第7話 星界点
「わあ」
わたしと晴人は、空港の正面玄関前に止められていた自動車に異口同音の歓声をあげた。そこにはドラマか映画の中でしか見たことがないような白のリムジンがわたしたちを待っていたのだ。
「このクルマが、ホテルまでお送りします」
一点の曇りもなく磨き上げられた自動車の大きな後部座席ドアがひとりでに跳ね上がった。AI制御の自動運転車両にちがいない。晴人は喜んでリムジンに飛び乗り、わたしを手まねきする。でも、宇宙飛行士の家族だというだけでこんな厚遇があっていいものだろうか。
「どうぞ」
うながされて乗り込んだリムジンの後部座席は夢にも見たことがない豪華な調度が施された座席だった。無垢材のパネルにホワイレザーのシート。たっぷりとした空間は、大人四人が向かい合って座っても十分余裕ある。わたしの後に匂坂がシートに滑り込んでくるとドアが閉まり、リムジンは音もなく走り出した。
ホテルまでは十五分程度で着くらしい。車内では匂坂が、いま分かっていることとこれからの予定について話してくれた。晴人は、窓の外を流れてゆく南国の景色に釘付けになっている。あ、靴のまま足をあげない! ホワイトレザーが汚れるじゃない。
「ニュースにもなったのでご存知のこととは思いますが、二週間前、木星系探査船『KANATA』は、無事、地球に帰還しました。正しくは
匂坂が手に持ったノート型の端末を操作すると、窓ガラスにシェードが落ちて車内の明度が下がり、《サイクロプス》のホログラム映像が現れた。中空に浮かぶ静止衛星から上下にケーブルが伸びている。
「わたしたちがいまいるのが、ここです」
匂坂はケーブルが地面に接しているところを指した。ここ――アースポイントだ。そこからすうっと視線を上方に移動して、静止衛星を過ぎてリムジンの天井付近、ケーブルの遠位端には土星なような輪を持った施設がある。
「これが
鉄太の帰還を知らせるニュースで《サイクロプス》の映像は何度も見た。軌道エレベーターの宇宙側の端、スターポイントはその姿からサイクロプスの目と呼ばれている宇宙との玄関口である。
「北原宇宙飛行士たち、『KANATA』の乗組員はスターポイントに到着後、静止軌道ステーションまで降下して簡単なメディカルチェックを受けたのち、
《サイクロプス》のホログラムの静止軌道ステーションから下方へ伸びるケーブルの一点が明滅しながら下へと移動している。軌道エレベーターのケーブルを上下する昇降機のイメージだ。
「乗組員のアースポイント到着は、今夕の予定です」
シェードが上がり車内が明るくなって、ホログラムが消えた。車窓の外は、強くなりはじめた日差しに南国の緑が濃い。
「北原さんにはクライマーがアースポイントに到着するまで、ホテルでお休みしていただけます。以上が、北原宇宙飛行士の現状と今後の予定です――」
「鉄太は……。主人は、元気なんでしょうか。あの体調とか……」
実際、『KANATA』乗組員の現状は、テレビやWebのニュースで逐一知ることができ、いまさらJAXAの広報から説明を受けるまでもない。肝心なことは、鉄太がいまどうしているかということなのだ。
「メディカルチェックの結果は良好です。お元気ですよ」
ただ――と匂坂は付け加えた。
「木星までの航海の間、北原宇宙飛行士をはじめ、『KANATA』の乗組員はハイバネーションされていました」
そうなのだ。宇宙船に積み込む生命維持に必要な
「北原宇宙飛行士は、地球と木星を往復する行程の大部分でハイバネーションされていました。約四年間です」
「そんなに?」
正直なところ、そんなことになっていたとは知らなかった。四年も冬眠していたということは、それだけ歳をとっていないということだ。わたしたちは同い年だったから、肉体的には鉄太がわたしより四歳も若くなってしまったということか。
「ハイバネーションの技術は確立されており、その安全性に問題がないことはすでに証明されていますが、覚醒後の反応には個人差があります。宇宙飛行士のみなさんは弱音を漏らさないので、我々にも把握できないのですが、もしかしたら頭痛やめまい、倦怠感などを抱えておられるかもしれません」
そうした場合、宇宙飛行士の異常に気づくのは彼らの家族であることが多いと匂坂は付け加えた。
「今後とも、JAXAとその活動にご協力をお願いします」
匂坂が丁寧に頭を下げたちょうどそのとき、リムジンがホテルの車止めに滑り込んだ。そこが、わたしと晴人の旅の一応の終着点だった。
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