第8話 お悩み相談



 4月16日火曜日 天気 快晴


 ここ数日、幸彦は悩んでいた。あれほどまでに熱烈に来ていた保奈美が土曜を境に幸彦にめっきり構わなくなったからである。それでだろうか? 冷静に考えたら、逃した魚が大きいことに気がついた幸彦は、誰かにこのことを相談したくなったのだ。


「失礼しまーす」


 そうして幸彦は、昼休みに熱気がこみ上げる職員室の中に入ったのである。




「先生、そんなもん絶しないで下さいよ。腹が立ちます」


「いやいや、惚れられてるとかはさすがに自惚れじゃないか? アニメの主人公じゃないんだから」


 事情を説明した幸彦を待ちうけていたのは腹を抑えて、小刻みに震える人間の教師。天田静葉の身悶える姿であった。


「いや……ふふふ。悪い、悪い。あっやっぱ無理。面白すぎてちょっと笑い抑えられん。ひひひ、ふひ、ははははは!! あははははは!!」


 抱腹絶倒ほうふくぜっとうというやつだろうか。もしくは腹筋崩壊。彼女はケラケラと楽しそうにこちらを指差して爆笑していた。

 幸彦には人を笑わせる才能があるのかも知れない。この時、彼は冗談なしでそう思った。


 それほどまでに彼女は笑っていたのだ。


「ひぃ〜ひぃ〜……あぁすみません。静かにします。はい」


 ひとしきり笑った後、他の先生方に謝り出す担任。それが終わった後、豊田はキリッとした顔でこちらに振り向く。色々台無しであった。締まりが非常に悪い。



 それは本人も理解していたのだろう。

 照れたようにうっすらと頬が赤くなり、コホンと小さな咳をしてから本題に入った。



「でっ? 恋愛相談か? てっきり先生を爆笑させに来てくれたのかと勘違いしてたよ。あぁそれとこれ、みんなに返しといてくれ。パートナーの候補が書いてあるから」


 彼女は三十一人分の能力診断書を渡す。


「ほい。三十一人分の『能力診断書』確かに預かりました。これで良いですか」


「あぁその前に、ちょっと待っていてくれ。書類片付けるから」


 豊田は、何かの書類をペラペラと確かめていく。それは確認というよりかは本当にただめくっているだけのように見えた。

 胡乱うろんな目をしている幸彦に分かってないなという表情をする豊田。


「おっ? 疑ってるな? 先生の動体視力舐めるなよ。弾丸だってはしで掴めるんだから。こんなスピードで確認するなんて朝飯前だ」


 宮本武蔵が、ハエをはしで掴んだ話は知っている。

 しかし、彼は後世の研究では一般人ではなく日本刀を二本使う近距離タイプの術士とされていた。つまり身体強化を使っていたのだ。そりゃハエぐらい掴める。


 ところがどっこいこの先生、豊田静葉は術師ではない。一般人だ。ただのめちゃくちゃ強い一般人だ。

 素手で高倍率の身体強化をかけた学生を一方的に殴り倒してる不思議生物だが、紛れもなくただの一般人だ。 

 なぜ彼女がこんな学校にいるかと言うと、それは静葉がスカウトされたからであった。


 ケガレが、少し増えすぎて手が回らなくなった五年前、術師達はある街に増えすぎたケガレを一気に殲滅するため小規模の部隊を多数送っていた。

 しかし、そこである部隊の術師達が見たのは目を疑う常識だった。

 ただの一般人が何十匹ものケガレに囲まれながら一方的に殴り殺していたのだ。霊気や妖気も使わず致命傷を与えられない筈の人間が……


 にわかにそれを信じられなかった小隊長はケガレが完全に活動を停止した後、返り血を浴びまくった一般人に、恐る恐る声をかけたそうな。


「あぁ、術師さん。お勤めご苦労様です。ケガレ? が出たんですか? 大変ですなぇ。それはそうとここら辺妙にデカい野良犬多いですよね。襲われたんでつい殺しちゃましたけど……あっでも動物虐待がしたかったわけではないんですよ。噛まれたら、なんか危ない気がしたんで殺しちゃったんですけど。これって……ちゃんと正当防衛に入ります?」


 全身が大型犬のケガレの血に染まりながら、彼女はヘコヘコと頭を下げながら、そんなことを言っていたらしい。

 それが目の前の唯の一般人、豊田静葉がこの学校に教師として引き抜かれた理由らしい。

 ケガレを物理的に殺した戦闘技術やダメージを全くもらわない立ち回りがどうやら買われたようだ。  

 因みに授業の教え方もそこそこというか、多分この学校で一般常識の教え方が一番上手かった。



 こんな強いのに前職は何をやってたかと言うと普通の学校で普通の教師をやっていたらしい。よく死人出さなかったな……



「信じてないわけじゃないんですが、どういう風に見えてるんです? それ……俺にはさっぱりなんですが……」


「んーん? パラパラ漫画みたいな? 一旦目に入った情報を後で確認してる感じかなぁ。記憶力は良かったからなぁ。私……テスト勉強は前の日に教科書めくるだけだったし……あっでも普段から予習、復習ちゃんとしてたぞ。決して一夜漬けとかじゃなかったからな」


 話しながらでも見えているのだろうか。それはもはや速読という次元ではなかった。一人分でもそこそこ枚数があった紙束を彼女は1分もかからず読んでいく。 



 この時幸彦は絶対心は読まないようにしていた。なぜなら、もし覗いたら、文字で埋め尽くされて気持ち悪くなりそうだったからだ。


 結局、静葉がそれを三十三人分読み解くのに1そう時間はかからなかった。しかし、彼女も疲れたのか、目頭をんで脱力していた。


「凄いですね……先生の動体視力どうなってるんです?」


「おう、めろ、褒めろ。先生は凄いんだからもっと褒められて良いはずだ。術士ってのはこれが分かってない奴が本当に多い。私は馬鹿みたいな体の頑強さと動体視力除いたら、ただのか弱い人間なんだぞ。再生能力とかもないし……それなのにイタズラで術ぶっ放す悪ガキが、この学校はめちゃくちゃ多い。上手く弾けなかったらどうするんだ。全く……その点お前は近接戦闘の授業、きちんと素手だけでしてるからな、偉い!」


「それは……ありがとうございます」


(物理耐性、妖気、霊気耐性が素の状態でめちゃくちゃ高いからな。先生……一線級の術士と同じぐらいの硬さってどうなってんの一体……中級ぐらいの術なら拳で弾いてるし。そりゃバカスカ術打たれるわ。無事なのが分かってるんだから)


 因みに幸彦は近距離で術発動すると自分もダメージ食らいかねないほど、大きな規模しか発動できないから発動していないだけだ。

 そんな背景から術を使っていないだけなのだが、メモ帳にガリガリと天田は先生の太鼓持ちプラス一点という文字が書き込まれるのを読むと心が痛い。


(賄賂をしたみたいだ。褒めただけなんだけど……)



 複雑な気持ちになる幸彦であった。



「さて、さっきの話の続きをしよう。笑わしてくれたから聞いてやっても良いぞ。面白そうだからな」


「よく分りましたね。やっぱ俺がモテるってのはちょっと無理がありますよねぇ」


 突如クラスメイトに謎の求愛をされている幸彦。誰かに悩みを打ち明けたい解放欲求が沸々ふつふつとあった。

 

「あぁ、そうだ。タバコ吸いたいから喫煙所で聞いてもいいか? それ」


 彼女は胸ポケットに入っている色鮮やかな長方形の箱を指差す。


 幸彦の話は人に聞かれてもまぁ困る話ではあった。クラスで人気の委員長に惚れられているかもしれないと誰かに聞かれでもしたら面倒になるのは目に見えていた。

 それならば煙たい所で話す方がリスクは少ないと思われる。

 だって喫煙所がそこら中にあるから逆に人がばらけるのだ。うちの学校の校長が喫煙者だからだ。そりゃ優遇される。


 しかし彼には懸念もあった。


「副流煙って知ってます?」


「なーに硬いこと言ってんだよ。男なら硬くするのは下半身だけにしとけ。あっでも先生で硬くするなよ? いっくらくわえるのが好きでも私はタバコを咥える方が好きなんだわ」


 ケラケラと静葉は笑う。突然の下ネタに幸彦はちょっと興奮するのであった。


「先生、前の学校でよく好かれました?」


「まぁな。思春期のガキとおっさんは下ネタが好きでなぁ、人妖問わず。とにかくウケがいいんだよ。まぁ懐かれる懐かれる。ここに移動する時もそりゃ泣かれたぞ。男子校の貴重な女性成分だったからな。私は。おいおい泣かれたよ。流石に男子生徒全員が見送った時はびっくりしたがな。お前ら、どんだけ私が好きなんだと……」


 それは凄い。まぁ顔が美人で下ネタオールOKなら、好かれるのも当たり前だろう。奴らは常に女性に飢えてるしな……


「そう言う訳でお前を見てると奴らを思い出して寂しくなった。若者枠として喫煙所の花になれ。年寄りはもう見飽きた」


 幸彦はキャバ嬢ではない。むしろ愚痴を聞いて貰いたいのだが……


「お前は副流煙とか気にしてるけど、そんなの一般人じゃないんだから気にすることないって。どうせ肺も目も臓器も、戦闘で失って再生させるんだから」


「身も蓋もないこと言いますね。事実なんで言い返せませんが」


(流石に脳とか、そういうのは無いけど……胃とか肝臓とかは何回もあったなぁ)


「まぁまぁ、飲み物ぐらい買ってやるから、ドーンと話せ。人の不幸なんて面白可笑しく笑い飛ばしてくれる奴がいないと話せんだろう。その点、先生なら安心だ。何があろうと笑ってやる」


「笑える話になれば良いんですけどね……」


 幸彦は苦笑しながら豊田と、外へ出かけるのだった。


 保奈美にその後ろ姿をこっそり観察されていると知らないままに……

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