第6話 接地点
「きれいな海だね。ハルくん」
わたしも疲れてはいたが、考えていたほど辛くはなかった。飛行機の窓ごしに見える鮮やかに輝く海、珊瑚礁に囲まれた島々、どこまでもつづく水平線。南洋の光景がわたしの気分を高揚させる。いや、この景色ばかりではない、もうすぐ――。
――鉄太に会える。
「お母さん」
晴人が小さな手で指差す先に、ひときわ大きな島が見えてきた。白波の砕ける珊瑚礁に囲まれた緑の島は、その森の向こうに空港の滑走路と近代的なビル群を抱えていた。そして滑走路の先、ターコイズブルーの海に浮かぶそれがようやく見えてきた。空に向かって巨大な砲身を照準している無骨な建造物。天を指差す巨人の手。この地表とはるか上空、静止軌道を結ぶ軌道エレベーター《サイクロプス》の接地点だ。
「わあ」
晴人が小さな歓声を上げて息を呑んだ。わたしも同じ思いだ。なんて大きな建造物だろう。天から追放された
飛行機は高度を下げ、窓の外にアースポイントを見ながらゆっくりと旋回する。窓いっぱいに広がる熱帯の海は、鮮やかなターコイズブルーから落ち着いたネイビーブルーまでさまざまな青の色調をたたえながら珊瑚礁の島々を抱き込んでいる。その中にある
「あれなあに」
「対地ケーブル。静止軌道を巡る静止衛星と地表とを繋ぐケーブルよ……って、ハルくんにこんなこと言ってもわかんないか」
「?」
「うーん。宇宙まで続いているながあいリボンのようなもの。お父さんがあれを伝って降りてくるの」
「あれにつかまって?」
晴人は目を丸くしてきらきらと明滅するケーブルを見ている。鉄太があれにしがみついて降りてくるとでも思ったのだろう。想像するとなるほどとてもおかしいが、ほかにどう説明したら五歳児にわかってもらえるだろうか。
「お父さん、すごい」
分からないなりに、晴人は感心している。その様子も可愛いやら、おかしいやら。そうしている間にも、地上はぐんぐんと近づきつつあった。まもなく飛行機は空港に着陸する。
チェックゲートを抜け、荷物を受け取ると、わたしたちはターミナルビルの到着ロビーに足を踏み入れた。とても明るい。ターミナルビルの天井はガラス張りで、熱帯の太陽光線がロビーいっぱいに差し込んでいた。広くて清潔なロビーに人影は少ない。
「静かだね」
そっとささやくように晴人が呟いたが、それでも十分に聞き取れる。息子の手をとって歩き始めるが、まるでだれもいないかのようだ。飛行機には大勢の人が乗り合わせていたはずだが、いったいどこへ行ってしまったのだろう。
立派な空港ではあるが、ここを訪れるのは
濃紺のパンツにライトブルーのブラウスが涼しげなその女性は、わたしたちを見つけると口元をほころばせて近づいてきた。
「北原麻由子さんと晴人くんですね。お待ちしておりました」
若くてきれいな人だった。隙のない服装、落ち着いた声、優雅な仕草。わたしは同性なのに少し見惚れてしまう。近くで見ると襟に小さくJAXAの徽章が光っていた。
「《サイクロプス》で、JAXA広報を務めております。
まだ二十代の前半だと思うが、この落ち着きはどうしたことだろう。我が身と引き比べて少し恥ずかしくなってしまう。
「ありがとうございます。飛行機に乗っていた時間が長かったので、少し。わたしはともかく、この子が……」
晴人を見ると、ぽかんと口を半開きに焦点の合わない目で匂坂に見惚れていた。まったく、男というヤツは若い女とみると。
「そうでしたね。さっそくホテルへご案内しましょう」
匂坂は、先は立って歩きはじめた。それを追うようにして晴人が続く。一目で匂坂のことを気に入ってしまったようだ。疲れているはずなのに足取りが軽い。なんだかなあ。女としても、母親としても少し複雑な気分だ。わたしはスーツケースの取手を持ち替えると、空港の正面玄関へと向かうふたりを追った。
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