第一章 帰還

第4話 宇宙飛行士の妻

 あのとき、わたしは――。





 宇宙飛行士の奥さんってどんな気分がするものなの? なんともあけすけな質問だけれど、なにごとにもさっぱりした気性の詩織が口にすると嫌味がなく、わたしにとってはむしろ清々しいくらいだった。

 テレビニュースは連日、木星から地球へ向かって疾駆する惑星探査船『KANATA』の映像を流し続け、7億8000万キロメートルの彼方、木星圏探査のために打ち上げた探査船が六年ぶりに地球へ帰還すると伝えていた。

「考えたことないよ、そんなこと。だいたい普段は家にいないんだし」

「そりゃ、これまではそうだったかもしれないけどさ。六年ぶりに戻ってくるんだよ。しかも、ミッションは大成功! エウロパの海から氷を切り出してきたんだから」

 我がことのように語ってくれるけれど、もちろんわたしはエウロパ探査の困難さも、その地表面を覆う「氷」を採取することの科学的意義も承知している。もっとも六年前までは、鉄太が目指しているエウロパが木星にあるのか土星にあるのか、惑星なのか衛星なのかさえあやふやだったが。

「木星の第二衛星がエウロパよ」

 だから、詩織。いまは知ってるって。

 わたしだけではない。世界中のどの国にも先駆けてエウロパ地表面の有人探査を成功させた『KANATA』とその任務のことは、この国の人ならだれもが知っている。そして、人類ではじめてエウロパの地表面に立った男のことも。

「鉄太さんって、すごい人だったんだねえ。結婚式じゃとてもそんなふうに見えなかったけど」

 ちょっと失礼な発言だが、それにはわたしも同感で苦笑するしかない。わたしは歴代詩織の彼氏を紹介されてみんな知っているが、どの人も頼りがいがありそうで魅力的な男たちばかりだった。それに引き換え……どうやらわたしの鉄太は、わたしも含めて女たちから見損なわれる資質を備えている男のようだった。

 なにしろ、いきなり「エウロパへゆく」といったのである。

「は?」

 つわりで苦しんでいるわたしに向かって鉄太は話しはじめた。どことなく情けない表情にみえたのは気のせいではないだろう。妻の妊娠がわかるまで、切り出すことができなかったことを恐縮している様子だった。

 もちろん、そんな大事なことを一人で決めてしまって――という苛立ちはあったが、ひるがえって考えてみると、自分の仕事やお腹の宿った新しい命のことでわたしの頭はいっぱいで、鉄太の仕事がなんなのか、なにに悩んでいるのか考えてみようとしたことはなかった。

「好きにすれば!」

 後ろめたさを感じながらも、そういって切り捨てはしたものの。少し鉄太のことを見直したことも確かだった。なにしろわたしの夫が宇宙飛行士になるのだ。

「だってねえ」

「そうよ」

 親友の詩織は分かってくれていた。

「宇宙飛行士って、精神的にも肉体的にもマッチョなイメージがあるじゃない」

「そうそう。タフなだけでなく知的な雰囲気もあって――完璧な男みたいな? 鉄太さんて全然そんな感じじゃないもんね。意外だ」

 詩織はいかにも残念そう。ひと目見てそうと分かるならば 、私がモノにしていたのにとでも言わんばかりだ。……鉄太はわたしの夫なんだけどね。

 もっともJAXA の研究員として大きなプロジェクトに参加しているということは鉄太から聞いていた。それがなんなのか、どんな任務に当たっているのかについては、頑として口を割らなかった。『KANATA』プロジェクトはこの国の威信をかけた宇宙探査計画で、その行き先も目的も極秘とされ、スタッフには箝口令が敷かれていたのだから、仕方がないといえば仕方がなかったのだろう。


 とにかくわたしは六年前のある日、突然「宇宙飛行士の妻」となってしまったのだった。

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