第2話 天罰?



「ほっ、保奈美さん?」


 彼女は沸々ふつふつと怒りが込み上げるかのように唇を噛み締める。それは幸彦が見たこともないほどの苛烈かれつな表情だった。


「貴方が好きで好きで好きでたまらないのを必死で必死で必死で必死で我慢してようやく結ばれて……それなのに、貴方はわざわざあの子に自分の妖気まで分け与えるとか本当にムカツクわ!! しかもわざわざ粘膜接触ねんまくせっしょくで!! 腹立つわねぇ。!! ほんと腹立つわ!!」


「ちょっと落ち着け⁉︎ あれは……他意とか全くないから! 俺が好きなのはお前だけだから!!」


「シャラッープ!! それは嘘よ! 心を読めない私にもそれぐらいは予想が付くわ!!」


 言い訳のような愛の告白は保奈美には全く響かなかったようだ。彼女はすぐさま幸彦の不貞の証拠を明らかにする。


「あんな小娘にぐりぐり体押し付けて、興奮してたんでしょう!! よくもまぁ、彼女と別の女で勃起できたものね! 恥を知りなさい!」


 ぐうの音も出ないとはまさにこのことである。ぐりぐりと押し付けたのはやはり、彼女にはばれていたらしい。目がいいことで……


!! それに比べてこのメスガキはたったの二週間。二週間!! 腹立たしくて仕方がないわ!!」


「高校でってお前、え? それ以前に俺にキスしてんの? えっ? 嘘だよな……」


 明かされる衝撃しょうげきの事実。幸彦のファーストキスはとっくの昔に消えていた。過去の幸彦少年は知らない内にキッスをしていたらしい。ショックだ…… 記憶がないのがさらにショック……

 

 どんなキスをしたのか気になる幸彦であった。


「嘘だと言って……」


「シャラッーーーーーーーープ!! そんな些細ささいな話、今は関係ないわ!! この女は、幸彦君のお情けをどう勘違いしたのかハリウッド女優並みに情熱的なキスを仕掛けたのよ!! この泥棒蛇どろぼうへびが!! 私が許すのは泥棒猫どろぼうねこまでよ! 人の彼氏に手出すな!! 殺すぞ!」


 保奈美は、真白の頭を掴むと彼女の目をじっと覗き込み首を真横にかたむける。


 それはたいそう怖かった。見ているこっちが怖いのだから言われてる真白は散々であろう。南無三だ。可哀想かわいそうに……


「ひぃやーーーーーー!! 怖いです!! 超怖いです!! 真白殺されるのやぁですぅーーーー!! 先輩早く助けてくださぁーーーーい!!」


「また性懲しょうこりもなくこの女は!!!! 幸彦君に色目を使うな!!!! あぁ幸彦君! この白蛇を殺す許可をさっさと頂戴ちょうだい!! 十秒くれるだけでいいの!! 待ってて。この女すぐ殺すから!!!!」


「ピギャーーーーーー!! 殺されるぅーーーーーー!! ピャーーーーーー!!!」


 悪鬼あっきの如き形相ぎょうそうで、後輩を追いかけ回す保奈美。ときおりコンクリートが砕けちる音が聞こえる。幸彦は眉間をぐりぐりと揉み込み画面から目を逸らした。


(これが修羅場しゅらばか!! 全国のモテる男子諸君。今まですまん! 刺されてもモテるから良いだろとタカ括ってがこれ怖いわ⁉︎ 修羅場ってマジで怖いわ!! これガチで病むわ!!)


 

 全国のイケメンに心の中で平謝りする幸彦であった。





 しかし、喧嘩けんかというのは仲裁する者が必要なんだろう。幸彦は、本妻と後輩の仲裁をする。

 真白がクレーンゲームのように持ち上がるのは圧巻あっかんだったが、スイカのように彼女の頭がくだかれるのは可哀想すぎる。なので幸彦は即座に止めにかかるのだった。


「保奈美、その辺で止めとけ。もうそろそろやばいから」


「何がやばいのかしら幸彦君。私ちっとも分からないわ。そうそう幸彦君。石榴ざくろって知ってる? 丁度いいのがあったから後で食べましょうか。少しうるさいけどつぶしたら静かになるから安心して。もうちょっとでくだけるから」


「分かった。分かったよ。俺が悪かった。保奈美が真白の頭潰すの止めたら、今週の土日お前の家に泊まりに行くよ。それでやめてくれないか?」


 真白の目が絶望ぜつぼうしたかのように大きく見開かれる。そして途轍とてつもなく恐ろしい顔で保奈美の方を向いていた。そのひょうへんぶりに幸彦はしまったと言いたげな顔をする。


(あー…… 俺は何も知らない。火種ぶち込んだりしてない。俺は何も悪くない。俺は何も悪くねぇ!!)


 無視を決め込む幸彦に、唸りながら、歯軋りをする音が聞こえる。それは歯も砕いているんじゃないかと思うぐらい嫌なごりごりとした音だった。

 それから白い何かを勢いよく吐き出す音が聞こえた後に保奈美の顔が映る。口かられてるのはケチャップだと思うことにした。そう思わないとやってられない。


「分かったわ。幸彦君の温情おんじょうに感謝することね。真白さん。一度ならず三度も幸彦君に助けられたのだから」


 渋々納得してくれたようである。よかったぁ。どうやら後輩の石榴は見なくてすみそうであった。


「このおばさんが……」


「アァン⁉︎ やっぱり頭潰してやろうかぁ!! このクソガキがぁ!!」


 保奈美の体はどんどん内側から膨張し、妖気が爆発的に上昇していく。


「保奈美さん、保奈美さん。おしとやかに、変化が解けかかってる、解けかかってるから」


 その一言に彼女はぷるぷると唇を震わせる。そして口の端を吊り上げ、強引に笑顔を作ると体を収束させていくのだった。


「――分かりました。分かりましたよ。はぁぁぁぁ…… 真白さん。貴方の場合、妖気をコントロールすることに集中しすぎて妖気が散っているわ。だから限界までとりあえず貯めなさい」


「おぉ……上手くいってます!! 天田先輩、妖気が溜まり始めました」


「おお! よくやったぞ。真白」


 後は術を撃つだけだった。しかし、どうにも不穏な空気はなくならない。彼女たちはお互いがお互いを触発し合うようにどんどん険悪になっていく。


「私にお礼は……?」


 彼女はピクピクとまゆを震わす。怒り出したいのをどうにかこらえているのだろう。頼んだ幸彦も心苦しかった。真白は明らかに保奈美を挑発ちょうはつしているのだから。


「あざっーす」


 彼女はめんどくさそうに返事をする。保奈美に敬意けいいは全然払ってなかった。彼女はその一言で会話を切り上げる。

 先程頭を砕かれそうになったのが、真白もよほど頭に来たらしい。あからさまに保奈美を挑発するのだった。


「そう…… そう…… なるほどね…… そう来るのね…… ふぅ〜〜……」


「あの保奈美さん? 保奈美さん? 堪えて、堪えて」


 保奈美は拳を血が出るほど強くにぎり、コンクリートをプリンのように掘り返す。そして幸彦の方に縋るすがような目を向けた。


「大丈夫よ。ごめんなさい。少しイラついちゃった。私もまだまだね。ねぇ、幸彦君。この品のない白蛇のいうことを私は我慢すればいいのよね。それは幸彦君の頼みだから引き受けるとしてもよ。貴方の妖気の多くを渡して助けた意味本当にあった? 私はそれが悲しくて悲しくて仕方がないわ」


 保奈美は途中から本当に悲しそうに目を伏せる。それ程妖気の多寡たかはこの業界では大きく関係するのだった。


「妖怪になり立てだからどうか我慢してくれ。年上として、優しく見守ってやってくれないか? これしてくれたら、なんでも一つ言うこと聞くから」


「そこまで…… そこまでなのね。別に今はいらないわ。この腹立たしいメスをぶち殺す許可以外。ただ一つ。私と一つ約束して頂戴ちょうだい


「約束?」


「えぇ。簡単な約束。お願いだから私以外の女の子に金輪際なんでもするとか軽々かるがるしく言わないでくれるかしら。それと、今後何があっても手軽に人を助けないで頂戴。どうせ助けた所で私以外と付き合う気がない癖に。愛人は剛田で充分でしょう? ……二つになってしまったけどこの約束守ってくれる?」


「うっ…… 分かったよ。女を口説かない。軽々しく助けない。これでいいんだろ。ぶっきらぼうにしときゃあ。それと剛田さんに手出すの不味くないか? 浮気になるのでは?……」


 なぜ剛田さんだけOKなのか気になる幸彦。


「これ以上品位のない女が幸彦君の周りにウジャウジャ蔓延ることを考えると私は怖気が止まらないわ。剛田はいいのよ。私みたいなものなのだから」


 しかし、その言い方は真白にはかんに障ったようだ。彼女は保奈美に油を注ぎ込む。


「自分だけは特別とでも思ってるんですか? 保奈美パイセン。いちいちヒスってるおばさんを彼女にするなんて勿体ないですよ。天田先輩。私とかどうですか? 年老いたおばさんよりも若々しくて、瑞々しい私を彼女にした方が良くないですか? ねぇそう思いません?」


「ぐぐぐぐぐぐぐぐ……!」


「はい。俺はもう何も聞いてない。何も聞いてない! よし、真白。妖気はもうそこそこ溜まったな。後はぶっ放すだけだ。盛大に行けよ」


 真白にはあらかじめ、適性のあった簡単な術をいくつか教えていた。


 その中で適した術は『螺旋 紅蓮華』纏めて敵を焼き払う中級の術だった。


 その場、その場に応じた術の選択も術士の卵には、必要な力だった。力がいくら強かろうが、味方も巻き込んでしまう。そんな有様ではいつまで経っても術士失敗だ。


 普通よりも妖気が多い真白は特に注意しなければならない。敵を焼き殺すつもりが味方も全滅ぜんめつしましたー、ではシャレにならないからだ。


「はい、中級の綺麗な術ですよね。いきますよーーー!!」


「中級……? 幸彦君ちょっと待って!! 初級にしなさい!! 今すぐに!! 取り返しのつかないことになるわ!!!!」


 保奈美は何かが引っかかったように目を細める。そしてその致命的ちめいてきな失敗にすぐさま気がついた。しかし、その注意は遅過ぎた。


 彼女は息を整え、足を肩幅まで広げる。そして姿勢を正し、幸彦が走っている地点を見定める。彼を追いかける敵を視認した後、彼女は燃え盛るほむらを出現させる。


「――我の妖気を持って現出を命ず いでよ焔!!」


 彼女はリズミカルに術を唱えていくのだった。


「――その花弁は血のように赤き真紅。咲き誇る一輪の蓮の花は敵を閉じ込め敵を焼炙へと叩き落とすだろう。火炎中級術 螺旋 紅蓮華!!」


 それは見事な出来であった。アレを喰らえば大概の敵は死ぬだろう。


『保奈美…… あれちょっと大き過ぎやしないか?

えっ…… ちょっと待ってあれ、縮尺しゅくしゃくおかしくない。台風ぐらいでかくないか。あれ俺も消し飛ばない?』


 真白にバレないようこっそり、保奈美と念話する幸彦。それは途方もないぐらい大きかった。


『幸彦君の妖気もプラスされてるから…… 二段階ほど術のランクがアップされてるわ。特級レベルかしら? あれ……出来るだけ散らすからちょっと待ってて』


『頼むわ。俺まだ死にたくないもん』


『任せなさい。私のマイダーリン』


『愛してるぞ〜、本当に愛してるぞ〜』


『もう、照れるわ……私もよ。大好き』


 それを最後に念話を切る。そして保奈美は覚悟を決めたように真白にある提案をするのだった。


「真白さん? ちょっといいかしら? 私と今すぐ模擬戦しない?」


「えっ。何で? する意味有ります? それ……」


「幸彦君からの提案よ。私が負けたら、幸彦君は貴方と一日過ごすそうよ。私抜きで。なんでも言うこと聞いて上げるとか彼言ってたかしら? 私が勝ったらその逆ということ。分かる?」


(えっ俺が賞品。しかもさらっとなんでもすることになってるし……)


 幸彦の命がかかっているので渋々彼女は幸彦を賭けの対象にする。負けなければ、構わない話であった。それは真白を卓につかせるに充分過ぎるものであったのだろう。彼女は目を輝かせすぐさま了承する。


「はい、分かりました。やりましょう。模擬戦。ルールはどうします?」


「殺しは無し。動けなくなるまで。それでいきましょう。お互い壊すことになんの躊躇ためらいもないのだから」


(まぁ、これしかないか。殺しなしでやってるだけだいぶマシだな)


 充分殺伐したルールだったが、幸彦が想像したよりもだいぶ丸かった。術士の妖は耐久力が凄過ぎるので、一定量のダメージで勝負を決めるのがセオリーだった。

 しかし、真白を削って術の威力を削ぐには、これしかない。殺しがなしなのだから、これで削ってもらうしかなかった。


「良いですね。それでいきましょう。やっぱり私の隠しきれない若さに天田先輩もかれるんですかね。食べ物でも腐りかけは嫌ですもん」


「うふふ。気にしなくて良いのよ。幸彦君も貴方の貧相な体で欲情するほどロリコンじゃないの。あのいやらしくてゾクゾクする視線。貴方に向けたことある? ないわよねぇ。妹のような態度で接してるんですもの。それとまだ貴方が勝ったわけではないから。早とちりは辞めてくれるかしら。みっともないから」


「ふふ、ふふふふ」


「あは、はははは」


 乾いた笑いを交わし合う二人。もはや衝突は秒読みだった。


「――正妻ぶらないでくれます? おばさん」


「――人の未来の旦那様に手出さないでくれる? このカマトト」


(しーらない……俺はなーんも、わーるくない)


 知らぬ存ぜぬが一番だ。女子って怖い。


 二人は、一触即発いっしょくそくはつの雰囲気をかもし始める。ピリピリと張り詰めた空気が高まっていく。最大まで緊張が高まった後、それは弾けた。


 ばっと、飛び跳ねるように離れる二人。


「引っ込んでて下さい。発情おばさん、先輩は渡しません! フシャーーーー!!」


「そっちこそ出会って二ヶ月足らずの間によくもまぁぬけぬけと、幸彦君に取り入って……いい気になってんじゃないわよ! 三白眼小娘!!」


昆虫風情こんちゅうふぜい爬虫類はちゅうるいに勝てると思いますか? 骨まで砕いて差し上げましょう! 覚悟して下さい!!」


「はっ! 舐めんじゃないわよ、小娘! 噛み殺して体内からドロドロに溶かして上げる。今さら泣いて謝ったって許してあげないんだから!!」


「いくぞ年増ぁぁぁーーーー! 燃やし尽くしてやらぁぁぁぁぁ。先輩は私のもんじゃーーーー!!」


「かかってこいやガキぃぃぃーーーー!! 捻り潰してボロ雑巾にしてやるぅぅぅぅ!!」


 真っ赤な空を背景に真紅しんくの炎と漆黒しっこくの鉤爪が交差する。


 彼女らを信用しよう。限度はわかっているだろうから。


 問題は幸彦である。特級妖術クラスを弱まった妖気で防ぎ切れるかどうか…… 


「ガウ! ガウ! ガウガウ!!」

 

「あぁ、そういやまだ追いかけられてたっけ……」 


 犬の叫び声はひっきりなしに聞こえるのだった。幸彦は奴らを倒すため、少量の妖気を練り上げる。


「我の妖気を持って命ず 氷よその姿を現せ」


 彼の体から、青く冷たい妖気が噴出する。それは指先に向かって収束していくのだった。


 彼は反転し、指をケガレに向かって突き出す。ケガレ共は獲物が遂に止まった喜びからか、一気に幸彦に飛びかかるのであった。


「――鉄をも貫く、鋭さで敵を穿て!」


「――氷雪初級術 氷針!!」


 すると指から針というには少々太過ぎる氷柱が、乱発される。それは追いかけてくる五頭の犬型のケガレをすぐさま殲滅せんめつした。


「おぉ! 使い勝手いいな。妖気減ったのも単なる弱体化ってわけじゃなかったな! こりゃいい……」



 幸彦は感動したかのように拳を握りしめる。



 術の発動速度、威力共に使い勝手が大分向上していた。遠距離は前よりも、苦手になったとしても近接時の戦闘がこれほど改善されたなら万々歳ばんばんざいだった。むしろ前がおかしかった。なぜ10キロ四方の敵目掛けて術を放たなければならなかったのか。明らかにオーバーキルである。妖気の無駄遣いが著しく酷かった。


「我の妖気を持って命ず 雪よその姿を現せ」 


 幸彦は再度、妖気を大量の氷雪に変換していく。


「――それはいかなる攻撃も通さぬ氷壁。永久に溶けぬ氷でその全てを受け止め跳ね返して見せよう。氷結界中級術 雪倉 氷室!!


 術の効果によってそれはすぐさまレンガのように固められ、ドーム状に積み重なっていく。それは十人は入れそうな大きな、大きな建物だった。幸彦は、ありったけの妖気を注ぎ込み、さらに強度と大きさを増していくのだった。


(これが破られたら終わりだな……後は保奈美に祈るのみ……)


 彼は『氷結界中級術 雪蔵 氷室』要は大きいとてももなく大きいかまくらの中でドキドキしながら受け止めるのであった。

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