第30話 忍び寄る魔手

 大苗代崇人とわかれて先に次の授業の教室へ、イザナミと櫛引尚美は向かっていた。

「ナミさんからもお聞かせ願えますか?」

「…何をだ?」

「船で引き上げたときのお話ですよ。後は発見物の外観とか…」

「我は知らぬ」

「そ、そうなのですか? ですが同じ学部の方ですよね?」

「知らぬと言うておるのが聞こえぬのか?」

「あ、えっと、すみません」

 イザナミが知らなくて当然だ。なぜなら彼女は引き上げられた側の存在。引き上げた側の状況など知るよしもない。話せと言われても話せるはずがなかった。

「しかしずいぶんと奇特な奴だな。急いで聞いて回るような話でもなかろう」

 歴史的大発見に興味があって行動している、という行動原理はわからなくもない。しかし昨日の今日で再び足を運ぶのが妙であった。

「好きなものには飛びついてしまう性格なので」

「そうか。まぁそれは各々の好き勝手にすれば良い。お前の…どこだったか忘れたが、勉学の足手まといにならぬ程度ならな」

「姫園女子学院大学です。ふふっ、ナミさんって面白いだけでなく、お優しいのですね」

「…は? 優しい?」

「そんなに怖い顔をしてはいけませんよ。ほぼ初対面のような私の勉学の遅れを気にかけてくださるのですから、お優しい方です」

 面と向かって優しいと言われ、イザナミは返す言葉が思いつかなかった。

 今までイザナミは恐怖の象徴のような印象しか持たれてこなかった。最初こそ良き妻良き母であろうとしたが、自らが産み落としたカグヅチによって黄泉国に行って以降、同じ神々からも好印象を持たれる事が無くなった。そしていつしか恐怖の象徴であることが日常になってしまい、そういった目で見られることがイザナミにとって普通となり、自らの振る舞いもその視線に添った物となっていた。

 故にいったいいつぶりかわからない言葉に、長らく忘れていた本来の自分の片鱗がある事を思い出した。

「ねぇねぇ、そこのお二人さん」

 次の授業が行われる教室がある建物の前まで来た時だった。勉強しに来ているとは思えない格好の男二人組に声をかけられた。

「はい、なんでしょうか?」

「ごめんね、さっき話してるの聞いちゃってさぁ」

「君、姫園の子なの?」

「ええ、そうですが…何かご用ですか?」

「いやぁ、姫園に通ってるお嬢様とこんなところで会えるとは思わなくて、ついつい声かけちゃったんだよね」

 いわゆるナンパのようなものだ。

「それで姫園に通うようなお嬢様がこんな大学に何か用なの?」

「良かったら俺達が手伝ってあげるよ」

 姫園女子学院大学に通う櫛引尚美が二人組のターゲットのようだ。

「それはありがとうございます。ですが、それには及びません。もう用件に関しては先約がありますので」

 船での発見物を引き上げたときの話を聞くのが櫛引尚美の用件だ。そしてこの後、その用件は大苗代崇人によって達成される。他の人に頼る必要性はなかった。

「えー、それは残念だなぁ。他に用事とか無いの?」

「はい、今回の用件は一件だけですので」

「へぇ、そうなんだ。それでさぁ、どんな用事なの?」

 なかなか逃がしてくれない。二人の男は食い下がり、諦めようとしなかった。こういうとき、イザナミがバンッと突き放しそうだが、彼女は先ほど櫛引尚美に言われた思いがけない一言から、まだ本調子に戻っていなかった。

「先日歴史的な大発見があったと聞きました。船で発見物を引き上げた話です。その時の細かい状況をお聞きしたくて、その時作業されていた方にアポを取りに来たのです」

 船での引き上げに関わった生徒は一学部の一教授のゼミを受けていた少数の生徒。彼らが今言った対象である可能性は低く、条件に合わなければ解放されるだろうという思いも少しあり、用件を口にしてしまった。

「あれ? それって環境文化部の新島教授のゼミの話じゃねぇの?」

「そうだな。そういえば船に乗せられて何か引き上げたって聞いたな」

 どうやら二人は船に乗っていた誰かと知り合いのようだった。

「話が聞きたいんだったらそいつ紹介するよ。どう?」

 話が進展する前に一人が携帯電話を取りだした。即座に無言で連絡先を交換しようと持ちかけているのだ。

「いえ、すでにアポをとりましたので…」

「いやいや、俺らの知り合いはもっと詳しい話できるよ。だって新島教授のゼミの受講者だからさ」

「船を出すってなった経緯から詳しく話せるよ。何だったら今からでもそいつと会えるようにするけど?」

 男達はここぞとばかりにたたみかけてくる。この勢いを経験したことがない櫛引尚美は押され気味で、どうすれば上手く切り抜けられるかと言いことを考えることすらできなくなっていた。

「連絡取れたよ。俺らの馴染みの店で合流できるよ」

「よし、じゃあ決まり。今から行こうよ」

 男二人組のたたみかけを拒否できず、ながされるままになってしまう。一縷の望みをイザナミに託し、精一杯の気力を振り絞った。

「な、ナミさん!」

「…ん? なんだ?」

 まるで心ここにあらずといった様子のイザナミ。ようやく声をかけられて正気に戻ったようだが、まるで状況を理解していなかった。

「良いお店でいっぱいおしゃべりしようって話だよ。お友達みたいだし一緒に君も来るよね。お友達を一人にしない優しさ、持ってるでしょ?」

「…その店は酒が美味いのか?」

 いつもなら簡単に突っぱねそうなイザナミだったが、お友達や優しさという単語に加え、お店という場所を指定された。これに一瞬の間を置いて、前向きな発言が飛び出した。

「もちろん、俺らの馴染みの店だからとっておきのもサービスで出せるよ」

「そうか。なら行こう」

「え? で、でも授業は…」

「そんなもの後でどうとでもなる」

 せめて授業にこだわってさえくれれば、と思った櫛引尚美。しかしイザナミの答えは真逆だった。

「ヒュー、そう来なくっちゃ」

 二人組に連れて行かれるように歩く。次に受講するはずだった授業の教室がある建物からどんどんと遠ざかっていく。なんとかしなければと櫛引尚美は形態を取りだして操作しようとするが、それを男達は許してくれない。

「そらほら、そんなの置いとけばいいじゃん」

 一緒にいるイザナミは危機感のようなものを微塵も感じておらず、特に何かを疑うこともなく男達に同行している。

 遠ざかっていく建物の方を一度見るが、大苗代崇人の姿はまだ見えない。櫛引尚美はイザナミと共に、授業の教室どころか大学の外へと連れ出されていくのであった。

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