第2話 段落
傷ついていた。
傷ついていた。
傷ついていた。
国が
街が
人が
大地が、傷つき疲れ果てていた。
勇者と呼ばれる彼も傷ついていた。
彼と共に旅をしてきた仲間たちもまた、傷ついていた。
押さえたまま戻らない数多の点ではない。
塞がった後も消えない幾多の線ではない。
ずっと癒えることのない広い面ではない。
心に空いた大きな孔のような空白が、彼らに収まることのない痛みを与えている。
言うなれば「痛悔」とでもすべき癒すことのできない傷口。
腫れ物のように痛み、切り傷のように血が流れ、折れたように動けない。
そして、幻肢痛のように失ったものが消えることはない。
栄光も、誇りも、称賛も、豪勢な食事も優雅な暮らしも、彼らの歩いてきた旅路の厳しさを晴らす為の全てが、彼らの心に響かなかった。
魔王と呼ばれる大敵が現れてから、軋轢を残しながらも人類は一丸となって立ち向かった。
ただ争いを広げ、食料の奪取でも領土の侵略でもなく、ひたすらに戦火を拡大させ血を撒き散らす魔物たちに徹底抗戦の構えを取った。
歪みあっていた大国同士も、宗教問題を抱える人種同士も、民族紛争を続けてきた小国に至るまで、皆が一先ずの手を取り合った。
取り合った手を引き裂こうとする悪に立ち向かった。
そして、その悪を倒した筈だった………
酒瓶が叩き割られる音で目が覚める。
続けて2回、3回と同じような破砕音が響き、泣き声とも呻き声ともつかない独り言が聞こえてくる。
囀るような小言は、聞き取ることはできないのに嫌に耳へ届く。
窓の外へ目をやると、白んできた早朝の空に紫の陽が差していた。
彼はずっと酒を飲んでいたのだろうか、夜を更かし朝を迎え、眠りに落ちるまで酒に溺れる。昨夜から────いいや、“あの日”からずっと……
ふと頭に過った邪な考えを振り払う。
彼の世話という言い訳に縋り、目に見えている責任から逃れようとする自分を奮い立たせる。
きっと、逃げたとしても誰も責め立てはしないのだろう。だからこそ、彼を置いて旅に出なければならないのだ。
「お目覚めですか」
廊下に出ると彼女が声をかけてきた。
短く挨拶を返し、通り過ぎる。
「本当に、迷いはないのですか?」
目を伏せたまま、彼女は問いかけた。
返事はしなかった。言葉を返すだけで、足が食い止められそうだったから。
「──彼を、よろしくお願いします」
階段を降りる直前になって、ようやく絞り出すように声を出せた。
私の言葉に、彼女もまた返事はしなかった。
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