第4話 女神様に目をつけられた男
「ふむ、なるほど……」
美しいがホラーでしかない存在の女性。彼女が伸ばした手が顔へと向かってきていたことから、恐怖と危機感から目をつむった。しかし顔には何も感触はなく、女性の独り言だけが聞こえてきた。
「ようやく言霊共が理解できた。これが今の言葉か」
目を開くと女性の視線はすでに窓の外へと向いていた。そして再び窓に触れる。
「ガラス、というのか。開け閉めせずに外が見え、光が入る工夫ということか」
物珍しそうに部屋の窓ガラスに触れている。窓の鍵に触れたり、カーテンを開け閉めしたりしている。初めて見るのだろうか。
「手に入れた知識でわかっても、実際に手で触れねばわからぬ物が多そうだな。それほど時が経ってしまったということか」
窓やカーテンから手を離すと、彼女はくるりと向きを変える。この部屋にいるもう一人、大苗代崇人と真正面から向き合う形となった。
「なら、致し方あるまい。お前に私の付き人をさせてやろう」
突然のことで考えが追いつかない。石棺に長年眠っていたはずの女性が起き上がり、目の前に立って話している。さらに付き人と言っているのだ。状況がさっぱり飲み込めず、返答に困ってしまう。
返す言葉が見つからず黙り込んでいると、女性の表情が少し険しくなった。
「何をしている。早くせぬか」
「え?」
「栄誉ある仕事を与えてやったのだ。早く働かぬか」
いきなり働けと言われても困る。何がどうなっているのかさっぱりわからない。そもそも目の前にいる女性はいったい誰なのか。
「あ、あの、働け……とは?」
「我の付き人であろう」
「いや、付き人とかいきなり言われても困るんですが……」
初対面でいきなり付き人として働けと言われてすんなり頷けるはずがない。それもどこの誰だかわからない人に言われればなおさらだ。
「それよりも何よりも……あの、あなたはどこの誰ですか?」
海底に沈んでいた石棺の中にいたのだ。普通の人間とも思えない。本来なら長く調査と研究を行って判明するはずのことが、直接当人に問うことができるのだ。
「我を誰か、だと?」
女性の表情がより一層険しくなる。明らかに不機嫌に見える。
「我を知らぬと言うのか?」
「いや、知るも何も、まったくわからないというか……」
歴史にそもそも興味を持っているわけではないし、そもそも顔を合わせた記憶すらもない相手だ。石棺を見てもわからないのに、動いている女性を見て誰だかわかるはずがない。
「我を知らぬだと? そのような冗談を聞くためにお前を付き人にしたわけではない。それとも、死にたいのか?」
「え? いや、どうしてそんなに話が飛躍するの?」
突然「死」という言葉を突き付けられた。話がどういう段階を踏んでいるのかまでわからなくなった。
「この地で我を知らぬなど万死に値する」
そう言う女性からは何かとてつもないものを感じた。目には何も見えない。何も変わった様子はない。しかし、直感が「何か」を告げた。人生で一度も感じたことがない「何か」としか言いようがない感覚だった。
「一度しか言わぬぞ。よく聞け。我が名はイザナミノミコト。お前達が神と称する存在ぞ」
「え……えぇっ!」
歴史に興味があってこの大学のこの学部に入ったわけではない。しかし興味が無くてもテストのためには授業を受けなければならない。その授業の中で聞いたことのある名前を自己紹介としてはっきりと言い切った。
「か、神様?」
いきなり神だと自己紹介されても信用する者はいない。普通はそんな人を見ると頭のおかしい変な人だという認識になる。しかし彼女は違う。神代文字が刻まれた石棺の中で、長い時間を海底で過ごし、さらにその肉体は美しく保たれている。むしろ普通の人間だと主張される方が対応に困る。
「そうだ。わかったか」
「は、はい……」
石棺を発見した状況を知っているからこそ、神様だという自己紹介に異論を唱えることができなかった。むしろ知っているからこそ、その自己紹介をすんなりと受け入れてしまった。
「わかればよい」
目の前の人間がようやく自分のことを理解したことに納得したのか、先ほどまでの険しい表情はなりを潜めた。
「では、早々に働け」
「えっと……」
目の前の女性が神様だということにはひとまず納得した。しかし、いやだからこそ、働くとはどういうことなのかがわからなかった。
神社に縁のある人間でもなければ、そういう友人知人がいるわけでもない。神様のお世話であったり対応であったり、その点に関しては全くの無知だった。
「あの、いったい働くとはどうすれば……」
お供え物がいるのだろうか。そうなるとお酒やお米などになるのだろうか。土地や奉る神様によってお供え物も変わることがある。余計な怒りを買わないために、ここは何をすれば良いのかを神様直々に言って貰うことにした。
「決まっているではないか。我は今こうして目覚めたばかりだ」
「は、はい」
「一にも二にも落ち着ける場が必要であろう」
「え? あ、そうですね」
確かに言われてみればそうだ。このまま石棺の中で寝泊まりしてくださいとは言えない。
「落ち着ける場所ですか……」
考えて出てきた落ち着ける場所はただ一カ所。自分が一番落ち着けるところは自宅の自室以外にない。しかし神様のそんな場所があるのだろうか。
「お社とかを作るにはさすがに時間が……」
神様を奉る際に建てられるお社。そういった者を準備するには時間がかかる。今すぐには不可能だ。
「何を言っている。お前は宿無しか?」
「いや、家はありますけど……」
嫌な予感がする。次の言葉を発さないで欲しい。そう思ったが、その思いは一瞬で打ち砕かれた。
「ならばそこへ案内しろ」
「え、で、でも、狭くて片付いていなくて汚いですし……」
「我がよいと言ったらそれでよいのだ。早々に案内せぬか、大苗代崇人よ」
「は、はい!」
言われるがままに踵を返し、部屋の外を目指す。最短距離で大学を出て、最短距離での帰路を脳内で確認する。そして最短距離最短時間の確認が終わった時、一つ疑問に思った。
「……あれ? 俺、自己紹介しました?」
名乗った覚えはないのに名前を知っていた。帰路につく自分の後に続く神様に何故名前を知っているのか、疑問に思ったことが気になってしまったことと帰る道すがらの沈黙に耐えきれずに問う。
「問わずともわかる。我はイザナミノミコトぞ」
「は、はぁ……」
神様だからわかる、ということなのだろうか。
「我は冥界の主よ。名がわかれば魂の管理もしやすいのだ」
イザナミノミコトは冥界の主。死後の世界の管理人という立ち位置にいる。死んだ人間の管理のために、人間の名前は即座にわかる力を持っているということのようだ。
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