第12話 隠された神話
神様というものは実在するのであれば威厳に満ちていて近寄りがたい存在、という認識だった。しかし目の前には神様をとりまとめる主神がいて、従う別の神様が主神のことを「豆腐メンタル」と言っている。
「……あら? 最近の言葉だと思ったのですが、豆腐メンタルは通じませんか?」
意味は通じている。豆腐は柔らかく壊れやすい。その豆腐を精神的な強さに例えているのだ。つまり精神面がまるで豆腐のように弱い、という意味だ。意味は確かに通じているので何の問題も無い。
ただ、その言葉が神様の口から出てくることに戸惑っている。その様子を言葉の意味が通じていないと解釈されたようだ。
「あ、いえ、大丈夫です。わかります」
イザナミからの手紙を見てアマテラスは狼狽えている。定位置に座ってはいるものの落ち着きが見られない。明らかに挙動不審だ。初めて見たときの第一印象を消し去ってしまうほどのその様は、まるで別人のようだ。
「アマテラス様、お使いの方がお返事をお待ちですよ」
「へ、返事? そんなものすぐに書けるわけがなかろう」
イザナミから届いた手紙に書かれていた内容に対する返事。確かに何を書けば良いのか全く思いつかない。
「では、イザナミ様のお手紙を無視なさる、ということでしょうか?」
「そ、そうは言うておらぬぞ!」
無視するわけではない。ただ返事をどう書いていいのかわからないだけだ。
「しかしこのままではお使いの方は帰ることができませんよ」
「わかっておる……わかっておる……」
アマテラスが力なく小声で自分に言い聞かすようにつぶやいている。アマテラスにとってイザナミはそこまで怖い存在なのだろうか。
「あの……」
アマテラスの様子を見て緊張が和らいでしまった。そしてつい、疑問に思ったことを口にしてしまった。
「母親とはそこまで怖いものなのですか?」
自分の母親を思い出してみる。怖くないといえば嘘になる。しかし恐れるほど怖いかと言われれば首を横に振る。大苗代崇人にとって母親は恐怖の存在ではないのだ。
「……イザナミ様は今や特別な存在なのです」
「特別?」
「はい。イザナミ様が長らく眠られていたことはご存知ですか?」
海底にあった石棺の中にいたのだ。長らく海の底にいたと考えるのが普通だろう。
「はい、海の底で眠っていましたよね」
「眠っていた、と言うより封印されていたというほうが正しいのです」
「封印?」
「ええ、イザナミ様は夫のイザナギ様の手により封印され、誰の手も届かぬ場所に隠されました。どこに隠されたかもイザナギ様しか知りませんでした。それがまさか海の底で、さらに人の手によって引き上げられ、さらに封印まで解けてしまうとは夢にも思いませんでした」
イザナギとイザナミの神話は少し聞きかじったことがある。火の神カグヅチを産み落としたイザナミは火の神の力によって深い火傷を負って命を落とした。イザナギは妻とまた一緒になるために黄泉の世界へと向かい、イザナミを連れて地上へ戻ってこようとする。しかし一度死んだイザナミは肉体をひどく損傷しており、地上に出るまでイザナギにその姿を見られないように一言釘を刺しておいた。しかしイザナギはその姿を見てしまい、イザナミは怒った。結局、イザナミは黄泉の国に留まり、イザナギは地上に戻った。二人はここで袂を分かつことになったのだ。
しかし聞いているとその神話とは少し違うような気がする。神話にはイザナミが封印されたなどという描写はないし、イザナギが封印したというようなことも書かれていない。
「あの、その話は初耳ですけど……」
「それはそうでしょう。神の中でもこの真実を知っているのはごく一部の限られた高位の神のみですから」
ほとんどの神様が知りえないことを人間が知っているわけがない。知らなくて当然のことだと、アメノウズメは言っているようだ。
「詳細は省きますが、その封印によってイザナミ様は長らく神としての力を使うことなく眠られていました。これに今日までの信仰による力、さらに黄泉の世界を束ねるものとしての権限などを合わせると、イザナミ様の力は計り知れないものとなっています」
「計り知れない、とは?」
「そうですね。憶測ではありますが、イザナミ様とイザナミ様の従者となる兵力。それらが総力を挙げれば……この高天原は容易に陥落でしょう」
「……は?」
アメノウズメが言っていることが理解できなかった。高天原が陥落する、とはどういうことなのか。
「言葉通りです。イザナミ様がその気になり、高天原へと攻め寄せてきた場合、現在の八百万の神々の総力を結集しても打ち勝つのは難しいでしょう。もっと信仰心の篤い時代であればこのような心配はなかったのですが……」
昨今の科学技術の進歩により、無神論者や無宗教者が増えているという話を聞いたことがある。それでも根強く信仰される神様もいるが、それはアマテラスのような高位で有名な神様に限られる。
「信仰が神様の力にかかわるんですか?」
「全てが信仰に左右されるわけではありません。もとからその神が持つ力に信仰による力が上乗せされると考えてください。そして我らも生きています。生きている以上、力は消費されるのです。ですがイザナミ様は封印されていたため、力の消費が最小限で済んでいます」
生きている以上神様としての力は消費されていく。しかしイザナミは信仰を得ながらも封印されていたおかげで力の消費が少なかった。そして封印されていた時間が長ければ長いほど信仰心は蓄積されていく。蓄積され続けたイザナミの神の力は、高天原に住むすべての神様の総力をも凌駕するらしい。
「現在のこの国において、イザナミ様に抗える力を持つ存在はいません」
アマテラスがイザナミを恐れる理由が分かった気がする。圧倒的な力を持つイザナミは長らく封印されていた。その封印がイザナミ自身の意に沿わない結果の封印であれば怒りを感じていることだろう。そこに信仰心による神の力の蓄積がある。そしてダメ押しはあの手紙だ。むしろ恐れないほうがどうかしている状況だった。
主神であるからこそのプレッシャーもあるのだろう。豆腐メンタルとはいえ、先ほどから一言も言葉を発さないアマテラス。その様子から事の重大性がひしひしと伝わってくるのだった。
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