第7話 お使いは高天原まで

 目の前に広がる光景を最初は信じることができなかった。しかし神様が突如現れたことを思い出し、目の前の光景も飲み込むことができた。そしてその光景を見て、率直な感想が漏れた。

「江戸時代みたいだな」

 高い建造物は見当たらない。木造平屋の家が並んだ町が、目の前に広く存在する。さんさんと降り注ぐ太陽の光が、中世日本のような町に活気を与えているようだ。

「太陽がまぶしいな。今は夜じゃないのか?」

「ご主人のいた人の世界と神の世界であるこの高天原は昼夜が逆転しているのです」

 つまり人間の世界が日中なら高天原は夜間で、人間の世界が夜間なら高天原が日中となるようだ。

「なんだか、時間が中世で止まっているみたいだな」

 産業革命も起きず、近代化も起きず、ありのまま時間が進めばこういう世界だったかもしれない。そんな「if」を感じさせる。

「それにしても大学の近くの古ぼけた神社から高天原に来ることができるなんて知らなかったな」

「古い神社には長く生きている神様がお住まいです。そういった神様は長年蓄えた力から神様としての地位も高く、特別に高天原への道を開くことができるのです」

 縁もゆかりもないただの古ぼけた神社だと思っていたが、古い神社にはそれだけ長寿の神様がいるなど考えたことも無かった。

「あのお爺さんみたいな神様ってそんなに位が高いのか?」

「はい。高天原に通じる道を開けるのは高位の神様である証です」

「それにしては情けなくおびえていたように見えたんだが……」

 神社に行ってタマの呼びかけで見た目が白い髭を蓄えた優しそうなお爺さんの神様が現れた。その神様に高天原への道を開いてもらう際にタマが事情を説明したのだが、事情を知るなりとにかく震え上がってしまっていた。

「神様の中でもイザナミ様やアマテラス様は別格ですからね。いくら高位の神様といえどもそのさらに上に君臨する方々ですから」

 そんなイザナミの使いと聞けば震え上がるのは当然、ということらしい。

「これからアマテラス様へ面会する許可をいただけるよう申請しに行きます」

「申請? もしかしてすぐに会えないのか?」

「普通は待たされることもありますが、今回はイザナミ様のお使いですのであまり待たされることはないと思います」

「そっか、それはよかった」

 高天原は現在日中だが、言い換えれば日常生活を送っている人間の世界は夜だ。明日も大学に行かなければならない。太陽の下にいながら夜更かしするわけにはいかないと考えていた。

「ご主人はどうします? 面会の時まで辺りを見て回りますか?」

「いやいや、高天原なんて初めて来たんだ。どこに行けばいいのかさっぱりだぞ」

「でしたら私が呼びに行きます。どこにいてもご主人の居場所はすぐにわかりますので」

「そうなのか?」

「私はご主人の思いの積み重ねから生まれた付喪神ですよ。ご主人とは切っても切れない絆で結ばれているのです」

 タマは自信満々に、得意げに力説する。この付喪神の少女は自分が誕生する要因の一つとなった思いの主である人間に、強い信頼や主従関係のようなものを持っているようだ。

「じゃあ、面会できるようになったら呼びに来てくれるか?」

「はい! お任せください、ご主人」

 軍人の敬礼のように背筋を伸ばしてタマは返事をした。そして踵を返し、舗装されてはいないが綺麗に整えられている地面を蹴って、足早に走り去っていった。

「ご主人、か」

 サッカーボールには確かに懐かしい思い出や、サッカーに打ち込んだ日々の思いが宿っているかもしれない。しかしその思いはサッカーをしていた時と比べて、競技から離れてしまった今は薄らいでいる。強い思いを込めて「ご主人」と呼ばれるのは申し訳ない気持ちがあった。

「……ちょっと歩くか」

 タマへの申し訳ない気持ちを忘れようと、観光気分で神々の世界である高天原の道を歩き始める。

 時代劇や中世頃の町並みを再現した観光地でしか見たことのない町並み。それが現実に機能している世界を歩くのはどことなく新鮮な気分だった。そこに住まう人々の衣服は当然中世以前を彷彿とさせるものが多い。中には独特な進化を遂げたのであろうデザインの服もあったが、多くは中世頃の日本がそっくりそのまま存在しているようだ。

 そしてここは人間での世界ではなく神々の世界。人間に混じって人からかけ離れた外見をした者も普通に生活している。半分人で半分獣だったり、完全に人ではない姿であったり、容姿は様々だ。しかし人の世界ではないということから、彼らは普通に街の中を歩いている。そして町に住む人々も普通に彼らと接していた。

 これは高天原という世界の常識ということなのだろう。

「店もあるのか」

 町を歩いていると食べ物や日用品など、いろんな店が見える。見たことのないものも多く売られている。店頭に並んでいる商品がどういうものなのか、そしてそれらは現代ではどういったものが同じ商品に該当するのか。そんなことが少しだけ気になった。

 その時だった。飲食店の店先に置いてある長椅子に腰掛けていた巨漢が低く野太い声をこちらに向けた。

「そこのあんちゃん。どうだい? 一局やらないか?」

 二メートルは軽く超えていて、強面の顔は人間に近いが人間とは少し違って獣に近いかもしれない。そんな巨漢が気さくに声をかけてきたことと、この高天原で声をかけられたということに驚いた。そして声をかけられたのに無視するのは悪いという思いから、ついつい足を止めて目を合わせてしまった。

「一局?」

「ああ、そうだ。ちょうど相手がいなくて暇でな。あんちゃんも見たところ急いでいないようだしよ。一局どうだい?」

 巨漢の座る長椅子の上には将棋盤が置かれている。多少時間を持て余している。その時間を高天原で出会った人との交流に使うのも悪くはない。何故かそう思い、ふらふらと吸い寄せられるように巨漢の元へ歩み寄っていく。

「将棋ですか?」

「神算将棋だ」

「神算将棋?」

 将棋は知っている。小さい頃に田舎の祖父と対局した経験がある。他にもいくつか将棋には種類があることも知っている。しかし神算将棋は初めて聞いた。

「なんだ? 知らねぇのか?」

「はい、初耳です」

「それじゃあつまらねぇな」

 巨漢は見るからにやる気がなくなった。ため息を漏らし、がっくりと肩を落とした。

「あの、少し時間があるので教えてもらえますか?」

 将棋に特別興味があるというわけではない。しかし何故か神算将棋という未知の将棋に好奇心がくすぐられてしまい、巨漢に教えて欲しいと言い出していた。

「ははっ、そうこなくっちゃな。よし、座りな」

 促されるままに店先の長椅子に座り、将棋盤を挟んで巨漢と向き合った。将棋は知っているだけで得意というわけでもないのに、何故か積極的に関わっていこうとしている。不思議な気分だった。

「じゃあ説明するぜ」

 不思議な気分に流され、いつの間にか巨漢の口から語られる神算将棋のルールに釘付けになっていた。

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