反世界 1 ギオンへのエキスプレス

 誰も俺の事なんか見ていない。そんなこと解ってるよ。俺はどうせだ。でも俺にはオマエ等が見える。俺はこの世界を監視する。誰が何をしているのかも全てお見通しだ。

「…このテラ・ダーマ様がカギを握る」

 心を持たないロボットのように、真っ直ぐ前だけを見て足早に進む人間の群れでごった返す地下鉄の駅構内。人の流れに沿わずに進むと、有無を言わさず怒らせた肩に弾き飛ばされそうになる。俺は遊びながら巧くすり抜ける。改札のセンサーに手の甲をかざしたら、地下鉄メトロに乗り込んで今日もネタ集めだ。

 まずはバスルーム便所に入る。そして俺は『デュース』と呼ばれるヤクを鼻から摂取した。見た目には鼻炎の薬みたいなヤツさ。鼻に入れると、すーっと爽快感がして、目、脳に成分が行き渡って行くのが分かる。強い酒を飲んだとき、食道を伝って胃に到達するのが分かるようにな。

 そしたら手を洗って、鏡で自分の顔と服装を確かめる。身だしなみには気を使わないといけない。なにしろ、やっぱり何時でも何処でも見た目で判断される事は多い。世の中の大多数を占めている保守的な人間は『個性』という言葉を決して良い意味では捉えない。だから要は無難に、大衆と同じ色であれ。それが怪しまれないための防御策でもあるんだ。想定し得る余計なトラブルは未然に防ぐ。

 俺はネクタイを真っ直ぐ正し、パンパンと頬を二回叩いた。それから鏡に向かって歯をぐっと剥き出したりして一通り表情を作ってみせる。

 ギオンまでの特急エキスプレスにラッシュ・イン。所要時間にしたらほんのすぐだが。ドアが開いたら人の波に押し込まれて、俺は無表情のまま中に入る。人と人の間を縫うようにすり抜け、しかめっ面や舌打ちを無視してなんとか反対側のドア付近まで行き、手摺のパイプを掴む。すぐにドアが閉じて、電車は走り出す。車内に電子音が鳴り響き、壁面に設えられたモニタ上に電波を表すアイコンのランプが点灯すると、多くの乗客は見合わせたようにネットに接続する。小型のPCを開く者から、手の甲のディスプレイを指先で操作する者、ボソボソ独り言を呟いているように見える者まで様々だ。

 ここだ。ここでちょっとした痴漢行為をやってのける。

 今、一人のスーツを着たからデータを読み取った。電話番号に『MI=DASマイダス』…その、人口の9割以上が使用しているSNS(というよりは登録義務があるので住民台帳データベースのようなもんだが)にアクセス。第一にして最難の関門はrootのログインだが、俺だけが知っている脆弱性を突いて、ほとんどのIDとパスは数秒で抜ける。それからシステムプロファイラに侵入してログを全て解析。住所(現実と仮想現実空間との両方をだ)、氏名、そして触覚にリンクしているセンサー兼携帯端末の『OmniSkin』と、そこから視覚に作用してある『eye-link ROM』へのアクセス方法もいただく。

 デジタル信号が視覚化されて、パズルが全て繋がるようなイメージがする。

 そしてこうすりゃ、登録されてある中からそいつの知り合いのアドレスが判る。そしたらそこにアクセス、個人情報をまた頂く。簡単さ。リンク先と名前さえ分かれば、後の暗号は解析できる。わざわざサーバーのブロックを破る必要は無い。というか、さすがにMI=DASのホストに侵入なんて芸当は出来ないさ。『アンドロメダ』がリアルタイムで監視してるからな。侵入者がいれば可視化されてIPを突き止められて、すぐに御用だ。だから、まあ、このやり方が今のところベストさ。自画自賛になるが、その辺のやり口は天才的だと言っていい。しかも、この方法が一番を稼げるのさ。でもよ、人間、身の回りの人脈には限りがある。だから何人も別の、その基となるデータを頂かなきゃだめだ。一人一人に接触してな。それから自分のデータバンクに保存。だいたい一人に侵入して得られるのは平均して百人分ってとこか。これがなかなか地道な作業だが、きっと実を結ぶだろう。それにこの街じゃ、色んな奴が集まってくる。

 という言葉通りの理屈だと、一人から盗んで、その盗んだ相手からもまた盗む…という手口を繰り返せば、盗むの対象は一人でいい。けれどどういうわけか、そう上手くはいかないんだ。盗めるのはせいぜい、そいつの直接の知り合いのみ。だからコツコツやるしかないのさ。

 この個人情報データがそこそこ集まってくりゃ、まるで俺の目が衛星にでもなってるみたいな、いや、地球にでっかい俺の目が付いているような感じになるだろう。指は十本あってそれぞれ自在に動かせるように、目が何億個もあるようなもんだ。いわばメモリ不足に似たような状態になるから全てを同時に開くことは不可能に近いがな。

 なぜならほとんどの人間は『eyelink』を目に拵えてる。こいつはいわゆるコンタクトレンズだが、格子状のLEDアレイと駆動回路を載せてある。しかもオンラインだ。こいつには網膜の光受容体の代わりになる光感性ピクセルが内蔵されてるから、目で見た物と同じ像を認識し、それを電気信号に変換できる。お望みであれば静止画、動画の撮影はもちろん、デバイスへの制御やネットへの転送も出来る優れものさ。もともとは目の不自由な人間が使っていて、その電気信号を視神経に送る事で脳が像を認識させるようにした代物だった。それが民生品になり、視神経への回路を繋ぐ(こいつには埋め込み手術が必要だから大変だ)代わりに、電気信号を単純にデータとして無線で飛ばせる仕様になったわけだ。

 つまりはこのeyelink、そのTinari社の商標登録のナノテク・コンタクトレンズにアクセスできるアプリケーションを使えば、全ての人間が自分専用の移動式WEBカメラみたいなものさ。

 ただ、今はまだ見てるだけだ。今はまだ。

「見てろよ」確認も兼ねて、さっきのスーツ野郎でログインしてみる。ちょうど彼はeyelinkを起動させている。だいたいのビジネスマンはそうだ。eyelinkとOmniSkin、この二つの装備がリンクしている状態で、さらにネットワークに接続されているということは、そもそも個人のプライバシーなんてものは元から無いに等しい。その人間を管理する者なら誰だって閲覧可能だ。そいつの会社、警察…管理下社会がどうとかなんてレベルじゃないんだよな。

 奴の目には姿。俺は奴が今リアルタイムで目に見えている映像をそのまま見る事が出来る。俺の手の甲についたモニタ上にそれを映す事だってできるし、俺のコンタクトレンズ上、視界の片隅に別窓を開いて表示させたっていい。この男は特に向かいの女の胸元を覗き見するでもなく、今は窓の外を、じっと一点を見つめている。

 もちろんGPSがあるから、この男が地球上のどこにいたって特定できる。エイリアスを専用フォルダにアップデート。氏名と顔写真と一緒に全ての人間が持つIPアドレスに似たような永久的な数値を併せて記録しておく。この数字は戸籍に加えられた時点で割り当てられているものか、はたまた携帯端末の製造番号なのかは分からない。端末のキャリア自体は大手が三社あるから、俺は前者なのだろうと思うが、どっちだっていい。俺が分かればいいんだ。

 そして彼のデータの中にある別の人間にも可能な限りそうする。さて確認終了。この男のプライベートは完全に俺のもの。バレるからやらないが、こっちの都合でいつでもログインしてオンライン状態にもできる。さてcommand+Q、アプリケーションを閉じる。


 …そう。目の前の窓ガラスに映る俺の姿。隣にいるヤツとなんら変わりはないさ。だからこのスクリーンを見ると気分が悪くなる。でもよ、俺にはあってお前らには無いものがあるぜ?

 満足がいくまでスキャンが済んだらメトロから降りる。駅の改札出口を抜けて地上に出て、ギオンに向かって歩き出す。『ステイト・オブ・ジャパン』の州都があるこのカウンティの中でも屈指の悪徳歓楽街テンダーロイン。ここギオンに来りゃあネタには困らない。毎日でもフレッシュなのがスキャンできるぜ。外国人、混血、老若男女だ…。

 外国製の高級車がわんさか路駐しているせいで道路が乗り物やら人で溢れている。タクシー、バス、光の洪水だ。クラクションさえうるさくなけりゃあ。

 娼婦が客を呼び止めているのが見える。彼女たちは地元ローカルの人間が多い。いや、そうなのか明確に区別はできないが、恐らくそうだろう。まず東洋系の顔立ち、それに、だってほら、契約が成立したらしいあそこの二人を見ると、女は男が出したAMEXを受けとった。端末にクレジットリーダー素子を備えてるストリートガールなんて、世界広しと言えどこの国のこの州だけだ。といえど、海を越えた本土に住んでいる女達はそんなものは持たない。そして移民じゃ承認オーソライズできない。つまり先祖というか、元を辿ればこの土地の人間なんだ。グレーゾーンで巧く泳ぐ術と権利を備えている。

 おっと、俺の方にも一人向かってきたぜ。

 指先のジェスチャーで全てが分かる。そして二、三言の会話。ここでひとつゲームといこうじゃないか。当然の事だが、我が国じゃ売春は禁じられている。州条例は細かく違ってはいるが、この国はなんでもかんでも禁止したがるんだ。特に売春には本当に厳しい。今の大統領が女ってのもあるだろうがな。なかなか堂々と店舗を構えられないから、みんな街に出るわけだが、現金なんてものをまず持たないこの国民にとっては、クレジットを受け付ける女は重宝だ。現金商売しかできない本土じゃ男も女もひどく面倒だろう。

 だが俺にとって娼婦…高級コールガールとかなら別だが、特にストリートガールから個別IDデータを読み取ってもあまり意味は無い。本人をはじめ客や友人の情報、つまり本名とか色んな番号やらURLだが、これはお互いに明かさないでおこうという不文律があるんだ。ビジネスであってビジネスでない。というよりは、そこにはセキュリティがかかる。もっと言うと、全くそんなものを持ち合わせてない奴らも多くいる。基本的にセキュリティが一番堅いAMEXしか受け付けない理由もそれだ。それに、生活に最低限必要なもの以外のアプリケーションは外してあるヤツが多い。彼女達は生きる糧とするものがそもそも違っているからだ。だから彼女達は完全にフリー、いわば彼女達一人一人が法人登録した自営業扱いになっているのか、それとも彼女達を抱えている大元が誰かいるのか、それすらも分からないが、どんな場末のタブロイドでもそんな所を掘り下げようとはしない。俺はきっと、登記上は彼女等の元締めが役人関係にも人脈があるような人物で、きっと何かレストランチェーンでも経営してることになっているんだろう。それで彼女等は一人一人が支店という扱いにでもなっているに違いないと思う。ハッキリは分からないけどな。ま、なかなか興味深い話ではあるが、君子危うきに近寄らず、だ。       

 俺が『Gee Ess』であると告げると、女は微笑んで遠ざかって行った。嘘も方便だ。でもイヤな笑顔だったな。そりゃごもっともなんだが。奴らは政教分離の原則も無視して政治にとやかく介入している。そして宗教団体にはありがちな、淫売への強い反発を露にしている。ま、しょうもないネタだが取り敢えずコイツの分はいただくぜ。名前…アダーリア?と読むのか?そして幾つかの画像データと少しのリンク。ほらな、たったこれだけだよ。甲斐もねえ。

 コンビニの前の自販機でを買う。ベリチップを埋め込んだ人差し指を認証部分にかざす。タッチパネルの画面が変わり、単純な操作をして俺は『LINT』を求める。俺の与信から五ドル引き落とされる。残高が表示される。おかしいな、今月はそんなに金を使ってはなかったと思ったんだが?

 しかし道端にこんな機械を置くなんて物騒極まりないと思うが、不思議と機械を丸ごと持って行かれるなんて話は聞かない。それだけセキュリティがちゃんとしているのか、それとも単に平和なのか?まぁそもそも中にキャッシュなんて入っていないんだし、どうせ窃盗なんて同じ罪の重さの犯罪ならもっと合理的で効率のいい手段もあるだろう。

 フィルムを剥がして一本取り出す。この銘柄は地球の裏側で生産されているやつだ。パッケージがシブい。でも最近また税率が上がりやがった。それに反対派の風も強い。ああいう団体の意味がわからねえ。公共のスペースじゃ世界中どこへ行っても禁煙なんだし、酒の方がよっぽど害があるだろう?今日も今日とて、この界隈だけで酒に呑まれて醜態を晒している人間が一体どれほどいる事か。ほら、ちょっと足を止めて辺りを見渡せば、どっかの酔っぱらいが遠くで叫んでいるのが聞こえる。アルコールという、大昔から存在して、またいとも簡単に精製できるドラッグを介して、人間はその営みに色をつけてきた。あの物質は人間を楽しませ、狂わせる。もしアルコールが規制されて人々が酒を飲めなくなったら一体世の中はどう変わっちまうんだろう?

 それは歴史が物語っている。かつて禁酒法時代というものがあったように。つまり結局は誰かが密造して儲けるってだけだ。そうさせるより政府が管理して税金を徴収した方が幾分もおいしい話なんだろう。結局はそれだけの事さ。アルコールだけはいつまでたっても無くならないよ。そういうふうに出来てんだ。そういう仕組みさ。

 それにしても、色んなドラッグが増えてきてるし、喫煙なら大麻をやりゃあいいのに、なぜ金持ち連中はわざわざ違法のタバコや葉巻を吸いたがるんだろう。1パックで50ドルの相場だぜ?信じられねえ。

 俺は左手の掌を握ったり開いたりして、今が現実であることと、自分に血が通ってる事を確かめて、安いガスライターでジョイントに火を点けた。煙を深く吸い込む。

 俺は瞬きをする。光が迫ってくる、少し脈拍が上がっている。実像と残像のタイムラグが変わる。自分が自然と一体化したような感覚になる。そうなってから雑踏を見渡すと、昔の事を思い出した。

 そういやあれが始まりだった。きっかけはそう、二年前だ。酒場である男に出会ったときからだ。名前も未だに知らない。手がかりすら掴めない。

「知ってるか?『コントロール・フリーク』の事を」

「なんだって?」

「世界を牛耳ってるヤツがいるってことだ」

「政治家とか、そういう?」

「ふふ、政治家か…なるほどな」

「よく意味が分からねえよ、おっさん」

「まぁ、まずはコレをやってみろ…」

 見ると、そいつがポケットの中から出してきたものは、見た目には医療用プラスチック・ケースに入った普通の液体だった。もちろん世の中には無数の『無色透明の液体』があるのは知ってるし、水から始まって、中には一滴で死に至るモノもあれば、一晩中勃起が治まらないブツもある。

「音楽を聴きながら使う分には、ただの幻覚剤の類いさ。ただ、モノにはいろんな使い道があるってことは分かるだろ」キャップを開ける。「使い方によってはその威力を発揮できるモノもあるが、料理が下手なら良い食材も台無しだ」そう言って封を切り、俺の方を向けた。 「こいつは人を選ぶんだ。そこらへんの奴らや俺にはとても扱えない…な」

 俺は奴が差し出した、その名を『デュース』を恐る恐る飲んだ。今思えばよくやったと思う。見ず知らずの男が出してきた得体の知れないものを体の中に入れるだなんて。そう、あの時それこそ俺はアルコールによって酩酊状態だったんだ。女を引っ掛けに行った筈が、失敗続きで結局は勃起も出来ないくらいにベロベロに酔っぱらっていた…らしい。

 奴がくれた薬を飲ると、全ての事が明らかになった気がした。今思うとただの幻覚作用だったのかもしれないが、でも確かに今までのドラッグとは全く違う効果が現れた。それは間違いない。

 それから俺は秘密を解こうとした。嘘で塗り固められたこの世界で、俺がそのコントロール・フリークになってやろうとしたんだ。『スーパーマン』に。

 世界を監視する事。生殺与奪の権利を持つ事。それは即ち、『神』であるということ。

 あのとき、そう思った。今でもそこに向かっている。ただの狂った男と思うかもしれない。権力欲にまみれた大人と同じと思うかもしれない。けど、俺には大義があるぜ。れっきとした正義が。

「お前にはきっと才能があるぜ」とその男は俺のツラをじっと見て言った。奴が何者だったのかは、もう今はどうでもいいさ。

「見てろ。俺が世界の目になってやる」

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