第13話「わたしたちじゃない」
次の日の朝、ラウンジの雰囲気は拍子抜けするほど穏やかだった。牧島夫妻も岡嶋も昨日とは打って変わってにこやかな様子で談笑していた。晴人はいつの間にか夫妻に挟まれてちょこんと座り、あれは食べるか、これはおいしいよと、夫妻に世話を焼かれている。
「晴人くん、かわいいわねえ。うちの子にならない?」
「やめとく」
つれないわねえ。でも当たり前よねと、牧島夫人は笑み崩れている。どうやら夫人は子ども好きで、特に晴人くらいの年格好の男の子が可愛くてならないようだ。
「うちの秀人は不調法者で。北原さんがうらやましいわあ」
たしか夫妻の子息、牧島秀人宇宙飛行士は独身だ。
実際に晴人を育てているわたしには、うらやましがられるような役得があるようには感じられないし、他人の子どもを見てもかわいいと思えないが、牧島夫妻くらいの年齢になれば考え方も変わるのだろうか。だったら年を取るというのもいいかもしれない。
朝日の差し込む明るいラウンジの様子を見ていると、昨夜の便箋の不穏な内容は夢だったのかと首を傾げたくなるが、実際に服のポケットにはしっかり折りたたまれた便箋が入っている。そっと触れるとたしかな紙片の存在を感じる。夢じゃない。
みっつの家族が和やかな朝食を終えると、牧島夫妻の提案で「一緒に散歩でもしよう」とエレベーターでホテルの中庭へ下りた。
熱帯の植物が配された中庭の遊歩道をゆくと、そこかしこに小さなアクアリウムが設置されていて、さながら植物園と水族館を一緒にしたような空間が海へ向かって広がっていた。晴人は牧島夫妻の手をとって真っ先に駆け出していった。
「メモに気づいてもらえてよかった」
わたしと並んで歩きはじめた岡嶋はさっそくそう切り出した。
「盗聴?」
わたしも気になっていたので、岡嶋の言葉に食いつき気味に返事をする。
「携帯電話その他のデバイスも、モニターされている可能性が高いです」
岡嶋の言葉にぞっとした。朝食をとったラウンジではそんなことおくびにも出さなかったのに。岡嶋や牧島夫妻は警戒していたのだ。
「いったいだれが」
「
「シーアイ……シーアイ?」
「内閣官房感染症調査委員会。未知の感染症に対する施策を立案、実行する首相直属の機関です」
岡嶋のいっていることがうまく頭に入ってこない。わたしも昨日のメモを見てからずっと考えていた。わたしたちのことを盗聴――監視するなんて、てっきりJAXAなのかと。
「JAXAにはその意思も能力もありません。せいぜい彼らの手先となって働く程度ですよ」
「そのなんとかという機関が、わたしたちに何をしようとしてるんですか」
「情報統制」
「……とうせい?」
「
彼らは新型感染症やこれに付随する偽情報、根拠のあいまいな情報を規制するという名目の下、ほぼ100パーセントの国民が所有しているパソコンと携帯型
「まさか」
「本当です。いまもCICIのプログラムは、世界中のパソコンや携帯型デバイスのなかに潜んでその任務を遂行しています。もちろん、わたしたちのデバイスも」
わたしはいつも首から下げている携帯端末に手を当てた。それはいつもどおりそこにある。
「でも、なんのために? 未知の感染症といったって、わたしたち風邪ひとつひいていないじゃない」
「わたしたちじゃないんです」
岡嶋の声は低く、表情はいっそう陰りを帯びてきた。
「妻が……恵理は体調を崩しています。日中会ったときから様子がおかしかったのですが、昨夜、JAXAの研究所で倒れたと連絡がありました。
彼女の様子とこれまでの経緯から、恵理は未知の病原体が媒介する感染症を発症したと考えられます」
「感染症……!」
「ええ、『エウロパ脳症』と呼ばれています」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます