第8話 神算将棋
巨漢が盤の上に弁当箱くらいの大きさの木箱を置いた。ジャラジャラと将棋の駒同士がぶつかり合う音が聞こえる。神算将棋とはどのような将棋なのか、説明を早く聞きたいと思っていると、もう一つ木箱が盤の上に置かれた。
「そっちがあんちゃんの駒だ」
「え?」
二つの木箱にそれぞれ駒が入っているということなのか。そうなるとチェスに近いものなのかもしれない。
「この中には駒が百八つ入っている。お互い種類も複数枚ある駒も全部一緒だ。その中から駒を二十枚選んで盤上にそれぞれ置くんだ。置く場所も自分の陣地内ならどこに置いてもいい」
自分の意志で百八つの駒の中からどれを使うかを選択する。つまりお互いが全く同じ状態でスタートしないらしい。
「この盤のマス目は縦九横九の八十一マス。あんちゃんにも馴染みがある将棋と同じだからそれはわかりやすいはずだ」
確かに普通に駒を置けば馴染みのある普段の将棋だ。しかしその盤上に置かれる駒は全く異なる。馴染みのある駒は箱の中には入っていない。
「初心者にもわかりやすいように動かし方は駒に書いてある。表が黒で裏が赤だが、裏面がない駒は相手の陣地に入っても成ることができない。駒はよく考えて選ぶ必要がある」
普通の将棋の駒での飛車や角行に当たる駒ばかりを選ぶこともできるし、金や銀ばかりを選ぶこともできるし、桂馬や香車に偏ることもできる。戦略は自分次第ということのようだ。
「ちなみに神算将棋に王将はない。勝敗は自分が選んだ二十枚の駒の中の一枚を大将駒に任命する。その駒には大将だとわかる印をつけるが、大将駒を取られただけでは負けにはならない」
「大将がやられたのに負けじゃない?」
「そうだ。自分の陣地内の好きな場所に本陣を構える。この本陣は的の駒がそのマス目に乗った時点で奪われてしまう。奪還ができるのは大将駒のみだ。そしてこの本陣と大将駒の両方がやられたら負けになる」
大将駒という概念と本陣という概念に、駒の種類と初期位置を好きな場所に置いていいというルール。全てが初耳で聞けば聞くほど複雑な勝負になりそうなルールだ。
「さらに取った駒に対する処遇もある」
「処遇?」
「ああ、相手の駒を取ったら賽を振る。賽の目が一と二なら『服従』となって自分の持ち駒に、三と四なら『解放』となって相手に返還して相手の持ち駒に、五と六なら『処断』となってどちらの持ち駒にもならずに二度と使用できない」
相手の駒をとっても自分の持ち駒になるかどうかはサイコロ次第。最悪相手の持ち駒になるということもあり得る。運次第で優劣がすぐにひっくり返ってしまうゲーム性は賛否が分かれそうだ。
「そしてこの盤のど真ん中の一マスが黒いだろう?」
「本当だ」
中央の一マスが黒い。マス目の上に黒い紙を置いたかのように黒い。
「この黒マスは全ての駒が通過することも上に乗ることもできない。そしてその黒マスを中央の横一列を境目としてお互い側の四列にあと二カ所ずつ、任意の場所に設置することができる」
駒を選ぶだけではなく、盤上に使用不可のマス目を設置することも可能。戦略の幅や勝負の難しさはさらに増したといえる。
「だがそれじゃあ相手が設置するのを見て後出しをすれば有利になっちまう。そこでこの真ん中の横一列に衝立を置く。これでお互いの手の内を見ることができない」
相手がどこにどの駒を置いてどこを通れなくしているのか、相手の思考や戦略が全くわからない状態で勝負が始まる。この複雑な勝負は事前の準備はほぼ不可能。戦いが始まってから相手の初期配置を見て、そこから戦略を練って戦わなければならない。さらにサイコロの出た目によって優劣が大きく左右される。このようなゲームは今まで見たことも聞いたこともなかった。
「運と実力を兼ね備えた者のみが勝つことができる。まさに神算という言葉を冠するにふさわしいと思わないか?」
巨漢の男が一通り語った神算将棋の説明。長く複雑でまだ一度聞いただけでは完全に理解したわけではない。しかしどことなく面白そうでやってみたいという気持ちが少しずつ強くなってくる。
「さて、あんちゃん。一局どうだい?」
返事は決まっていた。生まれて初めて聞いた神算将棋をやってみたいという欲求が非常に強い。
小さい頃に田舎で祖父と将棋をしたことがあるのだが、その時にはこのようにやりたいという欲求は無かった。将棋を祖父と一緒にすると喜んでくれた。だからやっていただけだった。祖父を接待するためのような時間であり、楽しいとかやりたいとかを思ったことは一度も無かった。
しかしこの神算将棋は何故か、やりたいという欲求が非常に強い。今すぐに盤上に駒を並べたい。相手は目の前の巨漢であろうと無かろうとかまわない。とにかく神算将棋を早く始めたい。そんな思いが心を支配し、早く始めろと身体を急かす。
神算将棋の百八つの駒が入った木箱を手に取り、中に入っている駒を手にとってまじまじと見ていく。どのような動き方ができる駒なのか、戦略を練るために一つずつ駒を凝視していく。
「おう、あんちゃん。やる気だな」
巨漢は笑みを浮かべ、同じく向こう側の駒が入った木箱の中を見ている。すでに盤上の中央の横一列には衝立があり、相手の手の内はさっぱりわからない。それでも自分が考え出した最高の戦術を早く披露したい。
木箱の中の駒を一つ取る。そして自分が思う最適な場所に駒を置こうとしたその瞬間だった。手首を何者かが力強く掴んだ。一つ目の駒を置かせまいとするかのように掴まれたことで、駒を置くことを阻止されてしまった。
「君、その勝負に乗ってはいけないよ」
若い男性の声に、高ぶっていた心が少し落ち着きを取り戻した。
「君の感情の方向性が奴に操られている。ゆっくり呼吸をして、落ち着くんだ」
声に促され、言われるままに深呼吸を数回行う。すると今までの感情は何だったのかと思うほど、目の前の神算将棋への情熱が冷めていた。
「ど、どうなってんだ?」
自分の感情のことなのに、全く理解ができなかった。自分で自分のことがわからない。これほど不気味な気分は今まで感じたことがなかった。
「奴は『博魔(ばくま)』だ。勝負事や賭け事、賭博への興味や好奇心をかき立てる。そしてのめり込んだら最後だ。権利や意志まで、全てを奪われてしまう」
目の前の巨漢と目が合った。その目はずっと獲物を狙う獣のように冷徹で鋭い目をしていたことに、今初めて気が付いたのだった。
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