第20話 マイクロブラックホールでの試練

 ペガサスは化学燃料ロケットでは考えられない加速を続けていた。一瞬にして地球や月が後方に遠ざかる。

 光速の50%を超えて、星虹スターボウが始まった。

 特殊相対性理論の効果により全周の恒星が見かけ上、進行方向に移動して、前方に同心円状に広がる現象だ。昔はドップラー効果により虹色の同心円が形成されるとされていた為、星虹スターボウと呼ばれていたが、恒星の光は多くの波長が組み合わされているので、前方が青く明るく見えて後方が赤く暗くなるだけだ。

 約40分で最高速の光速の87%に達した。星がほぼ前方に集まって見える。

 ここから減速に入る。加速と同様、減速方向に9422Gが掛けられた。

 拓也はマイクロブラックホールの側方5000キロにランデブー出来る様にコース設定を行なっていた。マイクロブラックホールは木星軌道を超え、小惑星帯の軌道に近づいている。

次の40分で減速を終了した。今度はマイクロブラックホールの速度に合わせる為に地球方向に再加速する。地球との相対速度を秒速1241キロまで加速し、マイクロブラックホールに距離5000キロで並走する軌道に入った。


 ペガサスの光学カメラをマイクロブラックホールに向けて最大望遠を掛ける。残念ながら光すら吸い込むブラックホールは視覚情報として捉える事は出来ない。

「縮退炉、アイドリングに入ります」

 遥がモニター表示を見ながら縮退炉の運転減速を告げる。

 その瞬間、ペガサスがギューとブラックホール側に引っ張られる。

「マイクロブラックホールはシュワルツシルド半径が9.8メートル。この位置でも約8Gでブラックホールに引っ張られています」拓也が声を上げる。

「重力半径10メートルでもこれか……。遥、縮退炉の出力を上げて、ブラックホールの引力を打ち消してくれ」

 ビルが指示を出すと遥が縮退炉の出力を上げた。再び、ブラックホールとの相対速度を0とした。

「ペガサスをこれ以上、ブラックホールに接近させるのはリスクが大きい。ここからはデルタ三機で出るぞ」

 ビルの声に拓也と遥が頷いた。


 三人は艦橋の席を立つと、再び格納庫に向かっていた。

 格納庫には三人が乗って来たファルコンヘビーの司令船と共に、三機の亜光速戦闘ロボット『デルタ』が彼等を待っている。

 三人は無重量である格納庫の床を蹴って、それぞれの『デルタ』のコックピットにジャンプした。

 もちろん『デルタ1』にビルが、『デルタ2』に拓也が、『デルタ3』に遥が乗り込む事になる。デルタのコックピットは機体の重心、腹部に設定されている。

 三人がそれぞれのデルタの腹部に近づくと、コックピットの電動ドアが上向きに自動で開いていく。

 コックピットの中は球形の内面の中央にシートが備えられていた。三人がコックピットのシートに座ると自動的にシートベルトが身体を固定し、コックピットのドアが閉まって行く。

 ドアが閉まると、その内側も含め球体のモニターとなり、上下左右360度の視界が確保された。

「拓也、遥、作戦を確認しよう。君達の『デルタ2』と『デルタ3』がマイクロブラックホールを磁気拘束機で捕まえる担当だ。磁気拘束機は二機のデルタで支持出来る様に半球状に分離されている。この拘束機をマイクロブラックホールの両側から等距離で接近させ、拘束機内にマイクロブラックホールを閉じ込める。ただし、拘束機本体がマイクロブラックホールの重力半径の外側に必ず居なければいけない。そうしないと拘束出来ず、磁気拘束機が君達と一緒にブラックホールに吸い込まれてしまう。なので二人が息を合わせ非常に微細な拘束行動が必要となる」

「ただし、マイクロブラックホールの凄まじい重力で、空間にある多くの小惑星等が超高速でマイクロブラックホールに吸い込まれていく。一メートル以下のデブリは、各デルタの重力バリアで撥ね飛ばす事が可能だが、それ以上のものは、デルタに大きな損傷を与える可能性がある。その為、君達二機がブラックホールの拘束に入った所で、ブラックホールの上方で待機する僕のデルタ1が大型の衝突物を検知して、上方から破壊する」

「そして、マイクロブラックホールを拘束してペガサスへ収納し、太陽系外に運び去るんだ……。三人の力を合わせれば必ず成功出来る筈だ!!」

 拓也と遥はそれぞれのコックピットで大きく頷いた。

 ビルに説明して貰う必要も無く、二人もこの作戦の詳細を充分に理解していた。ペガサスの格納庫の減圧が始まる。

「各機、ペガサスの重力圏を離れるとブラックホールに急激に引き寄せられる筈だ。デルタの縮退炉の出力を上げて、外に出るぞ」

 ビルのその声を待つ事無く、拓也と遥はそれぞれの機体の縮退炉の出力を上昇させていた。


 格納庫内の減圧が終了した。格納庫内が完全真空になった所でペガサス後部のハッチが解放されていく。同時にデルタ三機の腕部と脚部を拘束していたロック機構が自動で外れる。

 三機は格納庫内を浮遊しながら、まずは格納庫左奥にある装備品保管エリアに向かった。

 ビルのデルタ1は二機の重力砲を両手で保持した。重力砲は縮退炉からの重力波を対象物に向かって発射する装置で、対象物を完全に破壊する事が出来る。

 また、拓也と遥のデルタ2、デルタ3は、大型の半球の装置を両手に抱えた。これは半径十メートルの磁気拘束機であり、デルタの縮退炉の出力を活用してブラックホールを磁気拘束するシステムだ。

 三機はそれぞれの装備を確保すると、ゆっくりと後部ハッチへ向かって行く。

 ビルのデルタ1がハッチから出るとあっという間に見えなくなった。

 拓也がデルタ2で外に出ると、急激にブラックホールに引き寄せられる。

 縮退炉からの重力制御をコントロールしてブラックホールとの相対速度を合わせた。

 後方から来た遥のデルタ3が拓也の横に並んだ。ビルのデルタ1は既にブラックホールの上方の待機位置に向かっている。

「遥、それじゃ君が後方、俺が前方からブラックホールの拘束を行う。このまま待機位置へ移動だ」拓也は無線に向かって問い掛けた。

「分かった。気をつけてね」

 無線から遥の声が聞こえる。

 拓也は縮退炉からのエネルギーで機体の重力制御を行う共に、機体の外周に重力バリアを張った。

 そしてマイクロブラックホールの進行方向前面に向け、重力をコントロールして進んで行く。


 マイクロブラックホールに近接して来ると重力バリアへブラックホールに吸い込まれる微小物質が当たり始めた。空気がないので音は聞こえないが、モニターにその数が表示される。

 一秒間に平均二十五個もの衝突が観測されている。相対速度は秒速百キロを超えており、重力バリアが無ければ機体はあっという間に破壊されていただろう。

 拓也はマイクロブラックホールの前方500メートルの位置に到着した。

 既に縮退炉は85パーセントの出力で重力制御を行っており、これが無ければ、一瞬でブラックホールへ吸い込まれてしまう程の強烈な重力がデルタ2に掛かっている。

 コックピットの表示を見ると遥もブラックホールの後方の所定位置に到着した様だ。


 その時、デルタ2の後方で大きな物質の破壊がコックピットの警告画面に表示された。

「拓也、今のは直径3メートルの岩だ。上手く補足、破壊できているから大丈夫だ。遥のデルタ3に向かう岩も既に3個破壊した」

 拓也はそうかと頷いた。

「ありがとうビル。頼もしいディフェンスだ。引き続き頼む」

 拓也のデルタ2が遥のデルタ3とシンクロする。ここからは前後から等間隔でマイクロブラックホールにアプローチしなければならない。正確に距離を合わせて進んでいく為、各機の制御をシンクロさせるのだ。

「それじゃ、ブラックホールへの接近を開始だ。遥、準備は?」

「大丈夫、いつでも行けるわ。シンクロ制御は拓也に任せる」

「了解、それじゃ開始する」

 その間も多くの微小物質が二機のバリアに衝突している。ビルの上方からの岩の破壊も継続的に続いていた。

 拓也は相対距離500メートルからのアプローチに入った。

 デルタ2の動きに合わせ、完全にデルタ3が逆方向から同じ移動距離でブラックホールとの距離を詰める。

「400メートル」

 遥が距離を読み上げてくれている。

 ブラックホールへの接近に伴い強烈な重力が二機に襲い掛かる。

 相対速度を維持する為、二機の縮退炉の出力を徐々に上げて行く。今、92パーセントだ。

「300メートル」

 衝突する微小物質の速度も急激に上がって来ている。重力バリアは何処まで持つのか……? 後は祈るだけだった。

「200メートル」


 その時、三機の360度スクリーンが真っ赤に光った。

「何だ!?」「何だって!?」「何なの!?」

 三人が一斉に声を上げる。

「拓也、遥。小惑星帯が近付いている。相対速度は秒速約1300キロ、あと36秒で到達してしまう。経路は小惑星帯を掠める程度だが、そのコースには数メートル以上の岩が数千個観測されている」

 ビルがデルタ1での観測結果を伝えてくれる。

「100メートル、縮退炉全力運転!!」

 遥の声が聞こえる。

「ビル、こちらはあと30秒だ。既に100メートルを切って、デルタの重力制御ではブラックホールから離れるのは難しい。後は磁気拘束を成功させてブラックホールを閉じ込めるしか無い。デルタ2とデルタ3はこのまま作戦を続行する。小惑星の排除は君に任せる」

「50メートル」

「了解した。それじゃ君達を優先して守る」

 ビルはデルタ1のセンサーをブラックホール周辺から小惑星方向に向けた。磁気拘束機がブラックホールを覆い始め、ブラックホールから漏れる重力が減少していく。

「30、20、10メートル」


 その時、三機は小惑星帯に飛び込んだ。

 物凄い勢いで多くの小惑星が通り過ぎて行く。

 拓也のデルタ2の後方でビルが多くの小惑星を破壊している。

「5、3、コンタクト」

 半球の二つの拘束機が接続され球状の磁気拘束機がマイクロブラックホールを囲んだ。

 結果、ブラックホールの重力波が完全に磁気拘束される。

「磁気拘束良好。ブラックホール封じ込め完了」

 それを聞いて安堵の溜息を吐いたビルのデルタ1のコックピットの表示が真っ赤に光る。

「直径150メートルだと!?」

 進行方向に大型の小惑星が急接近し、デルタ1との衝突コースに入っていた。この小惑星はブラックホールの重力に引かれて、デルタ1の下方を通過するコースだったが、ブラックホールの重力波が0になりコースが変わったのだ。

 ビルはその小惑星に向け重力砲を放った。

 デルタ1に衝突する0.2秒前に小惑星は砕けたが、多くの破片が高速でデルタ1を襲った。その一つの破片がデルタ1の縮退炉を貫いた。

 縮退炉の磁気拘束が破れ一気に重力崩壊する。物凄いエネルギーが急速に放出される。

 約800メートル離れていたデルタ2、デルタ3にも15万Kもの高熱が襲った。

 重力バリアが無ければ二機とも燃え尽きていただろう。

「えっ? 何だ?」

 拓也が突然襲って来た衝撃に声を上げる。

「拓也! デルタ1の信号が喪失している! ビル! 応えて!?」

 遥の声がスピーカーに響いている。

 拓也もデルタ1のロストに気付いていたが、突然の出来事に呆然としていた。

「ビル!! ビル!!」

 遥が呼び掛け続けているがビルの応答は無い。

 拓也は理解していた。ビルはデルタ1の消滅に巻き込まれたんだと……。

「遥。まだゲームは終わっていない。ビルはゲームオーバーになったが、俺達がゲームを完了させれば良いんだ!」

 拓也は自分に言い聞かせる様に言った。

「でも……」

 遥もゲームの中だと理解しながらも、余りにもリアルな感覚に戸惑っていた。

「何れにしろ、俺達はゲームを進めるしかない……。マイクロブラックホールをペガサスに載せて、太陽系外に運び去るんだ。そうすればゲームクリアだ! 大丈夫、そうすれば既に外に出たビルと会えるさ」

 遥は未だ納得がいかない想いを抱いていたが頭を大きく振って、これはゲームだったともう一度思い直していた。

「分かった……。それじゃ、これをペガサスに格納するのね」

 遥はマイクロブラックホールを捕縛している球体状の磁気拘束機を見つめながら言った。

 既にブラックホールの重力は完全に封じ込められている。ただし磁気拘束には莫大なエネルギーが必要で、デルタ2、デルタ3の縮退炉は未だ60パーセントの出力で運転を続けている。

「そうだ……。ゲームのシナリオ通りにね」

 遥は拓也のその言葉にもう一度大きく頷いた。


 デルタ2とデルタ3は両手に保持した磁気拘束機と共にペガサスに向けて移動を開始する。

 既に小惑星帯を通過し、ブラックホールの重力場も消えた宇宙はとても静かに感じる。

 二機がペガサスに接近すると、ペガサスの下面の格納ハッチが外側に向けてゆっくり開いて行く。

 ブラックホールをペガサスの重心位置で拘束しておく為、磁気拘束機は通常のデルタの格納庫である後部でなく中央格納庫へ搭載される。この為、格納ハッチはペガサスの下面に設定されていた。

 二機で磁気拘束機を保持したままゆっくり中央格納庫に進入する。格納庫の所定位置に到達すると左右と上部から腕が伸びてきて磁気拘束機を固定した。デルタ2とデルタ3の腕部と脚部もそれぞれ拘束される。そして格納庫のハッチが自動で閉じて行く。

 格納庫の与圧が開始され、気圧が一気圧になると自動で二機のデルタの搭乗ハッチが上方に開放された。

 ブラックホールの磁気拘束を継続する為、二機の縮退炉は60%の出力で運転を継続したままだ。

 拓也と遥はデルタのコックピットを離れると中央格納庫後方のドアに向かった。そしてそのドアを抜けてエレベータに乗る。エレベータ内で二人は言葉を交わす事は無かった。

 ゲームの中とは言え、ビルの喪失は二人の精神こころに大きな衝撃を与えていた。

 艦橋ブリッジに入ると二人はそれぞれの席に着いた。

「さあ、遥、後はペガサスで地球に戻って、司令船で俺達が脱出したら、ベガサスを太陽系外に飛ばすだけだ。それで任務は終了してゲームクリアだ」

 拓也が自分に言い聞かせる様に言った。

「分かった、それじゃ早く戻りましょう。縮退炉、出力上昇。機体方位修正。地球軌道まで約7億キロ」

「それじゃ帰ろう。ペガサス発進!!」

 拓也の操艦でペガサスは再び亜光速に向けた加速に入った。

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