第21話 その事実は存在しない

 授業を終えて帰路につく前、研究室に寄ることにした。研究室にはいくつもの機材が運び込まれて、神代文字の刻まれた石棺の調査が行われるはずだった。しかしイザナミが目覚めたことで研究室がどうなったか、また今後どうなるのかを日下部教授に聞くためだ。

 そしてイザナミが目覚めたということを隠さず、石棺を発見した教授に直にあってもらって知ってもらおうとも考えていた。

「ああ、崇人君。今機材トラブルの対応に忙しくてね」

 しかし立って動くイザナミを目の前にしても、日下部教授は微塵も反応を見せなかった。それどころか研究室へ来る廊下で、石棺の中を見ていたはずの他大学の研究者達や別の学部の教授達ともすれ違ったのだが、誰一人としてイザナミに気付くことはなかった。

「あの、石棺の中身は……」

「ああ、それなら早朝に政府の研究機関の人達が国家権力を振りかざして持って行ってしまったらしい。学長の許可も出ていたらしく、警備員には止めようがなかったそうだ」

 石棺の中身が空になっていることには理由があるため違和感はないらしい。しかし今、教授の目の前でその中身が普通に立っている。そこに誰も気付かないということに気味の悪さを感じていた。

「研究したかったがしかたない。代わりに大学への補助金は上乗せされるらしいし、来年度には学部の廃止どころか存続の上に割り当てられる予算も増額されると決まった。ここは悔しいが、黙って受け入れるしかないだろう」

 教授は複雑な表情を見せている。学部の生徒の数が入学当初から比べて激減してしまっているのだ。どうやらその影響で学部を廃止する話まで出ていたようだが、今回の発見のおかげで学部の存続と予算の上乗せが決まった。教授としてはこれ以上の待遇はない。ならば多少の理不尽にも目をつむらなければならない。

「それに何か新発見があればその研究発表の場に呼ばれる手はずになっている。今はそれで我慢するとしよう」

 落胆だけでなく安堵もある。しかし、やはり研究者としては悔しい。そういった思いが言葉から伝わってくる。

「崇人君にも手伝ってもらったが、こういう結果になってしまって悪いね」

「い、いえ……」

「それと機材トラブルでデータが飛んでしまってね。石棺の中身の映像や画像のデータが全て無くなってしまったんだ。政府の研究機関の方にあるとはいえ、見つけた以上は写真からだけでも何か見つけたかったんだが……」

 データすら消去されている。国家権力が総動員されて事実を消し去ったかのように、石棺の中身という情報は形として全く残っていないようだ。

 それでも目で見て脳で記憶したものは頭の中に残っているはずだ。立って歩く人間が石棺の中で眠っていたとは思えない。そういう先入観から気付かないのかと思い、直接教授に問い質してみることにした。

「教授、あの……こちらの彼女のことなのですが……」

 意識してイザナミを見れば思い出すかもしれない。そう思っていたが、教授の様子から気付いたようには見えない。

「ああ、君だったのか。学長から話は聞いているよ。中途入学者だね」

 イザナミの記憶など一切無いのではないかと思うほど、石棺の中に眠っていた相手に対する対応にしてはあっさりとしていた。

「ああ、崇人君。もういいかい。機材トラブルの対応に忙しくてね」

「あ、はい、わ、わかりました」

 結局、最後まで日下部教授はイザナミが石棺の中身だったと気付くことは無かった。

 研究室を出て廊下を歩く。研究室がある建物内には石棺の蓋が開けられたときに立ち会っていた人達が少なからずいる。しかしその誰もがイザナミに目もくれず、自分の目的のために前を向いて歩いている。すれ違っても挨拶しても、誰一人として気にかける人はいなかった。

「どうなってんだ?」

 まるで全ての人の記憶が消されてしまったか改ざんされてしまったかのように、イザナミが石棺の中で眠っていたという事実そのものが無くなってしまったかのように、全ての人がいつも通りの日常を生きていた。

「ふむ、おそらくだが……アマテラスが何か手を回したな」

「え?」

「調べさせる。少し待っていろ」

「は、はぁ……」

 手を回した、と言われてもピンとこない。機材のデータと人間の記憶は違う。ましてや昨日の今日で、しかも大勢いたのだ。全員の記憶を改ざんするなど不可能だ。もしそんなことができるとしたら、それはまさにSFというカテゴリーに当てはまる未来的な科学技術が無ければ不可能だろう。

「……獏? それと枕返し? なるほど、そういうことか」

 虚空にまるで誰かがいるかのように、伊佐成美は誰もいない空間から何かしらの報告を受けている。カグヅチやタマの姿が見えなくなったように、目に見えない何かがそこにはいるのかもしれない。

「人間の眠っている時に見る夢には記憶を整理する意味もある。その際に獏に夢を食べさせ、枕返しに幻夢を見させたようだな」

 記憶改ざんの方法はSFではなく、完全に非科学的な手法だった。

「あの日石棺の中にいた我を見たものは全員この手法で記憶の改ざんが行われている。お前以外の全員が、あの日の石棺の中には人骨のような遺体があったと記憶している。あとは国家権力を行使して目に見える形の情報を消し、我が石棺にいたという事実が外に漏れることはなくなったようだ」

 政府や宮内庁といった組織が絡んでいる。しかしそこに目に見えない神様という存在まで加わり、その全てが総力を挙げて真実をもみ消しに来た。こうなれば真実は完全に闇の中となり、イザナミが石棺から目覚めたという事実は最初から無かったことになる。

「は、はは……情報の隠蔽というか削除というか……まるで映画だな」

 神様という存在には怖いという思いはあった。しかしそこをフォローするように国家権力までが一緒になっている。目に見えない存在の怖さに加え、目に見える現実的な怖さも相まって、今こうしてイザナミという存在と接触していること自体に緊張感を持つようになってしまった。

「さて、行くぞ。いつまでもあの忌まわしい石棺の近くになどいたくない」

 さっさと廊下を歩いて行ってしまうイザナミ。その背中を追いかけるのを一瞬躊躇った。しかし与えられた役目を全うする以上に、その役目を放棄する方が何百倍も怖いと気付いた。

 無意識のうちに早足で、歩き去って行くイザナミの背中を追いかけていた。

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