反世界 3 マザーズ・ウォーター
隣国へ水面下で繋げられる予定だった海中トンネルの入り口が、ある港町の近くに存在する。政権交代により予算が打ち切られ、途中で建設が中止された秘密の第三セクター。その後とある民間企業に事業譲渡されたが、工事が進まない間に次第にホームレス達に占有されるようになり、最終的に一人の男が買い上げた。当初の国家秘密計画はもはや完全に頓挫している。
『
もともとは別の生活基盤があった者がほとんどだったが、病に罹り市井には住めなくなった連中がコミュニティを築くようになってから久しい。感染者の間にはいくつか共通点があった。それこそが彼らがここに集まる理由であり、また生きる術だった。ここにいればお上からの干渉も、世間からの冷笑も寄せ付けない。
あらゆる技術は日々進歩してゆく。もちろん医療も例外ではない。昔は難病だとされたものが錠剤一つで予防できるようになったりはするが、その分、新しい病気も増える。それは神の意志か、人の業か。そのイタチごっこは人類が進化する限り続く。故に先の短い未来を見据えた彼らは根治を望まず、副作用と共生する事を選んだ。もっとも治療の術は現段階では皆無なのだが。
ある男が此処に住んでいる。登記上は彼の所有物ということになるが、それを知るのはごく一部の者だけだ。そしてその事実は彼以外の者にとっては重要ではない。この集落では
かつて彼は直前の職場があった中立国の研究施設からその職を追われ、ある情報を受けてこの地を訪れた。どうにかして手に入れた古い設計図と睨めっこしながら、先ず始めに床やら壁やらをくまなく調査、観察した。不法占拠されている更に奥深くの区画。あらゆる所に標識や何かの仕掛け、装置が点在していたのを見て取り、実際に触れてみたり、テスターのような
驚くほど様々な設備が整えられていた。施設として完成はしていないものの、充分すぎるほどのツールはある。なるほど確かに悪くない、いや、理想的だと彼は思った。どうやら当時は外郭放水路兼危機管理センターとしての名目で工事が行われていたようだが、それでもおよそ一般市民には知る所でない公共事業の暗い部分だ。当の労働者でさえ何の作業をしているのかわからないという完全分業制、機密保持目的の上層部の常套手段。失われた国家の遺物もいつか人を得て役目を果たせるだろうか。
そして最も眉唾だった噂は本当だった。下層部分には超巨大な装置。古巣にあったものとは比べようもないくらいの代物。それが話に聞いた通りのものなら、彼を取り巻く環境は激変するだろう。これを放っておく手はない。
彼は早速この場所を買収し、拠点とすることに決めた。施設の現状を維持させたままを条件に。どうやら当時の管轄であった行政も、それから払い下げられた業者も、施設について充分な知識と情報を得ていないようだった。それほど極秘にされていた
彼は今や名目上はフリーのエンジニアである。今後の目論みのための秘密基地をこの場所にすることを決定し、直ちにシステムの復旧と整備に取りかかった。非常に大掛かりな
男がその奥の一画で作業をしていると、電子音が鳴り、壁のランプが光り、幾何学模様の切れ目が入った分厚い鉄扉が、入ってきた男の体型どおりに真ん中からパズルのように開いた。まるで人間が壁を突き抜けてきたかのように。音も無く、滑らかに。そしてまた何も無かったようにすぐ元の状態に戻った。
「お戻りかね。
「排水設備に異常はなかったか?」と男は席について、化石のような様式をしたデスクトップPCのキーボードを叩きながら尋ねる。
「ああ、問題ない。けど、あの国もなんでまたあんな所に」
「衛星、無線、電波…そういう物にちょっかいを出すと足が付く。狙うなら物理的な装置なんだろうな」片眼が義眼の男が言う。「どんな先進技術にもインフラが必要さ。そしてそれを支えているのは物理的な設備、アナログな装置と肉体労働の結晶。なんでもかんでも機械化、無人化できるわけじゃない」
「
「自律型ロボット兵器が戦場に導入されても、人海戦術で街中に自爆テロでもされたら勝てやしないさ。人間の体が生身な以上は。なあ?」
男は顔をしかめた。そして微笑み、禁断の果実のロゴマークが入ったラップトップを手に取って立ち上がった。 「考えたくもないな。そんな血生臭い話は」
「ケンカのやり方やカタチってもんは様々だが…おっかねえ話だぜ」
「一仕事終わったところだ。徹夜続きだろう?カフェテリアで
「あいにく仕事が遅れていてね。悪いが…ハッチを開けてくれ」
「
「いいや。『月』の方だ」
大きな音がして、鋼鉄製の扉や床が動き出し、螺旋階段が現れた。男はコツコツとブーツの音を立てながら奥深くまで下って行く。
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