第15話 神の力と人(科学)の力

 すでにアマテラスというイザナミの子に会っているというのに、目の前に少年の姿の神であるカグヅチを目にすると戸惑う。イザナミの外見は子供を産んだ女性の年齢には見えないため、一緒に視界に入った状態だとどうしても納得がいかないのだ。

「……不味い」

 コーヒーと紅茶。両方を口にしたイザナミが一言だけ感想を述べた。それ以後、コーヒーにも紅茶にも手を出すことはなかった。二つのコップからむなしく湯気が上がっている。冷めるのを待つだけの未来になるなど、コーヒーも紅茶も淹れ立ての頃は思いも寄らなかっただろう。

「やはりお母様のお口には合いませんでしたか」

 カグヅチがやや残念そうに、しかし納得がいっているように頷いている。

「やはり?」

 カグヅチはこの結果をある程度予見していた。その理由が気になった。

「故郷の味、とでも言えばわかりやすいでしょうか。この国の神はこの国、というか信仰の及ぶ範囲内の食材を特別美味しく感じるのです。このコーヒー豆はコロンビア産、紅茶はインド産ですから、お母様の口には合わなかったのも頷けます」

 日本の神様は日本で育った食材を美味しく感じるということなのだろうか。ならこれから食べ物や飲み物を提供する時は国産であることまで気をつけなければならないようだ。

「それよりお母様。衣服がはだけていますよ」

「隠す必要があるのか?」

「さすがに人がいるところでだらしのない姿は避けた方が……」

「ふん、こやつの目など気にする価値もない」

「そうは言いましても、さすがに男だと問題もあるような……」

「はっはっはっ、カグヅチ、それは面白いな。もしなにやらことを起こそうとすれば、その時は両目をえぐり取り、両手両足をへし折り、二度と普通の生活ができぬようにしてやるまでだ」

 いとも簡単に、さらりと恐ろしいことを言った。イザナミにとってこの程度のことを言葉にするのは躊躇うようなことでも無いのかもしれない。

「こ、怖いよ」

 イザナミなら何かのきっかけで、思いつきと衝動で簡単にやってしまいそうな嫌な予感がした。

「我が神の力を行使すれば他愛もないこと」

 一瞬、これでアマテラスから請け負わされた役目を果たせると思った。しかしそのための犠牲が大きいとすぐさま却下した。人間社会に影響が出ないようにするという大前提があるのだ。こんなことを許してしまえばいったいどれだけの被害が出るかわからない。

「神の力を使って人を殺すとか、そういうのは絶対にやめてくださいね」

「ん? なぜだ? 生かしておく価値のない者もいるであろう」

「えっと……そうじゃなくて、あの……」

 何か良い切り返しの言葉はないか、考えに考えて絞り出す。

「今の人間社会はもう科学が全てなんですよ。だから科学的に立証ができない現象が起こると人が大勢原因を解明しようと動きます。そうなるとイザナミ様の周囲も騒がしくなるかもしれませんし……」

 なんとか最もらしい答えを絞り出すことができた。イザナミも秀逸な返しだったのか、反論せずに「ふむ……」と少し考え込む。

「多少のことであればアマテラスがなんとかするであろう」

 しかし反応は思っていたものとは違っていた。厄介ごとを起こしてもたいていのことはアマテラスがなんとかするだろう、という完全に丸投げにしてもなんとかなるという考えだった。

「そういうのはやっぱり限界もありますし、何があっても科学で理解できる範疇を出ないようになんとか穏便に……」

 そこからしばらく、自由気ままに神の力を使ってしまいそうなイザナミの説得の時間が続いた。

「ふむ、まぁ良いだろう」

 イザナミの返答に安心できるまでやや時間を要した。

「先ほど見た物語にも相手に悟られぬよう暗躍することの重要性が語られていたからな」

 説得が成功したのは話題になったアニメを視聴したからだったようだ。

「お母様、お話が済みましたら、はだけた衣服を整えますね」

 カグヅチがイザナミの服を整え、肌の露出を減らしていく。美しい肌が隠れるのは男として少し勿体ない気がした。しかしその考え自体が危険だと、すぐさま理性が警告を出してくる。

「カグヅチよ。ずいぶんと心配性だが、この男の好みは胸の大きな女だぞ」

「……え?」

 突然、性癖をカミングアウトされた。

「え? なに、え? ちょっと?」

 わけがわからず狼狽していると、イザナミがパソコンを指さした。

「色々と熱心だったようだな」

「うわーっ!」

 どうやらアニメを視聴する際、見られたくない情報まで見られてしまったらしい。

「い、イザナミ様! あなた目覚めたばかりでしょう! どうしてそんなに簡単にパソコンを使いこなせるんですか!」

 恥ずかしさのあまり声を荒げてしまう。失礼だとか無礼だとか、そんなことを思う余裕は一切なかった。

「あ、僕が教えました」

 そこでカグヅチが手を上げた。

「お前かーっ!」

「ご、ごめんなさい。お母様が暇だとおっしゃるのでつい……」

 もはや相手が神だと言うことも忘れていた。そしてカグヅチも何故か人間に素直に謝っていた。

「怒ることはないだろう。落ち着け。好みなどそれぞれ違うものだ」

 性癖を覗かれた一般男子としては落ち着けなかった。他に何を見られたのかが気になってしまい、次に何を言われるのか気が気ではなかった。

「何が好きでもかまわぬが、一人で致す際は目障りだ。我の居らぬ時を見計らえ」

「は、はい……」

 一人暮らしをすることで私生活を自由にのびのびと、そして好きなときに好きなことができるという利点があった。しかし今日この日のこの時をもって、その利点は音を立てて崩れ去ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る