反世界 2 無色路

華やかな歓楽街も、ワンブロック離れれば無個性な住宅街や、寂れた商店街、廃墟同然の忘れられた場所…というのは、どこの都市でも共通していることだ。

無色路ナイシキ・ロード』はその典型。百年も前からほとんど形を変えていない伝統的トラディショナルなアーケード。しかしこの通りを中心とした一帯は政府指定の数少ない自治区の一つだ。東西南北に整然と道路が巡らされているキヨトに於いて、この一画には他の通りとの境目に、コンクリート造りの高い壁と堅牢な鉄製の門が据えられている。ところどころに不穏な内容の落書き、警告文や啓発文が掲示されており、部外者が寄り付く事は滅多に無いが、噂する所ではこの区域全体に光学迷彩が施された監視システムが張り巡らされているという。非合法の周波数による強力な電磁波が干渉し、盗撮や盗聴などのあらゆる妨害を受けることがない。一般人が必ずといっていいほど身につけているデバイスを装着したままこの地に足を踏み入れると、たちまち誤作動で脳を焼かれてしまうという。歴史を感じる建築物の中で最先端の技術を詰め込んだ、閉鎖的で鬱蒼とした極小規模の城塞。地図にはない蜃気楼の街。

 行政区画カウンティの中のそのまた小さな区切りの中での自治指定区域は極めて珍しいが、それはこの地域に住む少数民族、つまりの日本人の自治を保障するものであるが、そこにはあらゆる権謀が見え隠れしている。同化政策に抗い続け、条件付きで手にした特権。そういうバックグラウンドからの流れが意味する所は、当然で独特の文化があるという訳だ。

 大きな特徴の一つが宗教だ。日本古来の宗教である『仏教ブディズム』が盛んな地域であったが、この地区の住人の大多数はその流れを汲んだ、当時最大の権勢を誇っていたとある宗教団体に属していた。

 しかし他国ではカルト視されていた事も踏まえ、思想的に危険だと政府に判断されたため、条約をきっかけに団体は解体させられ、信者達は形式上は改宗もしくは信仰を捨てる事を余儀なくされた。

 現在の列島に住む者のほとんどは『Gee Ess』か無信仰者、そして数々の新興宗教支持者だが、団体の幹部でもあったこの街の当時の代表者は、宗教を持たない民族は結束力にも欠け、人種としても弱くなるという考えのもと、民族として新たな密教を創る必要があるとした。

 それが所謂『ネオ・ブディズム』の始まりだ。

 彼の判断はある意味では正しく、客観的に見ると依然としてカルト的要素も強かったが、なにより彼らには力があった。彼らは特殊な民族意識と確固たるアイデンティティを持ち、その教義や思想を介在してあらゆる方面の陰の立役者となってきた。彼らの営みは主に裏稼業で、ナイシキ・ロード内ではほとんどの店舗のシャッターが降ろされているが、中ではせっせと仕事に励んでいる。大概は必要悪である産業の仲介者として。

 大使館内のように治外法権が認められているわけではない。犯罪行為を容認されているわけもない。そんな彼らが腫れ物のような扱いを受けているのは事実だ。触らぬ神に…という事ではないが、役人も面倒くさがって彼らと積極的に関わろうとはしない。


「俺たちは本来、商人なのさ。連中は変な発音で、ここを『NISHIKI ROADナイシキ・ロード』なんて呼びやがるが、元々はニシキ・マーケットという名前なんだ。商人の魂を忘れてはいけない」


 彼らは独自に綴ってきた歴史を次の世代に伝え、子供達もまたそういった独特の教育を受けてきている。先人達の指導の甲斐もあってか、彼らは類いまれなる選民思想を持ち、高い理想を持っていた。しかしもちろんのこと、極端に排他的な差別主義者でもあった。アメリカ人を憎み、混血を蔑んだ。

 だが日常生活の中では不便な事も多い。例えば彼らはを与えられており、厳密なアメリカ国籍のそれとは異なるので、生活保護的な扶助やら税制上の控除はあるものの、物一つ買うときですらスムーズにはいかない。まず彼らは通信デバイスを身につけていないために、与信クレジットを持つ事ができない。それに合法的に運転免許を持つ事も許されない。もちろん選挙権も無い。何故そうなってしまったかについては、彼らのプライドの高さ故だ。

 併合された後、彼らは選択する自由を与えられた。いわゆる便宜上の理由から名前や戸籍を完全にアメリカのそれと同じにするかどうか。しかし彼らはそれを拒んだ。実質上の同化政策を受け入れる事は、彼らの民族としての矜持が許さなかったのだ。

 もともとでは昔から移民は珍しくないので、例え苗字ラスト・ネームが外国名でも二重国籍だとしても違和感は無い。もちろん多くの日本人はそうした。しかし彼らは戸籍すら変えなかった。にはなりたくなかったのだ。侵略者たちと同じには。そのせいで自治区という風に体良く言ってはいるが、ほとんど被差別階級のような扱いになった。そしてそのまま月日は流れていった。

 徹底した反米教育の賜物により、今から見ると年寄りの世代にとっては、一つの部族をまとめる目的としては功を奏した。だが問題なのは、彼らには情報統制がされていなかったということ。それにより百年ほどの歴史のなかで、徐々に違う考えを持つ人間が増えてきたのだ。

 古い世代のプライドが、皮肉にも若い世代にとってはコンプレックスとなった。三世、四世と血脈が続くなかで、戸籍を取得することすら放棄する家族も現れてきた。存在しない幽霊ゴーストの集団というわけだ。

 ネオ・ブディストたちは世界中にネットワークを持っており、同じ血、同じ思想を持つ者同士として鉄の結束力を持つ集まりだ。それ故に世界の広さを知る新世代のグループの中には、自分たちが軋轢を感じる生活を送らざるを得ない理不尽を、その下らない伝統のせいと決めつけた。自分たちと同じ血を持つ愚かな先人達と、自分たちの祖国を奪ったそもそもの元凶である国家に対する激しい怒りとともに、解放と統治を水面下で画策する動きが進行していた。必要な事は知っていた。やるべき事も分かっていた。

 新たな思想を持つ若い世代の精鋭集団。彼らは歴史を知っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る