第6話 スポーツワールド、そして

 拓也と遥の乗った機体は琵琶湖の上に力強く飛び出した。一旦、数メートル機体がジャンプ台から沈んだ後、湖面から二メートルくらいの高さで水平飛行に移った。

 後部のプロペラが拓也と遥のペダルの動きで大きく回っている。拓也は前席の前に取り付けられた飛行状況を表示するモニターを見ながら操縦をしていた。高度三メートル、速度は四十五キロ。少し左から風が吹いているので機体の方向を十五度右に向けた。

 幸いの事にペダルを漕いでいるのはゲーム内のアバターなので、この様な非常に心臓に負荷が掛かる激しい運動でも一切息が上がったりしない。だから身体の疲れは全く課題にならない。ただ現実の感覚に合う様に、少しずつプロペラの回転効率を落とす様な制御がゲームに織り込まれており、永遠に飛び続ける事は不可能だった。

 出来るだけ効率よく飛ぶ。また風等の環境変化に柔軟に対応する事が、遠くまで飛び続けるポイントだった。そしてゲームの面白さを上げる為、風速や風向は常時変わる様に設定されており、それを読む力が最も大事だった。

 実は拓也はこのレースに既に十回以上参加しており、その辺りのノウハウは熟知していた。なので拓也にはこのレースに勝つ自信があった。

 風向きが大きく変わる。ほぼ百八十度変わった。

「遥、旋回するから少し漕ぐ力を上げて」拓也は遥に叫んだ。

「分かった」遥が頷く。

 拓也は機体を緩やかに左旋回させた。旋回中は少し揚力が減少するので機体の速度を上げて高度を維持しなければならない。旋回中が最も墜落のリスクが高いんだ。

「拓也、左前!」

 遥が叫んだ。拓也は計器を見ていた為、それに少しだけ気づくのが遅れた。突然ヨットの帆が旋回の経路に現れた。

「畜生!」

 拓也は一旦、左旋回を止め、更に右旋回に入った。その過度なロール変化が、機体の高度を大きく減少させた。あっという間に湖面が近づいて来る。機体のタイヤが湖面を擦った。

「コンチクショ!」「落ちないで!」

 二人はペダルに大きく力を込めた。そして何とか高度を二メートルまで回復させた。更に追い風になる様に、左旋回を進めた。

 遠く前方にスタート地点のジャンプ台が見えている。既に二十四km飛んでいた。このままジャンプ台迄戻れば、確実に優勝だ。

「遥、大丈夫かい?」拓也は後ろを振り返って遥に声を掛けた。

「大丈夫よ。ゲームの中って、ずっと運動していても全然苦しくないんだね。面白いわ」

 遥はニッコリと笑いながらそう言った。

「そうだね。だから、どちらかというと運動技術や知識が必要なんだ。でも慣れて来ると様々なTipsが必要で、それもとても面白いんだよ」

 拓也が嬉しそうにそう応えた。遥はその顔を見て(良い笑顔)と思っていた。

 また風向きが変わる。拓也は風に合わせ機体を少し旋回させた。その時だった。目の前にヘリコプターが低空で、こちらに向かっている。

「拓也、危ない!」遥が叫んだ。

「クソ!」

 拓也は操縦桿を大きく動かした。右にロールしながら旋回する。長い翼端が湖面を擦った。ヘリコプターとギリギリで衝突しなかったが、ヘリコプターのダウンウォッシュが二人の機体を襲った。機体が大きく揺さぶられる。

「ペダルを目一杯漕ぐんだ!」

 拓也が叫んだ。遥は頷きながら大きくペダルを漕いだ。しかし機体は湖面に着水してしまった。結果彼らの飛行距離の記録は四十一kmだった。


「それでは人力飛行機タンデム部門優勝者を発表します。拓也&遥のペアです。記録は四十一kmでした。これは歴代でもトップの記録です。皆さん大きな拍手を!」

 参加したアバターの全員が惜しみない拍手をくれる。

「そして賞金は二百万クレジットです。おめでとう! 拓也&遥ペア!」

 二人は表彰台に上がり、優勝の祝福を受けた。


「おー、流石だね。あっという間に二百万クレジットを確保したね」

 中井の声が聞こえる。

「当たり前です。俺はディスラプターチャレンジのオタクですよ。こんなのは朝飯前です」

 拓也が応える。

「さて、このまま続けるかい? それとも休憩する?」中井が聞いた。

 拓也は遥を見て言った。

「遥、どうする? このまま続ける?」

 遥が大きく頷く。

「疲れていないし、お腹も空いてないから、このまま続けようよ」

 その時、中井が言った。

「遥君、今は本体の方の神経接続を遮断しているから、空腹感や尿意もまったく感じない筈だ。今の感覚をベースに判断するのは危険だよ。良い時間だから一旦休憩して、夕食を食べよう」

 拓也と遥は目を見合わせて頷いた。

「それじゃ、一度、ゲームから出ます」

拓也はそう応えると、ゲームのメニュー画面を立ち上げて、データをセーブした。そして、終了メニューを選択する。

 途端、目の前の画像が消え、アバターの感覚が消えた。そして自分の身体の感覚が戻って来る。

「凄い、本当にこれはバーチャルな感覚なんだ」

拓也はそう呟きながら、コクーンの中で起き上がった。両手で被っていたゴークルを脱ぐと頭を左右に大きく振った。右手を見ると、遥もコクーンから起き上がりゴーグルを外した所だった。

 中井が拍手しながら近づいてくる。

「二人とも凄いよ。最高記録で人力飛行機チャレンジを優勝するなんて。恐れ入った」

 拓也は少し照れながら頭を掻いた。自分の感覚を取り戻すと確かに空腹感と尿意を感じる。拓也が時計を見ると午後八時を廻っていた。

「トイレはこの部屋を出て廊下を右に行った所にあるから。その後この建物の九階にある役員食堂で夕食を食べよう。遥君のお父上には連絡している。拓也君はご家族に連絡しなくて良いかい?」

 拓也は首を振った。

「僕は一人暮らしなので大丈夫です」

 中井が「うん」と頷いた。


 拓也と遥はトイレを済ませると、中井に連れられて九階の役員食堂に入った。そこには三人分の食事が既に準備されていた。テーブルに座って三人で和食のお弁当ボックスを食べる。味も美味しくて、量も充分だった。

 夕食が終わると中井が拓也に問いかけた。

「君達がディスラプターチャレンジに入っている間、拓也君のゲームヒストリーを見たけど。凄いね。君のクレジットはグローバルでトップ三だし、三つのワールドのRTAの記録を持っているんだ。驚いたよ」

 遥が首を傾げて言った。

「中井さん。RTAって?」

 中井が頷きながら言った。

「RTAはReal Time Attackの略で、ゲームを如何に早くクリアするかを競うものだ。ディスラプターチャレンジの各ワールドには、いくつかのメインチャレンジが有って、そのメインチャレンジをクリアすると最終チャレンジに行ける。各ワールドで、開始してから最終チャレンジクリアまでのRTA時間を測定してグローバルに記録している。何と拓也君は、グローバル四億五千万人のプレイヤーの中で、スポーツワールドとファンタジーワールド、それにスペースワールドの記録を持っている。六つのワールド内三つの記録ホルダー。殆ど奇跡だよ」

 拓也が照れながら頭を掻いている。

「まあ、実力だけではなくて、Twoのサポートもあるんだけどね……」

 中井は、食後に出されたコーヒーを飲みながら頷いていた。

 拓也は思い出した様に中井に聞いた。

「中井さん。ファンタジーワールドの中にオープンソースで造られたエリアがあると仰っていましたよね?」

 中井が頷く。

「多分、そこに何らかの秘密があるという事は理解しますが、そもそもそのソースを造った開発者は誰なんですか? 発売する商品に素性も分からない第三者のソースを使う訳はないから、もちろん開発者はご存知なんでしょう?」

 拓也の問いに中井が少し困った様な顔をして拓也を見つめている。

「うーん、勿論知っている。そうか、誰が開発したか知りたいよな……」

 中井は少し考えて言った。

「彼は、ウィリアムシュナイダー。年齢は確か君達と同じじゃないかな。十六歳でMITを首席で卒業して、現在はアメリカ国防総省の技術士官をやっていると聞いている」

「彼はこのゲームのオープンソースグランプリに応募して見事優勝した。そして彼の開発したソースをファンタジーワールドに組み込んだ。そうか、確かにそこに秘密があるとすると、彼はその秘密を知っているかもしれないな……」

「国防総省に勤務という事は、彼はワシントンDCに住んでいるんですか?」

 拓也が問いかける。

「現在の住所は分からない。調べる事は出来ると思うけど」

「ゲームを解かなくても、彼に会えば、いくつかの疑問がクリアになるかもしれないですよね……」

 拓也が呟いた。


 その時だった。

《拓也、危険が迫っている》

 拓也の頭の中でTwoが警告を発した。

「拓也……」

 遥も同様のメッセージをThreeから受けた様で、二人は顔を見合わせた。

 拓也は中井に向かって言った。

「中井さん。危険が迫っています。直ぐに避難しないと……」

 その瞬間、九階の役員食堂の窓ガラスが大きな音と共に飛び散った。そして黒い野球ボールくらいの大きさの物体が飛び込んでくる。その物体からは白い煙が出ていた。

 割れたガラスの向こうに、ホバリングする機体が見える。

「あれは、オスプレイ……」

 特徴であるティルトローターを上方に向けた機体がこちらに機首を向けている。

《拓也、煙は催眠ガスだ》Twoの声が頭の中に響いた。

 目の前で、遥と中井が昏倒するのが見える。

「くそっ……」拓也の意識もアッと言う間に失われていった。

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