第5話 ダブル・ポイント

 それでも鉄太がエウロパへ向けて出発した時はまだよかった。『KANATA』計画そのものの注目度が低かったからだ。当時は、火星植民計画『ほむら』の第一次調査が人々の関心を集めていたほか、アメリカの有人探査船『アスター』が土星の衛星軌道に宇宙基地を建設することに成功したり、中国の『蒼星三号』が天王星の有人観測を行うなど、木星探索計画は宇宙開発計画としてはすでに時代遅れと見られていた。出発前、鉄太はいくつかのメディアから取材を受けたようだったが、出発後にわたしが目にしたものはなかった。

 それが、六年後のいま、『KANATA』は世界の注目を集めている。テレビは日ごとにその姿を大きくしている探査船の映像を流し続けているし、鉄太の家族であるわたしに対するメディアの取材も多い。

「この六年はいろいろあったから」

 詩織のいうように、木星へ飛び立った『KANATA』が地球へ戻るまでの六年間にはさまざまなことがあった。最も大きな出来事は、アメリカと中国の間にいわゆる“第二次太平洋戦争ダブル・ポイント”が勃発したことだ。足掛け三年間にわたったこの戦争には、あらゆる最新兵器と技術がつぎこまれ、アメリカはロサンゼルスを、中国は上海をそれぞれ失った。両国とその同盟国はこの戦争のために500万人もの兵士、一般人の犠牲を強いられた。

 戦争の影響は、莫大な経費を要する宇宙開発の面で特に顕著だった。火星植民計画は凍結され、惑星探査計画の予算も大幅に縮小された。そして、事故――。管制基地近くに対する空爆の影響を受けた中国の天王星探査船『蒼星四号』が、一時地球からの管制を失うというトラブルが発生、三日後に復旧した時には天王星表面に墜落し乗員五名全員が死亡していたことが判明した事故だ。この直接戦争とは関係のない施設に対するアメリカの空爆には、世界中から非難が集まった。

「あのときは本当に怖くって。『KANATA』までどうにかなってしまうんじゃないかって」

 あれから何年も経つが、蒼星の事故のことを思い出すといまでも震えが止まらない。わたしは昼休みで混雑しているカフェのシートで肩をすくめた。

「連絡はつかなかったの?」

「木星との通信は48分もかかるから、こうやって会話することはできないの。時折、ビデオメッセージを送ってくれるので、鉄太が元気だってことはわかってたけど、問題はこっちで起こっている戦争の方だから」

「そうね。ひどい戦争だった」

 詩織にとっては特にそう。彼女の両親は南九州一帯にばらまかれた中国の化学兵器のために亡くなっている。戦争ではこの国も無傷では済まなかった。

「ごめん……」

「なに謝ってんの。大変だったのは、みんな同じでしょ」

 しんみりした空気を振り払うかのように、詩織はくっとアイスコーヒーを飲み干した。ストローは使わない。どことなく男前。

「そんなこんなあって、『KANATA』はわたしたち人類の復興と希望の象徴で、そのクルーたちの帰還を全世界が指折り数えて待っている……と。でも、大変なんでしょ、メディアの取材とか」

「ううん。それほどでも。メディアからの取材はJAXAの広報を通じて受けることになってるから」

 正直助かっている。私自身がメディア対応をするなんて、考えただけで頭が痛い。

「へえ。そんなところまで国が面倒みてくれるんだ」

「うん、取材申し込みっていったって、ピンからキリまであるしね。それらしい連絡が入ったら、全部『JAXAの広報担当にお願いします』って返信してる」

「VIP扱いじゃない」

 詩織は、らしくもなく驚いている。あなた、こんなことに憧れるクチではないはずでしょ。

「というより、家族の口からもメディアに話して欲しくないことが、たくさんあるんじゃないのかな。宇宙開発にはまだまだ秘密の部分が多いから」

「麻由子、なにか秘密を知ってるの?」

「なんにも。だいたい鉄太からメッセージを受け取るのも、鉄太へのメッセージを託すのも、JAXA経由でやってもらうしかないんだよ。全部、事前に見られてるって」

「それって検閲じゃん。宇宙飛行士にプライバシーってないんだ」

 詩織は盛大に顔をしかめてみせた。それは大げさすぎるけど、真実から発生した演技パントマイムだとわかる。わかった? 宇宙飛行士の妻ってそんなにいいものじゃないの。

「そりゃあ、直接会いたいよね。気持ちを確かめるためにも」

 心なしか詩織の声音が湿り気を帯びたように感じる。きっと気のせいだろうが。

「うん」

「六年ぶりだもんね。夜は、燃えるだろうなあ――」

「……なにが」

 声が大きい。昼休みはそろそろ終わりだけれど、カフェにはまだ人が多い。誤解されたくない……。って誤解ではないか。鉄太にはたまらなく会いたい。触れ合いたい。

『KANATA』は、今日、月周回軌道の内側に入る。そして、鉄太がわたしのもとへ帰ってくる。そのときのわたしはそう信じて疑わなかった。

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