第12話 文章を読むときの基本

 7月12日。


エルネスト 「ごめんね、サアラ。せっかく来てくれたのに、30分も待たせてしまった」


サアラ 「気にしないで。突然来ちゃった私が悪いのよ」


「今日のドレス? ワンピース? 素敵だね」


「ありがとう。この淡い色が、帝都で人気なんですって。それはそうと、お勉強中だったんでしょう? あなたとアレンは以前から真面目だったけど、新しい家庭教師の先生が来てからさらに向学心に燃えているって、おうちのメイドさんと話していたのよ」


「ああ。情熱のある先生でね、私もぜひ先生のご期待に応えたいのだけど、アレンのようにはいかないね、まだ2週間にもならないのに話をついていくのがやっとだよ」


「あまり無理はしないでね。ところで、ジナンとアレンはお出かけ中?」


「まだ授業を受けてるよ。先生は君をお出迎えする許可を下さったんだけど、最近はジナンがかなりやる気になっていてね、『せっかく集中力が続いるから、授業を続けてくれ』なんて言うんだよ。アレンはジナンほど燃え上がってはいないんだけど、自分が隣にいた方がジナンの集中力が持続するのを察して、今も一緒に勉強しているよ」


「あのアレンが協力するなんて、ジナンのやる気はそんなに凄いの?」


「ああ。先週、いくつかの山に登って3泊4日のキャンプをしたんだけど、そのとき先生がジナンの背中を上手く押してくださったようだよ」


「キャンプ? 軍事教練か何か?」


「先生は、自分の手を動かす苦労を知らない貴族は後々苦労する、とおっしゃっていたよ。テント設営も料理も夜の見張りも、兄弟3人で協力してこなしていったんだけど、初めてのことばかりだから苦労の連続でね……。でも、そのおかげで兄弟の距離が縮まった気がするし、ジナンも地道な努力をいとわないようになったよ」


「生まれ変わったジナンの顔を見られないのが、つくづく残念だわ」


「喜ばしいことだけど、正直、僕は心配もしているんだ。もしまたこけたら、今まで以上にひどいことになるんじゃないかってね」


「ジナンは昔からアレンに対抗心を燃やして、負けるたび不貞腐ふてくされてきたものね。特に、アレンの魔力測定の後は色んなところに突っかかって大変だったわ」


「あのときは不快な思いをさせて、すまなかったね」


「えーっと……? ああっ、そう言えば、ジナンが私の悪口を言ったことがあったわね。その次に会ったときに謝ってくれたから水に流すことにして、私ったら本当に忘れてたわ」


「君は本当に、子供との接し方を心得ているね」


「それって誉め言葉?」


「もちろんだよ。君が人の嫌なところに拘泥せず、人の良いところを大事にする性格だからこそ、ジナンもアレンも、もちろん私も、君の前で本心をさらけ出していられるんだ」


「ふふっ、ありがとう。でも、ジナンはともかく、アレンって私たちじゃ手に負いきれない何かがあるわよね。あれくらい頭が良いと、勉強も楽しくて仕方ないのかしら?」


「本を読んでいるときも、先生の問いに答えているときも、楽しそうではあるよ。ただ、時々思うのだけど、アレンは教えられたことを暗記したり、テストで高い点数をとったりするのが好きなだけで、自分から何かを学ぶとか、勉強から得た知見を実務や組織運営に応用するといったことにはあまり関心がないのかもしれない」


「政治家や軍人より、学者向き……というか、優等生ではあっても、それ以上でもそれ以下でもないってことかしら?」


「まさにそんな感じだね。私としては、アレンが今のまま育ってしまわないか心配だよ。父はアレンを軍人にすると決めているようだけど、ただの『優等生』では王宮や軍隊の熾烈しれつな権力闘争を生き残れるはずがないからね」


 ☆ ☆ ☆


ローリィ 「それじゃ、続きを読んでいくわよ」


『多くの者は他人の幸福へのやっかみか、己の不運への嘆きで生を終始する。移り気で、あてどなくさまよい、自己への不満のくすぶる浮薄ふはくさにもてあそばれ、これと決まった目的もないまま、何かを追い求めて次から次へと新たな計画を立てる者も多く、また、ある者は、進むべき道を決める確かな方針ももたず、懶惰らんだえ、欠伸をしているうちに運命の不意打ちを食らう。』

(セネカ『せいの短さについて』、大西英文訳)


ローリィ 「『浮薄ふはく』は読んで字のごとく『浅はかで軽々しい様子』や『心が浮ついていて移り気な様子』のことで、『懶惰らんだ』は『なまけている様子』のことよ。ジナンくん、『移り気で、あてどなくさまよい――』の1文が何を言っているかは分かる?」


ジナン 「あー、えーっと……。何かすごくディスられてるのは分かるが、なんて説明すればいいのか分からん」


ローリィ 「いさぎよくてよろしい。1文が長いから、基本に立ち返りましょう。文章を読むときの基本は何だっけ?」


ジナン 「主語、だよな」


ローリィ 「そう。この文に登場する第1の主語は?」


ジナン 「えーっと、『ものも』だ。対応する述語は『多く』」


ローリィ 「そうね。『者も』が第1の主語、『多く』がその述語だから、S①、V①の印を付けましょう。主語節としてはかなり長いけど、この直前の文の『多くの者は』と同じ意味合いだから、それがヒントになってるわけね。さて、第1の述語直後の『また』は並列の接続詞ね。アレンくん、何と何が並列されている?」


アレン 「第1の主語とその述語に対して、第2の主語とその述語が並列されています」


ローリィ 「正解。第2の主語は『ある者は』だけど、その述語はどこかしら?」


アレン 「えーっと、『もたず』、『萎え』、『欠伸をしている』……じゃなくて、『食らう』だけですね」


ローリィ 「そう。動作主が同じだけど、それらの主語は省略されていると見るべきね。文の構造としては、『ある者は』に対応する述語は『食らう』だけよ。S②、V②の印ね。『ある者は』『運命の不意打ちを食らう』のが基本構造で、いつかって言うと、『進むべき道を決める確かな方針ももたず、懶惰らんだえ、欠伸をしているうちに』」


ジナン 「ややこしい文章だなぁ……」


ローリィ 「これくらい普通に読みこなせないと、法律も契約書けいやくしょもろくに理解できないし、魔法理論の勉強なんて夢のまた夢よ」


ジナン 「分かってるよ」


ローリィ 「では、分かっているジナンくん、第1の主語節を文章の形に並び替えるとどうなるかしら。『者』は『人』のことだから……?」


ジナン 「――『人』は、『移り気で、あてどなくさまよい、自己への不満のくすぶる浮薄ふはくさにもてあそばれ、これと決まった目的もないまま、何かを追い求めて次から次へと新たな計画を立てる』」


ローリィ 「うん、第1の主語とその述語の部分は、世の中にはそういう人が多いと言っているわけね。じゃあ、この部分の『自己への不満のくすぶる浮薄さに弄ばれ』ているというのはどう解釈できるかしら?」


ジナン 「自分自身に対する不満――『の』?――くすぶる浅はかさ……?」


アレン 「この『の』は主格を表すかく助詞じょしですよね」


ローリィ 「そうよ。この部分は丸ごと第1の主語『者も』を修飾しゅうしょくする部分だから、これ自体が文全体を貫く主語でないことを分かりやすくするために、『が』ではなく『の』がもちいられているのね」


ジナン 「ちっとも分りやすくねぇよ」


ローリィ 「文章の構造を意識して読み解く経験をめば、こういう工夫を分かりやすいと思えるようになるのよ」


アレン 「『の』が主格を表すということは、この部分は『自分自身に対する不満がくすぶるような浅はかさに振り回され』ているといった意味ですね。えーっと、そうなると……」


ローリィ 「さあ、ジナンくん?」


ジナン 「――多くの人間は、気が変わりやすく、どこへ向かうともなくふらふらして、自分自身に対する不満がもやもやし続けるような浅はかさに振り回され、これといった目的がないまま、何か――『何か』って何だ?」


ローリィ 「何かしらね?」


ジナン 「えーっと、ここはだらしない人間をディスる文脈だから、ネガティブな意味だろ。……『くだらないもの』?」


ローリィ 「素晴らしい発想力ね」


ジナン 「――くだらないものを追い求めて次から次に新しい計画を立てる。また、ある者は、進むべき確かな方針ももたず――何だっけ?」


ローリィ 「『懶惰らんだ』は、怠けている様子よ」


ジナン 「――ぐうたらな生活から抜け出せなくなり、『欠伸あくびを――』……つまり、何事にも真剣にならないうちに、『運命の――』……予想外の過酷な運命に直面する……それで、途方とほうに暮れる」


ローリィ 「多少ぎこちなかったけど、まあ良いでしょう」


『多くの人間は、気が変わりやすく、どこへ向かうともなくふらふらして、自分自身に対する不満がもやもやし続けるような浅はかさに振り回され、これといった目的がないまま、くだらないものを追い求めて次から次に新しい計画を立てる。また、ある者は、進むべき確かな方針ももたず、ぐうたらな生活から抜け出せなくなり、何事にも真剣にならないうちに、予想外の過酷な運命に直面して途方に暮れる』


ジナン 「過酷な運命、原文だと『運命の不意打ち』って言われてるのは、具体的には何のことだ?」


ローリィ 「アレンくん、何だと思う?」


アレン 「うーん……、あ、この本の主題は『せいの短さについて』ですから、死ぬことじゃないでしょうか。あっちにふらふら、こっちにふらふらと楽な方を追い求めて、何事もげられず、時間なんてまだいくらでもあると思っている内に、気付いたときには最期のときをむかえていて後悔する、みたいな」


ローリィ 「そう、まさにそういうことを書いていると読むべきね」


アレン 「なるほど。人生って、たしかにそういうものかもしれませんね」


ジナン 「実感のこもった言い方してるけど、お前だってまだ12歳だからな?」


ローリィ 「あなたたちの人生はまだまだこれからなんだから――いいえ、たとえ残された時間が少ないとしても――、生きて何を成し遂げたいかをきちんと見極みきわめて、力をくすことが大切ね」


ジナン 「ロリ子の人生だってまだこれからだろ」


アレン 「『生きて何を成し遂げたいか』、かぁ……」


ジナン 「何だ? 普段は兄貴や俺が何を言ってもどこ吹く風って感じなのに、今日はみょうにたそがれてるな」


ローリィ 「それを見つけるためにも、どんどん勉強して、見識を広めましょうね」


アレン 「ローリィ先生、お気持ちは嬉しいのですが、その笑顔は怖いです」


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