第3話 だから、イヤなんだよ。どうせオレは―――。

 あ、健一……?兄貴か。なーんや、兄貴の女か。

 博崇は、急に動悸が収まるのを感じた。肩の力が抜ける。持ち上げかけていたお盆も、自然と下に下ろされる。

 (はーん。兄貴も隅に置けへんなあ。ちょっと怖いし変な人やけど、まあキレイな人やし……)

 「あ、健一ですか、お約束されてました?少々お待ちくださいねえ」

 また余裕を取り戻して、博崇は厨房へつづく引き戸を開けた。

 「兄貴は?」

 仕切り戸を閉めてから、博崇は祖父に声をかけた。祖父は背を向けて振り向かない。あんこの調整をしている機械が唸っていて、博崇の声が届かないのだ。

 「あ、に、き、は?!」

 祖父のすぐそばまで行って大声を上げた。

 振り返った雅勝は、厳しい顔つきで博崇を一瞥した。

 「マスクもせんと大声を出すな。不潔や。それにお客さんがいはるときに―――」

 「お菓子は夢を売る商売なんやから、楽屋裏を見せたらあかん。やろ?」

 博崇は聞き飽きた言葉を、引き取って続けた。

 「分かってんねったら、何でそうせえへんのや」

 雅勝がウンザリした顔で、ため息をついた。博崇は、一瞬、子どもの頃を思い出しそうになって、慌てて祖父の顔から視線を外した。厳しい祖父が苦手だった。子どもの頃からいつもウンザリした顔をされる。兄貴は褒められてばかりなのに。

(―――だから、嫌なんだよ、この家は。オレはどうせ―――)

 「それでなんや」

 祖父の冷たい声に引き戻されて、博崇は思い出した。

 「ああ、ほんで……お客さんが来てはって『健一さんは?』やって―――」

 へらへらと笑顔をとりつくろいながら、博崇はわざと明るい調子で話し出した。重苦しい真面目な雰囲気は、苦手だった。

「きれえな人で、兄貴の彼女ちゃうかあ?あいつも堅物やと思ってたけど―――」

 雅勝は博崇の話を最後まで聞かずに、慌てた様子で、前掛けと頭巾を外して表へ出て行った。

 「は?なんやねん……」

 話の途中で放り出された形になった博崇は、へらへらと貼り付けた笑顔の自分がアホみたいに思えて、こめかみが脈打つのを感じた。チッ、と舌打ちしながら、ドスンと丸椅子に腰を下ろす。

 「クソ……オレは菓子屋なんてやりたない。どうせ兄貴がなにもかも持ってくんやろ。なんもかも」

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