第11話 イザナミの手紙

 純和風の畳の部屋。畏まって正座で待っていると、アメノウズメが襖を開けた。

「どうぞ、こちらへ」

 いよいよ日本神話における主神であるアマテラスとの対面の時だ。

「は、はい」

 待っている間に緊張が高まってきた。一瞬声が裏返りそうになったが、おかしくはない程度の返答ができた。すぐさま正座を崩して歩き出そうとしたが、立ち上がろうとしたところで足がもつれてしまう。

「あらら、最近は正座に不慣れな方が増えたと聞いておりましたが、どうやら本当だったようですね」

 それほど長く座っていたわけではない。しかし足が痺れてしまい、なかなか動き出すことができなかった。

「急がなくとも、アマテラス様にはお会いできますよ」

 アメノウズメが優しく言い、畳の部屋に座って少し待ってくれた。

「もう歩けそうです」

「そうですか。では参りましょう」

 数分待ってもらってようやく歩くことができるまで足は回復した。先導してくれるアメノウズメの後に続いて廊下を歩くが、その先に待つアマテラスと対面したときも当然正座でなければならない。神話の主神を前にして、またしてもこのような状況になるのかと思うと、不安が徐々に大きくなっていく。

 緊張と不安という負の要素の感情が心のほとんどを占めた状態で、大苗代崇人はアマテラスの待つ部屋へと通された。

「し、失礼します」

 部屋の奥の上座に座る一人の女性。顔立ちは母親であるイザナミと似ているように見える。そしてイザナミと同じように、対面しただけで威圧感のような雰囲気を感じた。神と呼ばれる存在が持つ力の一つなのかもしれない。

 部屋に入って正座をして、深く頭を下げた。何度か祖父と時代劇や大河ドラマなどを一緒に見たことがあるため、その時の武士達の様子を真似するように頭を下げた。作法として正しいのかどうかわからないが、何もしないよりかはよいだろうという判断からの行動だった。

「そなたが母の……イザナミノミコトの使いの者か?」

「は、はい。大苗代崇人と言います」

 深々と頭を下げたまま返事をする。やや後方で同じく頭を下げるタマの姿が視界の隅に映った。

「監視は……いとも簡単に看破されてしまったようじゃな」

「お役に立てず申し訳ございません」

 額が畳に触れるほど深く、タマは頭を下げていた。

「よい。これにて母は長らく眠っていただけでなく、眠っている間に多くの力を蓄えていたことがわかったのだ。一つ収穫があったと考えよう」

 監視を派遣して見つかった。どうやら聞いている限りでは、そう簡単に見つからないようになっていたらしい。しかし簡単に見つかってしまったことで、イザナミの持つ力が大きいということが確定した、ということのようだ。

「さて、崇人と申したか」

「はい」

「母からの手紙を預かっていると聞いている。早速、その手紙を見たい」

「はい、これです」

 上着のポケットから大学の講義で使うノートの一ページを取り出す。気の利いた便せんなど無く、墨や和紙もない。手紙など小さいときに何度か書いたことがあるくらいで、ここ最近は携帯電話でのやり取りばかりで全く書いていなかった。そのため手紙を書くのに用いることができる紙が、大学ノートくらいしかなかったのだった。

「そなたは何が書かれているのか知っているのか?」

「いえ、ただ渡されて、渡してこいと言われただけなので中身は知りません」

 手紙の中真衣を覗き見るという趣味はない。それに手紙とは受け取る相手に対して描くものだ。それを運ぶ人が気軽に目を通していいものではない。そう思うからこそ、内容は気になるが見ることはなかった。

「これが……母からの手紙か」

 アマテラスは一つ、ため息を漏らした。そのため息にどんな感情が含まれているのかはわからない。しかし長らくイザナミは眠っていたのだ。ならばこの手紙はかなり久しぶりの親子の接触だ。

 折り畳まれていた大学ノートの一ページが開かれ、アマテラスの目が手紙の内容をなぞるように一瞬で走り抜ける。一瞬で手紙を読み終えたアマテラスは、ガクッと肩を落とす。

「な、なんと……」

 手から手紙がひらりと畳の床に落ちる。その時、見るつもりのなかった手紙の内容がついつい見えてしまった。

『そちらがその気ならこちらも好きにさせてもらう』

 手紙に書かれていた内容はたったこれだけだった。しかしその短い内容が、よりアマテラスの表情を強張らせる。

「母はいったい何をする気なのだ?」

 アマテラスは無言で考え込む。その間、誰も言葉を発することなく、誰も動かない。無音の空間と静止画のような状態がしばらく続いた。

「考えをまとめたい。しばし籠もる」

 アマテラスがそう言って立ち上がり、部屋の外へ出て行こうとする。しかしその行く先をアメノウズメが先回りして、道を塞いだ。

「どちらへ?」

「考えをまとめられるところだ」

「それならばここでも考えられます」

「いや、此度はことがことなのだ。熟慮に熟慮を重ねなければ……」

「そう言って、また引きこもる気でございますか?」

 アマテラスの身体が一瞬、ビクッと震えた。

「天岩戸から連れ出すのにどれだけ手間と時間を要したがご存じでございますか? 主神としての力を最大限行使して引きこもるなど聞いたことがございません」

「引きこもっていたのではない。自らの判断や考えと向き合って……」

「はい、言い訳はもうよろしいです。まだイザナミ様のお使いの方が居られるのですからお戻りください」

 なかなか元の位置に戻ろうとしないアマテラス。その様子を見てしびれを切らしたのか、アメノウズメはアマテラスの手を引いて半ば強制的に元の場所に座らせた。

 正直、不思議な光景だった。使えているアメノウズメの方が、主神であるはずのアマテラスよりも上のように見えたのだ。

「見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ございません」

 アマテラスを座らせたアメノウズメがペコリと頭を下げてきた。

「なにせ、我が主は今で言うところの……豆腐メンタル、と言ったところでございますか」

 アメノウズメが世間話をするように笑いながら言った。アメノウズメの口から、アマテラスの説明にまさか「豆腐メンタル」などという言葉が使われるとは夢にも思わなかった。

 しかし黙り込んでいるアマテラスを見たとき、なんとなくアメノウズメの説明に納得してしまうのだった。

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