第14話「スキャンダルだ」

 背の高い熱帯の植物と色鮮やかな魚たちの踊るアクアリウムとで織り上げられた中庭の迷路を抜けると、真っ青なインド洋に向けて開いた白砂のビーチが現れた。水平線の彼方に浮かぶ雲、輝く太陽、朝の空気はまだ夜の湿り気をふくんでいた。


 ――エウロパ脳症


 木星の第二衛星であるエウロパ探査は、四大国ザ・フォアのひとつ欧州連合EUが先行していた。エウロパを含む木星圏の有人探査は、10数年前にEUの探査機「ピタゴラス」と「アルキメデス」によって行われたがその後途絶えた。その原因のひとつとされているのが、『エウロパ脳症』とよばれる奇病である。


「月の裏側、EUのダロス月面基地での事故はご存知でしょう」

 ビーチへ飛び出していった晴人を目で追いながら、岡嶋の言葉に耳を傾ける。

「原子力発電所の放射能漏れ事故で放棄されたっていう」

「EUが月面基地を放棄した表向きの理由は、そういうことになってます。実際、小規模の放射能漏れ事故はありましたが、それが放棄の理由とは考えにくい。じつは、放射能漏れ事故と並行して基地内に原因不明の感染症が広まっていて、多くの死者が出はじめたからなんです」

「それが……エウロパ脳症?」

「はい。帰還した木星圏探査機「ピタゴラス」と「アルキメデス」の乗組員クルーが最初に発症したことからそう呼ばれるようになりました。ダロス基地の任務ミッションに参加していた宇宙飛行士35名のうち、20名が罹患。のちに全員が死亡しています。――致死率100パーセント」

 熱帯の原色に囲まれたこの世界が、岡嶋のひとことで色褪せ、遠いところのものになったように感じられた。


 国家の威信をかけた六年間の惑星探査。

 歓声に手を振って応える乗組員クルー

 四年に及ぶハイバネーション。

 原因不明の感染症。そして――死。


「スキャンダルだ……」

 暗い情熱に浮かされて饒舌に話し続ける岡嶋が目を見張り、数秒間絶句した。

「――そう。あなたのいうとおりだ。これはスキャンダルだ。『KANATA』計画のイメージダウンにつながるこの事態を、政府とJAXAが公表するとは思えません。

 このことについて、携帯電話で話すことはもちろん、盗聴される恐れのある屋内で話すこともできないでしょう。わたしたちは知ってしまったけれど、まだ知らないふりを続けなければなりません」

「話してしまったら?」

内閣官房感染症調査委員会CICIにこのことが知れたら、わたしたちはされるでしょう」

「措置……」

第二次太平洋戦争ダブル・ポイントの際、戦争協力に反対した人たち約1万人がされ、まだ帰ってきていません。わたしたちもそうなります」

 この国がはじめて化学兵器による攻撃を受けたあのときのことだ。あのとき、被害を受けた南九州を中心に厭戦気分が広がって小規模なデモも行われた。あれから三年、まだ戻らない人がいる。彼らはどこへいってしまったのか、知る人はなく語る人もいない。

「でも、なぜ岡嶋さんは、そんなことまで知っているんですか」

 だれも知らないはずなのだ。だれも語りはしないのだ。この神経質そうな若い男が、わたしの知らない何を知っているというのだ。

「あなたはだれなの」

 はじめて正面からしっかりと見た男の顔は、思った以上に若く繊細そうだった。目は赤く充血していて、多分眠れていないのだろう。

「ぼくは、ぼくです」

 若い男は苦しそうに声を絞り出した。

「何者でもない……岡嶋聡太だ。宇宙飛行士、岡嶋恵理の夫で内閣官房感染症調査委員会CICIの検閲官、岡嶋聡太なんだ。北原さん、CICIの捜査、監視班は、ぼくたちをすでにマークしている。ぼくが恵理が倒れたことを知ったのも、ぼくがCICIの検閲官だったからなんだ。手違いだったんだ。本来、知ってはいけない情報に接したぼくはきっとされます」

「岡嶋さん……」

「このことを牧島さんや北原さんな話そうかどうか迷いました。知ったら、そのことで危険を抱え込んでしまう。でも、抱えきれなくて、牧島さんには伝えたんです。そうしたら北原さんにも伝えるべきだって、家族になにが起こったのかあの人には知る権利があるんだって。だから話します。この病気について、ぼくが知っているすべてのことを」

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