具を詰め込んだ背嚢は小さく、それでいて重かった。

 安全が保証され飲んでも腹を下さない真水と、長期の保存が効き必要な栄養を摂取できる非常食、家屋には及ばずとも、しっかりと個人スペースを確保できる屋根付きのテントは今のご時世、どれほど値が張るのだろうか。

 かつて戦った魔物や竜の何分の一もない重さが、ズシリと手を引っ張った。




 魔王軍の襲来以降、世界中の国は、食料確保のため田畑や漁港に国庫を集中して開いた。

 魔王軍からの防護は勿論、技術改善、販路開拓、人手の増資まで、軍備に次ぐ体制の整備に奔走した。


 それまで、敵国との戦争になっても田畑や漁港は奪われはすれど壊滅的被害を受けることは少なかった。

 敵も人間であり、食わねば死ぬものを食わぬようになる戦い方など基本的にしないからだ。


 けれど、魔物たちは違った。


 奴らは人の食すものを摂取しない。魔王の配下として創られた連中は食事を必要としなかった。

 中には食事を行う個体も存在したが、それも必要な行為ではなく、その個体独自のルーティンのようなものだ。


 奴らは躊躇なく田畑を焼く。補給の必要がない軍隊を相手に、人々は困惑した。

 一国一国がバラバラに対処していては手が回らない。だからこそ、人類の脅威と呼ぶべき敵の存在が、人同士の争いを無くしてくれた。


 その敵がいなくなり、訪れた平和は人々の心に余裕を与え、その余裕はかつて人同士が争っていた理由を辿った。


 戦争は再発した。

 特に魔王軍の被害が少なかった国と大きかった国とで差があったため、好機と踏んだ者たちの先導もあり決着までは早かった。


 ただ、戦争に勝って得られるものがほぼ無に等しく、疲弊した土地、人を獲得したところで活用できない資源を持て余している。

 格差は広がり、戦火の燻りは下々の民へと襲い掛かる。食うに困り、雨風を凌ぐ屋根のない者だっている。


 私は声を上げた。

 魔王と争っていた時でさえ持ち堪えた人の力が、なぜ奴がいなくなった今自らの手で唾棄してしまっているのか、眼下には飢えに苦しむ民たちがいる。脅威が去って尚、去る前よりも不安を隠せていないのは何故かわからないのか。


 返ってきた言葉は「だったら今すぐ敵を説得してこい」だった。

 私は絶句した。事ここに至り、彼らの頭は自分たちにはもう尽力のしようがないという高慢さに支配されていた。

 最早、どちらが先に手を出したのかすらどうでもよく、不安を払い除ける為に闇雲に手を振り回し続けている。

 それで殴られるのは遠くの敵ではなく、隣の友だということが理解できなかったのだろう。


 彼らの瞳は一様に暗く淀んでいた。


 勇者としての名声は、人同士の争いに意味を為さなかった。

 “敵”を倒せば平和が訪れると、戦い続けてきた栄光は、争いをやめさせる力を持たなかった。あるいは、“名声という力”で何とかなると思ってしまう時点で、私も彼らと同じ穴に落ちているのかもしれない。


 疲弊した国同士が争い、共倒れになり、立ち上がる者も、立ち上がらせる者もいない現状では僅かに残った蓄えを消費し続けるばかりで明日のためには動けない。


 何でもいい。希望が必要だ。

 希望を持てるだけの心の支えを作らなければいけない。


 目的だけの道の見えない旅は、かつての戦いの日々よりも暗く果てしなく思えた。

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