第16話 早朝の来訪者

 翌朝、日が昇り始めた頃くらいの時間帯。頭に響く呼び鈴の音の連打で目が覚めた。

「なんだよ……こんな時間に……」

 寝床から這い出るように起き上がる。昨夜は高天原へ行っていたこともあり睡眠時間は不十分だ。その性で眠気から足元や頭がふらつく。

「はい……どちら様?」

 しっかりと開いていない目で、部屋の前にいる早朝の来客を見る。スーツを着た、大人の男だった。

「大苗代崇人で間違いないな」

「はぁ……そうですけど……なにか?」

 寝不足のせいで不用心に扉を開け、バカ正直に受け答えをしていた。

「私はこういうものだ」

 スーツの男は胸ポケットから身分証明書を取り出して見せてきた。そこに書かれていた「宮内庁」の文字で眠気が一気に吹っ飛んだ。

「え? 宮内庁?」

「そうだ。少し時間をもらえるか」

「は、はい。じゃあ中に……」

「いや、簡潔に済ませるからここで良い。それに、イザナミノミコト様には近寄りがたい」

 どうやらこの部屋に神様がいることを知っての来訪のようだ。

「えっと、それで用件は……」

「ああ、これを渡しに来ただけだ。使い方は君からレクチャーして欲しい」

「スマホとカード?」

 渡されたのは最新型のスマートフォン。新型発表の宣伝で見たことがあるので知っていた。渡されたもう一つのカードだが、これはクレジットカードだろうか。

「変わったデザインのカードですね」

「ブラックカードだからな」

「……ブラックカード?」

 聞き馴染みのない言葉に首をかしげた。

「ゴールドカードやプラチナカードよりも上のカードだ」

「……はぁ?」

 ブラックカードは時々話のネタとして耳にはしていた。しかし実物を見るのは当然初めてだ。渡された黒いカードが、噂のブラックカードだという。生まれて初めて目にして、生まれて初めて触れた。

「使用できる上限金額はない。だが、このカードで家際されるお金は全て税金だ。政府も特別枠で予算を組んだ。それを踏まえて君に頼みがあるのだが、できる限り浪費は押さえるように尽力して欲しい。税金だからな」

 昨夜は日本に住んでいれば必ず耳にするような神様と出会い、今朝は政府の予算や税金という話が身近に出た。昨夜からとてつもない大きなドッキリを仕掛けられているような、今までの生活とかけ離れたことが連続して起こっている。

「それといくつか服類と身分証明書類も用意している」

 そう言って彼は足元に置いてあった大きな紙袋を持って渡してきた。紙袋の存在に気付いていなかったため、いきなり渡されて驚いた。

「では、後は任せた」

「え? ま、任せたって?」

「人間世界に危害が加わらないようにしてくれ」

「そ、そんなこと言われても……」

 正直何をどうすれば良いのかわからない。ただひたすらイザナミのために身を粉にして働けとでも言うのだろうか。

「少なくともイザナミノミコト様は君を選んだ。君が不義を働かない限り、人間世界は大丈夫だ……と、聞いた」

 自信をつけさせようとする言葉が丸々伝聞だった。

 しかし言われてみて確かにそうだと気付いた。あの時、研究所内には大勢の人がいた。研究者から学生まで大勢だ。その中で自分が選ばれたというのであれば、底には何かしらの理由があるはずだ。

「選ばれたとしたら、どうして俺だったんですか?」

「そんなこと聞かれてもわからないよ。こっちは昨夜いきなり叩き起こされて、イザナミノミコト様が目覚めたと聞かされた。そして朝までに現代で生活できる準備を整えろという指示を受けたのだ。カード会社や役所に連絡して、ようやくだ」

 宮内庁からやってきた男は大きなあくびをする。どうやら彼もイザナミに振り回された人間の一人のようだ。

「とにかく、だ。ここから先は君次第だ。サポートはできるが、主となるのは君だ」

 懐から名刺入れを取り出して、一枚の名刺を渡される。

「相談事や解決して欲しいことがあればそこに連絡をくれ。税金で動く組織の上層部には一通り柔軟に対応してもらえるように声かけはしてある」

 聞けば聞くほどスケールの大きな話だ。昨日の夕方までごく普通の大学生だった大苗代崇人は、昨夜から神様の付き人になった。しかもその神様は力を行使することで人間の世界どころか神様の世界すらも簡単に破壊できてしまうほどの力を保有している。ちょっとした不機嫌でさえ多大な危機に繋がる可能性があるのだ。

 その危機感は感じているものの、スケールが大きすぎて実感が湧かない。複雑な心境の上に、なんとなく危機感が乗っかっている。そんな状況だった。

「わかったか?」

「えっと、まぁ、それなりに……」

「そうか。じゃあ帰って休ませてもらう。夜通し手回しやこれらの準備でクタクタだ」

 くるりと踵を返すスーツの男。その足取りは重そうで、本当に疲れているようだ。

「連絡をくれと入ったがこっちも人間だ。いつでも出られるわけじゃない。特にこれから数時間は無理だ。じゃあな」

 男はそう言い残して去って行った。振り返ることなく、自宅のマンションの前からはすぐに彼の姿が確認できなくなった。

「えっと、服とスマホに……黒のクレジットカード、か。身分証明書ってどうなってんだ?」

 渡された紙袋の中を覗き込む。服類と一緒に住民票など、役所で取得するような書類が一式入っている。

「えっと名前が『伊佐成美(いさなみ)』って安直すぎないか?」

 名前がそのままなのに目が留まったが、対応に当たった男性も急いでいたのだろうと納得することにした。それに変な偽名をつけて当人が気に入らないという可能性もある。そう考えればこの名前は無難な選択だろう。

「え? 大学生扱い?」

 所属が同じ大学の同じ学部になっていた。共に行動する場合、こうしていた方が動きやすいかもしれない。しかし大学という知り合いが多い場所に神様を連れて行っていいものなのかどうか、またその時の周囲にどう説明したら良いのか、新たな悩みが発生した瞬間だった。

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