第9話 新時代の悪魔と高天原の住人
沈黙の重苦しい空気が周囲を包み込む。自分の置かれた状況の理解もままならないまま、その空気に押しつぶされるように言葉を失っていた。
「あんた、何者だ? ここらでは見ない顔だな」
「久しぶりに帰ってきたからね。ここに定住している君と顔を合わせたことはないよ」
「そうかい。じゃあどこの誰だか知らねぇが、初対面で食事の邪魔をされて黙ってはいられねぇな」
「食事、ねぇ。もうずいぶんとたくさん食べているようだけど?」
「まだだな。まだまだ足りねぇんだよ。こんなもんじゃ、満足できねぇ」
博魔と呼ばれた巨漢の鋭い視線が突如現れた男性に突き刺さる。しかし彼は飄々とした様子で、まるで巨漢の視線を意に介していなかった。
「……っち、まぁいい。興醒めだ。今回は見逃してやる」
博魔はそう言うと崇人を一瞥し、出した盤や駒を片付け始めた。しかしその大きな背中越しに、強い口調で野望を呟いた。
「俺はもっと食う。そしてもっとでかくなる。時代の後押しもあるんだ。いずれ、この高天原で最も力を持つ存在になるだろう」
そう言うと博魔はギロッと最後に男性を睨み付ける。まるで「その時は覚悟しておけ」と言っているかのようだ。
一睨みした後、博魔は盤と駒を持ってどこかへと歩き去って行った。
「時代が後押ししている、ねぇ。確かに、今は奴の時代といっても過言じゃない」
やれやれと、男性はため息をついた。
「あ、あの……ありがとうございます、でいいのかな?」
未だに状況がよく飲み込めていない。助けられたようだが、本当に助けられたのかが定かではなかった。
「あぁ、気にしなくていいよ。たまたま通りかかっただけだからね」
そういう男性を改めて見た。顔立ちは整っていて体格は少ししっかりしている。背は特別高いわけでもなければ小さいわけでもない。いろいろな意味で人間。人混みに紛れてしまえば見つけることができそうにない。そんな印象の人だった。
「えっと、あなたも神様か何かなんですか?」
「おや? どうしてそう思ったんだい?」
「いや、だってここは高天原ですし、帰ってきたって……」
「ああ、そういう認識か。なるほど」
高天原に住んでいる、もしくは住んでいた。それはすなわち人ではない存在。それが崇人の認識だった。
「高天原にだって人間は住んでいるよ」
「そ、そうなんですか?」
「ああ、君は『神隠し』という言葉を知っているかい?」
「えっと、はい。聞いたことはあります」
「神に気に入られたり必要とされたり理由はいくつかあるのだけれど、そういった神の都合で人が高天原に連れてこられることがあるんだ。その人は当然高天原に普通の人間として住むことになる。そんな人間も子供を作る。そうすると高天原に人間がいることになるだろう」
「確かにそうですね」
神隠しという言葉は知っていた。高天原という神の世界のことも知識にある。しかしその二つを結びつけて考えたことはなかった、と言うよりそのことについて今まで深く考えたことがなかった。
「高天原にはそういった形で人間も住んでいる。そしてさっきの博魔のような悪魔も当然住んでいる」
「あ、そうだ。さっき時代の後押しがあるとかなんとか言っていましたけど、あれってどういうことですか?」
神様という存在は時代と共に薄らいできている。信仰や宗教という存在に距離を置く現代人は少なくない。それが崇人の印象だった。しかし博魔は時代に後押しされていると言っていた。その理由がわからない。
「今人間の世界では賭博が流行っているからね」
「えっと、カジノとかですか?」
「それも外れではない。けれどももっと君の身近にもある。手に入るかどうかわからないものに簡単にお金を使えて勝負をすることができるものが、ね」
「え?」
手に入るかどうかわからないのに、簡単にお金が使えてしまえて、運での勝負になる。それでいて身近にある。そう言われて考えるが、なかなか思い当たらない。インターネットで検索すれば見つかるかもしれないが、高天原は通信することができるのだろうか。そう思いながらポケットのスマートフォンに触れ、一つ思い浮かんだ。
「もしかして、ゲームのガチャ?」
「正解だ。君は頭がいいね」
スマートフォンは確かに身近にあり、ゲーム自体が現代人にとって身近なものだ。そして簡単にお金を使うことができて、当たるかどうかもわからないガチャシステムの勝負に毎日大勢の人がお金を投じている。
ガチャシステムというものに関して深く考えたことはなかったが、当たるかどうかわからない物にお金を投じて当てようとする行為は確かに、賭博と呼んでも差し支えないのかもしれない。
「博魔はそういった賭博行為に情熱を燃やす人の心を食う。賭博行為に情熱を燃やす人が多ければ多いほど、その熱意や執着心や依存度が強ければ強いほど、博魔にとっては良い食事になるんだ。だから奴は人間の感情に介入して、勝負事や賭け事にのめり込ませる。奴にとってのめり込んだ人間の勝敗は関係ない。のめり込んでさえいればいいんだからね」
何という迷惑な悪魔だ。人の心に介入して賭博行為にのめり込ませるだけで、勝敗やその後の生活には一切興味が無いのだ。
「それでも人の世界で人同士がやっているのは特に問題ない。けれどもこの高天原で博魔との直接対決は大変危険だ」
「き、危険?」
「ああ、感情を操られて勝負事にのめり込んでしまいやすい状態にされているだろう。高天原ではより力の強い神がより強い運を発揮するんだ。その世界であいつと戦っても、普通の人間が勝てるわけがない。ましてや神算将棋という運に左右される勝負は特に、だ。奴は負けた側が何かを差し出すという条件をつける。すると勝てないのに勝負にはのめり込んでしまっていると、無意識に次々に持っているものを奴に差し出していってしまう。最後にはあいつに権利や意志すらも奪われてしまい生きる屍になる。無意識のうちに死ぬまで延々と賭博行為を行い、博魔に食事を提供する奴隷だ」
今更ながら、勝負を止めてもらったことに感謝した。
「まぁ、博魔が力をつけ始めたのはここ最近だよ。人間の科学技術の進歩が原因かな」
一昔前まで賭博と言えばカジノや競馬やパチンコ、そして宝くじなど。しかしそこにインターネット上で、しかもゲームというスタイルでガチャシステムが登場した。大なり小なり賭博というカテゴリーに位置するこのガチャシステムの誕生が、博魔という存在をより大きくした原因なのだろう。
「まぁ、博魔も今や強い力を持つ悪魔だ。勝負の条件に大きな何かを言って勝てば、ほとんどのものは手に入るし、願いのようなものをかなえることにもなるかもしれないね」
しかし人間では勝ち目がない。手に入らないが目の前にエサとして見せられると勝負したくなる人はいるだろう。本当に質の悪い悪魔だ。
「今度からは気をつけるんだよ。心は常に冷静に、だ」
「はい、ありがとうございました」
言葉では表しきれない感謝の気持ちを、力強く深いお辞儀という行動で表した。これが今できる最大の感謝の気持ちの表現のしかただった。
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