第11話 焚火ばかり見ていると
その夜、アレンは寝心地が悪くて目が覚めた。かすかに話し声が聞こえてくる。
「そろそろ交代の時間ね。お疲れ様、エルネストくん」
「話を聞いてくださって、ありがとうございました。ハンバート先生は本当に寝なくてよろしいのですか?」
「ええ、だから安心しておやすみなさい」
「ありがとうございます。先生もどうか、お疲れの出ませんように」
キャンプ初日の夜、最初の見張りを務めたエルネストに代わって、ジナンが起きてきた。眠気覚ましに川で顔を洗ってから、焚火のそばに腰を下ろした。
「ロリ子、ずっと起きてるのか?」
「1夜目はね」
「そんなことして、明日は大丈夫なのか?」
「ゴンタもいるし、夜にのんびり座っていられるんだから、マシな方よ」
軽い気持ちで深入りすべきではないと思い、ジナンは黙った。夜の山は漆を流したような暗黒の世界だったが、音は絶えなかった。すぐ近くを流れる川、風にそよぐ木々、うっとうしく鳴く虫とカエル、物憂げな声のシカ……。そんな音に包まれながら、焚火が時々パチッと鳴った。
「焚火ばかり見ていると、暗い所が見えなくなるから気を付けて」
「焚火があるのに寄ってくるとしたら、野盗か」
「野生動物も、意外と火を怖がらないことがあるわ」
「じゃあ、この火にあまり意味はないんだな」
「トイレのとき、足元が見えなくなるわよ」
「それは困るな」
「それに、体温を上げる必要の有無にかかわらず、焚火が燃えていると安心感があるわ」
「……俺の火じゃ、小枝に火を点けるのが精一杯だ。しかも、風に吹かれてすぐに消えちまった」
「今日やってみて、知らなかったことを知ったでしょ。明日はきっと、もう少し上手く火起こしができるわ」
「火なんて庶民の家でも使ってるのに、俺はこんなことにも苦労するんだな」
「最初はみんな、何も知らないところから始めるのよ」
「……兄貴は剣術も勉強もそつなくこなしてるって思ってたけど、魔法以外なら何でも出来るってわけじゃなかったんだな。野菜を丁度いい大きさに切ることに関しちゃ、俺の方がまだ上手くやれてた。
アレンは相変わらず何考えてるのか分からないけど、頭が良いように見えて、不得意な分野じゃ意外と空回りするし、足が滑ったり煙を浴びたりしただけで大慌てするんだなって、今日思った」
ローリィは微笑んだ。ジナンが続けた。
「あいつも、何も知らないところから始めてるんだよな。それなのに俺は……。やっぱり、親が同じでも頭の出来が違う――ああいうのこそが、本物の天才なんだろうな――」
「人や物それ自体に価値の差はないわ。それぞれの人間が、自分の文脈に合わせて適当なことを言ってるだけ」
「
「どうかしら……。何にせよ、あなた自身や他の人がどう思おうと、何を言おうと、あなたとエルネストくんとアレンくんは、3人とも私の可愛い教え子よ」
「みんな違ってみんな良いって?」
「ちょっと違うわね。仮にあなたが他の人より平々凡々でも、この世の誰より出来損ないでも、私はあなたが愛しいわ」
「いっ、愛しい――なんて、急にそんな……!」
「私は思うんだけど、人間はね、人生に試されているの」
「……何?」
「人間は生まれたその瞬間に、誰かとの関係の中に放り込まれるの。誰かにとっての『あなた』であって、誰とも関わりのない存在にはなり得ない。だから、あなたが何かをするってことは、誰かにとっての『あなた』がそれをするってことなのよ」
「……そういう抽象的な話は苦手だ」
「じゃあ、こんな話はどうかしら。私はウェストヒルズ魔道学園に入学した当時、2系統の魔法がどちらも人並み以上に使える天才だって騒がれてた。
自分で言うのもなんだけど、表向きはそこまで調子に乗ってなかったし、同年代の子供たちの間では、敬われたり憧れられたりしてたと思う。
でも、或るとき厄介な病気に
「……病気は重かったのか?」
「幸い、お医者さんが尽力してくれたおかげで、今の私は家庭教師の仕事に支障がないくらいには健康だけど、当時の私は人生が閉ざされた気がした。
神様はどうしてこんなひどい仕打ちをするんだろう、人生はどうしてこんなにも不条理なんだろうって、ベッドの上でよく泣いてた。
でも、お見舞いに来てくれた友人たちと話したとき、このままじゃいけないって気づいたの。
彼女たちが慕う、気高く努力家なローリィ・ハンバートがこんなところで挫けてしまったら、彼女たちを失望させることになる。魔法や名声を失っても、明るく豊かな未来が消えてしまっても、それでもめげずに立ち上がることが、彼女たちのためにも、私自身のためにも必要なことなんだ、ってね。……自意識過剰かもしれないけど」
「いや、良い話だと思う……」
「ありがとう。ジナンくんも私と同じで、自分の人生と対峙してどういう態度を取るか、どういう言動に及ぶかが、アレンくんやエルネストくん、男爵閣下、ご夫人、その他の方々に、何かしらの影響を与えるはずよ」
「何かしらの影響……」
「たとえあなたが家出をしても、ご家族と関わりを持っていた過去は消えない。みんな何かのきっかけがあれば、その度にあなたのことを思い出す。あなたのことを忘れてしまっても、あなたが残した何かが人々の中に残って、価値観や生活を変えていくかもしれない。
人間はみんな、生まれた瞬間から、そういう関係性の中にいて、何かしらの立ち位置を占めているの。大事なのはどう生まれついたかじゃなく、どう生きるかってことの方よ」
「それが、人生に試されるってことか」
「そう。手持ちの札だけでやりくりするにせよ、手持ちを増やしたり減らしたりするにせよ、他人のイカサマを暴くにせよ、勝負はもう始まっているの。
みんな、あなたが人生にどう立ち向かうか見ているわ。アレンくんも、エルネストくんも、私も、もっと言えば神様だってね」
「でも、仮に俺がいなくなっても、アレンがいれば、おやじも兄貴も上手くやって行けるんじゃないか? 影響が残るって言っても、そんなの微々たるものだろうし――」
「それじゃあ、今の内に抜け出して、明日からは2人だけでキャンプさせてみる? 今日の様子だと、キャンプの設営だけで苦労しそうだけど」
「そしたら、キャンプはお開きだよ」
「山を下りたら、アレンくんはもう空回りしなくなるの?」
「……分かった、分かったよ。俺も俺なりに、頑張ってみる」
☆ ☆ ☆
キャンプはその後も苦労が絶えず、3日目には雨も降った。魔獣や盗賊に襲われるような派手な事件は起こらなかったし、いざとなればローリィが助けてくれるという安心感もあったが、その日その日を乗り越えるだけでも大変だった。3兄弟は、自分たちバーロン男爵家の生活が、手間と時間をかけてくれる多くの人々によって支えられていることを痛感した。
アレンに対するジナンの態度は、すぐに変わったわけではなかった。だが、ジナンの口数が減って神妙な顔をすることが増えたのを見たアレンは、彼の中で何かが起こっているのだと理解した。
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