第5話 早生まれの付喪神

 大学から自宅への道を二人、ではなく一人では無い状態で歩くという初体験。それはなかなか変わった経験だった。

 イザナミノミコトはこの時代を知らない。この時代の言葉と共に様々な知識は手に入れたようだが、実際の経験値はゼロと言ってもいい。地方在住者がテレビで東京の有名なスイーツを見て、形状や内容物を知っていても味や食感を知らない。それがこの時代の多くのことに当てはまる状況だった。

 自動販売機を見かければ飲み物を買わされ、コンビニの前を通りかかると興味の湧いた物を買わされた。一人暮らしの大学生という裕福ではない生活をしている身としては痛すぎる出費の連続だった。しかもそれが大学から一人暮らしをしているマンションの部屋に到着するまで行われたのだ。財布の中身は空で、電子マネーも大きく残高を減らすこととなった。

「ここがお前の家か。他人とこれほど密集して暮らす意味があるのか?」

 マンションという集合住宅が当たり前の時代に、このような言葉はそもそも思いつかなかった。

「これがお前の居住空間か。確かに狭くて片付いていなくて汚いな」

「来客の予定なんてなかったんですよ」

 片付けるのが面倒になって脱ぎ散らかされた部屋着、床に適当に置かれた雑誌、食べた後の流し台に置かれたままになっている食器類。一人暮らしで来客がないからと後片付けや掃除を後回しにしていた結果という名の惨状だった。

「さて、我はどこで寝るのだ?」

「え? 寝るんですか?」

「当然であろう。お前の居住空間を見に来ただけだとでも思ったのか?」

「いや、そうですね。寝ますね、この流れだと……」

 一人暮らしでたまに実家から来た家族が泊まることはある。しかしまさか神様を家に泊めることになるとは思わなかった。

「じゃ、じゃあベッドを開けますのでここで……」

「我に人間と同じ場所で寝ろというのか?」

「うっ、いや、ですがそう言われましても……」

 一人暮らしの大学生のマンションの一室だ。部屋自体がそもそも広くないし、荷物があればスペースもあまりない。一人で住むことを前提として生活用品や私物を用意していた。来客のことなど最初から想定されていないのだ。

「しかたあるまい。ここで我慢するか」

 そう言って彼女が見つけた場所。それは上下二段に分かれている収納スペース、クローゼットだった。

「邪魔な荷物を全て出せば横になれるではないか。お前との空間を遮る扉もあって悪くないではないか」

 収納スペースで眠る。まるで未来から来た猫型ロボットのようだ。

「上の段だぞ」

「わかっていますよ」

 クローゼットの中に詰め込んでいる荷物を引っ張り出す。必要になると思って実家から持ってきたが、ほとんど使っていない物やいらない物が数多くあった。懐かしい物や存在を忘れている物もあった。

「うーん、今度の休みに掃除でもするか」

 クローゼットの上段部分の荷物を全て引っ張り出した。大人が一人横になることができるスペースを作り出すことに成功した。

「布団の新品はないのですが……」

 一人暮らしで、たまに使うスペアの布団も家族が使ったことがある。新品どころか来客用布団すらない。そして今は夜。買いに行くこともできない。そのことを了解してもらおうと話しかけたが、彼女は押し入れから引っ張り出した荷物の一つを凝視していた。

「あの、どうかしましたか?」

「おい、この球はなんだ?」

「あ、サッカーボールですね。小さい頃に親父に買ってもらったやつです」

「小さい頃? それはいつのことだ?」

「えっと、五歳くらいだったから、もう十五年くらいです」

「そうか、十五年か」

 そう呟くと、彼女の表情はまたしても険しくなった。何事かと思った瞬間、彼女は何も無い空間に手を突き出した。そこには何も無いのだが、何故か彼女の手は何かを力強く掴んでいるように見えた。

「十五年で付喪神は生まれぬ。お前は何者だ? この我を前にして隠れていられるとでも思っていたのか?」

 何が起こっているのかわからない。わけがわからず、家主だというのにただ見ていることしかできなかった。

「黙っている気か? 残念ながら我は気の長い方ではない。話す気が無いのであれば殺すぞ」

 イザナミノミコトのその言葉に観念するように、何も無い空間から突然小さな女の子が姿を現した。まるで元々そこにいたのに見えなかった物が、何かのきっかけで見えるようになったかのように、突然その姿を現した。

 イザナミノミコトが掴んでいるのは、突然現れた女の子の首だった。

「も、申し訳ありません……」

 苦しそうな女の子の小さな声が聞こえた。

「あ、あの、さすがに首を絞めていると話したくても話せないのでは……」

 あまりにも女の子が可哀想に見えてしまい、状況がわからないまま何故か口出しをしてしまった。

「そうだな。全て自白するか?」

 首を絞められた女の子の頭が前後に動く。その動きを見たイザナミノミコトの手から力が抜け、女の子はクローゼットから引っ張り出した荷物の上に倒れ込んだ。

「お前は何故ここにいる? 答えよ。拒否すれば即刻殺す」

 女の子は早めに息を整え、まだ荒い呼吸を押し殺すように答えた。

「私はこのボールの付喪神です」

「それはわかっている。だが付喪神は十五年程度では生まれぬ。お前には何らかの力が働いているはずだ。その原因を答えよ」

 女の子の目は一瞬泳いだ。少し間を置く反抗を少し見せるが、それも長くは持たずに観念したのか、女の子は答えた。

「私に力を与えてくださいましたのは、高天原におられるアマテラス様です」

 付喪神の女の子の答えを聞いたイザナミノミコトの表情は、なおも険しいままだった。

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