幕間 二虎に追われる兎は辛い

第1話 浮気者



「フレッー、フレー、幸彦君! ナイスだ、ナイスだ、幸彦君!」


「はぁはぁはぁ!! まだかぁ!! まだか真白!!俺、もう、もう体力の限界近いんだが⁉︎ これ以上俺を走らせないでくれぇぇぇぇーー⁉︎」


 後輩の前でカッコをつけたがったが、駄目だった。やせ我慢がまんは良くないので素直に助けを求めようとするが、甲高く舌足らずな叫びが鼓膜こまくひびきわたる。


「ダメです⁈ 妖気が全然溜まる気配が有りません!! どうしたらいいんですかぁ!! 保奈美先輩!!」


 少女はパニックに陥っているのか、横にいる保奈美に助けを求める。しかし、彼女は一瞥いちべつした後、ふいと視線を逸らした。


「……知らないわよ。真白さん。貴方を助けるなんて虫唾が走るわ……ふんっ!」


 保奈美は眉間にシワを作りながら、真白の助けを容赦ようしゃなく切り捨てるのだった。



「フレッー、フレッー、幸彦君!! はっしれー、はっしれー、雪彦君!!」


 保奈美は彼女はことを無視して、ますます精力的せいりょくてきに幸彦を応援する。その度に彼女の大きすぎる胸が上下に弾む。それを真横で眺めた真白は、自分の胸に手を当てた後、サイズの違いに愕然とするのだった。


「アイ! エル! オー! ブイ! イー! ワイ! オー! ユー! フーーーー!! 幸彦くーん、アイラビュー!! んーまっ!」


 保奈美は色香を振りまきながら、熱烈なラブコールと投げキッスを幸彦に送る。それを受け取った幸彦は顔をぽりぽりと掻く。


 女性に愛してると言われるのは嬉しいが、今は愛の確認よりも真白の救援をして欲しかったからだ。


「ウァァァーン!!!! 天田先輩この人いつも怖いですぅよぉーー!! 真白が成り立てだからですかぁ!! 妖怪の人ってこんなのばっかりなんですかぁーーーー!!」


 真白の叫び声が夜空に向かってこだまする。小柄こがらな少女は、赤ちゃんのようにわんわんと泣き出すのであった。 



 


 彼女の名前は柊真白。私立雅ヶ丘中学の三年生。四月に起きたとある事件で、助けた元人間の妖怪の少女である。病院に運び込まれた時は、重体であったが彼女は保奈美と同じ再生タイプだったらしい。


 凍傷で失った手足も無事に生えて、彼女は無事6月に退院。


 そんな彼女は今日も元気に、幸彦達に師事をしている真っ最中であった。


「幸彦センパーイ、私保奈美先輩怖いです。生命の危険を感じます。早く帰ってきて私を守って下さい。あの時みたいにぃぃぃぃ」


 真白は、嗚咽混じりの声で幸彦を呼び続ける。それは免疫がない彼には非常に心苦しかった。


 助けに行きたい。しかし、幸彦はそんな甘い気持ちを押し殺し、心を鬼にして後輩を崖から突き落とすのだった。


(ごめんな…… 変な知り合いしかいなくて。俺人の知り合いとか全然いないから。でもお前は、俺達がしっかり育てるから頑張るんだぞ。浮気は無理だけど……保奈美がいるし)


 幸彦は心の中で彼女を励ます。それと同時に己の交友関係を恥じるのであった。主に変態の彼女とか……


(どうして保奈美はもう少し自重できないのか……いや俺のせいかぁ、俺が悪いのかぁ……)


 人命救助の為とは言え、。舌が絡み、唾液を交換し合う様子をまじまじと見せてしまったのである。


 それを考えると、愛想を尽かされていないこの状況に一生を尽くしても、感謝し足りない幸彦であった。がっ、それはそれ、これはこれである。


 彼女は何かを順序立てて教えるのが非常に上手かった。性格の悪さはひとまず置いといて。彼女と幸彦が一年間、付きっきりで教えればギリギリ合格できるはずだった。


 彼女が素直に協力してくれればの話なのだが……


「おい、保奈美」


「なぁに? 幸彦君。人の名前をキャッチコピーみたいに使わないでくれる? 不愉快だわ」


 気だるげな返事をしたのは真白の横で黄色いポンポンを振り回している変態女。


 名前は鈴木保奈美。有名企業のお嬢様。うちのクラスの委員長。糸を操るのが得意な蜘蛛の妖怪。立てばしゃく薬、座れば牡丹ぼたん、歩く姿は百合ゆりの花。


 数多くの言葉を尽くしても彼女を表すには少々言葉足らずだった。正確に彼女を表すにはこの言葉がふさわしい。



 変態暴走へんたいぼうそうストーカー。それが彼女を表すベストな言葉であった。


「――真白の世話するって約束しなかったっけ?」


 本当は幸彦が一人で真白を育てるつもりだった。しかし、真白と二人だと美少女中学生はしきりに幸彦を誘惑してくるのである。


 妙に体を密着させ、小ぶりな胸や尻、すらっとした太腿を惜しげもなく、幸彦に押し付けてくるのだ。


 そのせいか、幸彦の下半身のスカイツリーはいつも硬かった。これではまともな練習にはならない。

 そこで、保奈美をお目付け役としてあてがったのである。


「――確かに約束したわ。真白さんが私たちの高校に入学できるようみっちり鍛えることでしょう? ええ、覚えてますとも」


 犬のような形状をしたケガレは、疲れをどこかに忘れたかのように、幸彦の後をずっと追いかけて来る。


 汗がぼたぼたと額を伝う。足にひっきりなしに伝わるコンクリートの硬い感触。口の中はとっくに渇き切っており、唾がどろりと粘性をまとっていた。


 こうして話すのも辛い彼であったが、保奈美には聞かねばならぬことがどうしてもあった。


「だったらさぁ…… なんでチアの格好で踊ってるんですかねぇ⁉︎ そこんとこ不肖の俺にも教えてくれます⁉︎ 分からないんで!!」 


 そう彼女は、この暗い夜の中、ビルの屋上でチアリーディングのコスプレをしていた。彼女が真白を応援するなら幸彦は、言いたいことを抑えていただろう。


 しかし、応援していたのは幸彦オンリーである。これには苦言を呈さなければならなかった。


 それに対し、彼女はパッと表情を明るくさせたと思うと、嬉しそうに話し出す。


「どう? 似合ってると思わない? 特にこのハート型の空いた部分! 私の魅力を存分に引き立たせてるわね! 私が幸彦君のためだけに作ったオーダーメイドよ。ふふふ」


(待て待て待て、もうやることなすこと全部が間違っている!)


 幸彦が汗水らして路地裏を走り回っているというのに、保奈美は繋いでいた真白との術式の回線を利用して幸彦を応援しているのだ。


 横っ腹の痛みに加えて幸彦は、頭までクラクラするような気がしてきた。


 パンツがギリギリ見えそうな、挑発的で短いスカート。肩やへソ、白い肌をことごとく見せびらかすような官能的な谷間が見えるコスチューム。


 悩殺のうさつで、ケガレを殺せたら術士の必要はない。ふざけるのは学校と、プライベートだけにして欲しい。仕事までカオスになると、幸彦としては非常にやりづらかった。



 彼は、ガールフレンドに渋々しぶしぶしたくもない説教をする。



「あーだけどね? これ仕事だから……ちゃんとした。親御さんから前金頂いちゃってるから。だから……ねぇ、ちゃんとするわけにはいきませんか? えっ? 保奈美さん」


 彼は真白の世話を懇願するが、保奈美の態度は冷ややかなものだった。彼女は腕を組みながら、堂々と仁王立ちをして宣言する。


「い・や・よ! この娘の世話をするなんて絶対いや!!」


「そこをどうにか……! お願いだ保奈美、お前しか頼れる奴がいないんだ!」


 手を合わせて保奈美に頼み込むと、彼女はそれに一瞬たじろぐ。そして詰まったように言葉を吐き出した。


「う……い、嫌よ! 今回は絶対に認められない。今回のワガママはどんなことをされても許せないわ!」


 どうやら保奈美の決意は固かったようだ。彼女は頭をぶんぶんと横に振ると、毅然とした態度で幸彦にNOと突きつけてる。


「私と幸彦君の中を裂くような白蛇の手伝いをするなんて。彼女はあろうことか、自分の両親に幸彦君を紹介したのよ? 私には真白さんの世話をする義理ぎりも情もひとかけらほどもないわ。貴方の優しさにつけ込むメスガキなんかに」


(耳が痛い…… だけどなぁ。命かけて救ったのにハイ、サヨナラはちょっと……)


 保奈美にはもう少し広い視野と包容力を持って欲しかった。幸彦以外の誰かにも。


 そんな気持ちを持て余していると保奈美はきびすを返し、スタスタとどこかに歩いて行った。


(ん? なんだ、アイツどこ行った?)


 しばらくすると保奈美は淡い栗色のバッグを肩から下げて戻ってきた。

 彼女は、背負っていたそれを肩から外すとゴソゴソと中に腕を突っ込み何かを探し始めるではないか。


 せわしなく動き回っていた彼女の腕が急に止まる。お目当ての物がようやく見つかったらしい。鞄から引き抜いた彼女の腕には黒色のラジカセがにぎられていた。


 幸彦が目を凝らすと、ラジカセとケースに入れられた、幾つかのカセットテープが見える。


(うわあ、久々に見たわ……ラジカセ。ていうかあのバッグ、空間術式内蔵してんのか…… いいなぁ金持ちは。生活用品まであんな高いもん仕込んでて)


 幸彦も空間術式を内蔵した鞄は何個か持っていた。二世代型落ちしたボロボロの中古品を……  

 それを見つけたのは偶然だった。たまたま市場に出回っていたものを運良く獲得したのだ。

型落ち品とは言え、三ヶ月分の報酬は吹き飛んだが、それでもその品は破格の安さと言えただろう。



 それに比べて彼女のバッグはどうだろうか? もうなんか格が違う。幸彦のそれと比べて……


 彼女のはどう見ても、有名ブランドが出したであろう新品の鞄。それも最新の物だった。しかも肩まで軽々と入るであろう広々空間。喉から手が出る程、うらやましい。金持ちの資金力はやっぱり一般庶民とは違うのだなぁ…… と幸彦は強く痛感するのであった。


(しかし、なぜラジカセなのだろう)


 幸彦が疑問に思っていると、彼女はケースから取り出したカセットテープをラジカセに挿入する。そしてスイッチを押した。


 

 すると、そこには軽快な音楽と共にキレキレの動きで踊り出す彼女の姿があった。それは幸彦が最近聴いている曲に合わせた踊りである。  

 弛まぬ練習をしていたのであろう。一つの一つの動きが洗練されていると共に、彼女の可憐さと妖艶さを存分に活かした見事な踊りだった。


(いや上手いけど。上手いけども。今はそんなことやってる場合じゃないでしょうが。何なのそれ? 褒めて欲しいの? めて欲しいのかい? 後でしっかり見てやるから。踊るの今は我慢してくれよぉ。気になってしょうがないから)


 幸彦は目が吸い寄せられるように、保奈美の踊りを凝視ぎょうしする。そんな彼の邪な感情を嗅ぎ取ったのであろうか。変態痴女は、頬を朱色に染めながらくすりと笑うのであった。


「あらあら〜どうしたの? 真白さんが気になるのではなかったのかしら。心なしか視線が私の胸やお尻、足にばかりいっているような……いや〜ん。幸彦君のエッチ」


 それは実にわざとらしい言い方だった。先程から過激な動きがそこかしこに散りばめられていたのだから、劣情を誘っていることは明らかである。


「ぐぬぬ……チート武器を使うとは卑怯だとは思わないのか?」


 彼女はふりふりとお尻を振ってこちらをいやらしく誘ってくる。罠と分かっていても飛びかかりたい気持ちが高まる幸彦であった。


「だって幸彦君特効持ってるだから、使うに決まってるじゃない。弱点の股間にクリティカルヒットするんだから」


「はぁはぁ、やかましいわ!! 上手いのは分かった。けど、はっ、走ってる最中にそんな気持ちになるか、状況考えろ。状況。ひぃぃぃぃぃ!! 来るなぁ!! 足がちぎれるぅーーーー!!」


 と言いつつも内股に走る幸彦を見て、彼女は口をニマニマと綻ばせた。


「なぁーんだ。ざぁんねん。ならもっと興奮こうふんさせた方が良いかしら? それにしても私が、ちゃんとしてないのって貴方のせいでもあるのよ? 天田幸彦君」


(少しも残念がっているようには思えないのだが⁈ それと褒めて貰えたの嬉しかったんですね!! 口めっちゃにやけてるし。コイツレタスと反応一緒だな!!)


 よくドヤ顔をするうちの犬と大変似ている保奈美さんであった。


「ことの発端は私というものがいながら、欲をかいて女子中学生を助けたのが全ての問題よ。あんな助け方したら惚れられるの決まり切ってるじゃない。貴方バカなの?」


(しょうがないだろう。男はヒーローとかに憧れるんだから……まさか、本当に惚れられるとは)


 しかし、幸彦の思いが、伝わっていないらしい保奈美は、口の端を引きつらせながらまなじりをつり上げる。


「なのでこれは罰よ」


「罰ぅ? これが? お前、何言ってんの?」


 やはり欲情させることを目的にしているのか足を高く上げたり、胸を寄せたり、尻を振ったり、もう色々凄かった。


(これ拡大とか出来ねぇかなぁ……)


 幸彦の視線は、皿のように見開かれ、光景を目に焼き付けていた。自分が性的に見られている。そう確信した彼女はほくそ笑み、手を足に当て上目遣いで彼を見つめた。


「もしかして、ご褒美だと思った? もっと凄くなるから、じっくり楽しんでね、ふふふ。とにかく走って走って走り尽くして、真白さんのために幸彦君が尽くす。そんな姿見せられると酷く不愉快だわ。貴方は私の体と心の機微きびにだけ、注意を払って頂戴ちょうだい。浮気相手なんかに、気を使わず」


「浮気相手ってただの後輩こうはいだろ。彼女のお前と違って……」



 なんとか、後輩を魔の手から救おうとしたのだが、彼女にはお見通しだったらしい。



「幸彦君はほんと……優しい。だけど……今はそれが憎くて憎くてたまらないわ!」


「ほっ、保奈美さん?」


 どうやら彼女の逆鱗げきりんに触れてしまったようだ。彼は体と股間をぶるりと震わせるのだった。

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