第9話 それじゃ、出発よ

「男爵閣下のお許しを頂いたから、3日後、キャンプに出発するわよ」


 ローリィが唐突にそう宣言したのは、臨時家庭教師になって数日経った日の夕方のことだった。アレンは思わず聞き返した。


「キャンプ?」


「ええ。ナーロッパでキャンプ、略して――」


「ストップ! それを言ってしまうと、ガチな方の清純派女子を合コンに連れ出すような罪悪感があるので、やめましょう?」


「じゃあ、林間学校的なレクリエーションってことでいいわ。とにかく、私たち4人だけで、3泊4日で山々を登って、植生を調べながら、キャンプをするわよ」


「植生を調べるのはついでなんですね」


「まあね。でも、日本にはない植物ばかりだから、退屈しないはずよ。切り離された枝が空を漂うヒノキとか、魔力を吸うと巨大化して七色に光るタンポポとか、見た目はポルチーニに似てて香りも最高だけど鉛みたいに重いキノコとか」


「それは楽しみですね。でも、近代以前の山に入って、クマに襲われたりしませんか?」


「あなたは死なないわ、私が――」


「先生、今更ですが、ナーロッパの人間が現代日本カルチャーをパロディしちゃダメです。世界観が壊れます」


「ミスだらけ、アドリブ任せのこんな作品に、世界観も何もないでしょ」


「そういう本音は歯に挟んどいてください。

 ――それにしても、キャンプか。(僕たち3兄弟はずっと一緒に暮らしてるわけだから、ハンバート先生自身が僕たちと打ち解けるのが目的なんだろうな)」


「明日と明後日は座学をやらずに、午前中で剣術と魔法実技を終わらせるから、午後の時間は好きにしていいわ。

 一般兵士の4人用テントと、最低限の食材、調理器具くらいは男爵閣下にお借りしておくけど、それ以外は自分たちで用意してね。

 野草とかキノコ、薪なんかを現地調達する場合、それらに毒性がないかチェックはしてあげるけど、後のことは自分たちでやってもらうから、そのつもりで。

 ただし、野生動物を狩るのは禁止。山に不慣れな人間がむやみに歩き回るのは危険だし、猟師さんのご迷惑にもなるから」


「(ん……?)」


 ☆ ☆ ☆


 キャンプ開始当日、昼。


ローリィ 「それじゃ、出発よ」


アレン 「てっきり朝から山に登るのかと思っていましたが、午前中に剣術と魔法実技の訓練をした後に出発するんですね」


「魔法と違って剣術は毎日続けないとすぐ衰えるし、魔法にしても、学び始めでいくら時間があっても足りないくらいだから、訓練するのは当然よね」


「そりゃそうですけど……荷物がこんなに多いとは思いませんでした。聞くところによると中世ヨーロッパの貴族は野菜を食べなかったそうですが、この荷物は野菜メインですね」


「この世界には魔法があるから、農業も交易も史実のヨーロッパより発達していて、料理も様々に展開しているの。香辛料はまだまだ貴重だけど、塩はもちろん砂糖も庶民に優しい価格だし、貴族や商人はコーヒーや紅茶を楽しんでいるわ。野菜を毛嫌いしていたんじゃ、美味しいものを食べ逃すわよ」


「狩りは禁止のはずなので、ゴンタがいるのは番犬としてですよね。ニワトリが3羽いるのは、卵用ですか?」


「ええ。かごの強度には問題ないだろうけど、逃がさないように気を付けてね」


「この量だと荷車が欲しくなりますね」


「山道だから、馬は歩けても荷車は使えないんじゃない?」


「……僕の土魔法で舗装しながら進みます」


「大人の土魔道士なら出来るかもしれないけど、今のあなたがやるのは無茶ね。アレンくん、馬は用意してないの?」


「てっきり、荷物を背負って運ぶのもキャンプの一環だとか言われるものと思ってました。馬を連れていっていいなら、荷物を馬に載せて、山道も馬に乗って登りますけど……」


「別に禁止はしなかったから、自力で調達できるならそれでも良かったわよ。でも、今の時点で用意できてないなら、馬なしで出発するしかないわね。事前の準備の大切さを学ぶのも、このキャンプの目的だから」


「えぇ……」


エルネスト 「ハンバート先生、私が用意した馬に、ジナンとアレンの荷物を運ばせても構いませんか?」


ローリィ 「あなたたち兄弟で助け合う分には、好きにしていいわ。ただし、馬に無理をさせないようにね」


エルネスト 「助かります」


アレン 「エルネスト兄さん、馬を用意していたんですね」


エルネスト 「荷物を持って移動するなら、馬は必需品だよ。城にもたくさんの馬がいるんだし、使わない手はないよ。アレンが最初からそういう発想を欠いていたとは、ちょっと意外だね」


アレン 「えーっと……、そうですね、うっかりしていました。(登山やキャンプと聞いたときから、前世のイメージでもっとライトなものを想像しちゃってた。考えが甘かったなぁ……)」


エルネスト 「私が馬を調達している間に、ジナンが他の準備をすると言ってくれたんだけど――どうだい、ジナン?」


ジナン 「ああ。一応、荷車と、から水瓶みずがめ、毛布、雨具、テントの下に敷く板――。まあ、荷車は無駄だったようだがな」


エルネスト 「そんなことないさ。馬に背負わせきれない物をふもとまで乗せていけるだけでも、楽になるよ」


アレン 「ジナン兄さん、意外と用意周到なんですね」


ジナン 「いや、俺は兄貴と話し合って、あった方が良い物を、集められるだけ集めただけだ」


アレン 「(どうしてその話し合いに僕は呼ばれてないんだ?)」


エルネスト 「アレンは何を持ってきたんだい?」


アレン 「キャンプで暇になったときのために、本を……」


エルネスト 「キャンプってそんなに暇になるの?」


アレン 「テントの設置と料理を終えたら、暇になりません?」


エルネスト 「でも、その前に山道を登るんだろう? 草木の調査もあるんだし、暇にはならないんじゃないかな?」


ジナン 「仮に暇になっても、そんときは筋トレとか剣術の練習とかすればいいんじゃないか? 木剣は護身にも使えるんだし」


アレン 「それは……たしかにそうですね。(キャンプの空き時間を全部「体育」に回すなんて僕にとっては地獄だけど、エルネスト兄さんもジナン兄さんも座学よりそっちの方が好きだから、文句を言いづらいんだよな)」


ジナン 「気づいてなかったのか」


エルネスト 「読書好きなのはアレンらしいけどね」


アレン 「(この世界には娯楽が少ないから本を読むくらいしかやることがないってだけなんだけど、傍からは勉強熱心に思われる。困ったもんだ)」


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