十六章 黒い彼女の本音
十六章 黒い彼女の本音
私――青葉幸光は度々感心していた。
「どもーっす!」
――光本篝君。
ごく明るい彼の姿。毎度土産が違い、そのどれもが美味しかった。
生徒会の面々も寄ってきて、彼のリュックから取り出した箱を見る。
「今日はシュークリーム! からくぅの!」
「ああ、あそこ美味しいよね! さすが王子君!」
「なっはっはっは! ユキ先輩もどうぞ!」
「ありがとう」
ユキ先輩と呼ばれるようになってからしばらく。その愛称に違和感を覚えなくなっていた。私をそう可愛らしく呼ぶということは、誰もしなかった。両親でさえ、幸光、としっかり呼んだ。
私はこの名前が好きではなかった。男の人の名前みたいだから。
でも、彼はそんなの気にしたこともないという顔をして、さりげなく私をユキと呼んでくれた。
……いいな。こういう人が、いい。
察して、とない物ねだりをする私。応えてくれる人なんていない。だって、他人の心なんて分からないものだから。
けれども、彼は私の本音を本当に察してくれるような。
そんな気遣いにあふれている。
笑顔が向けられる。本当に楽しそうな顔だ。まるで、ここに存在を許されたことを心から喜んでいるような。そんな笑顔だった。その顔を見ながら、シュークリームを食べていると、心も体も、満たされるような気がした。濃厚な甘いクリームと爽やかな気遣いが、どこか気疲れしていた心と体を癒していく。
「ああ、ほら、ユキ先輩。動かないで」
「え? あ――」
私の頬についていたクリームを、彼は拭い、何食わぬ顔で口に運ぶ。一連の動作に、思わず顔が熱くなった。何とか平静を装い、俯いてシュークリームを食べる。
「あはは、ユキ先輩子供みたいだね。おっぱいは子供じゃないけどね!」
「光本、ハウス」
「俺犬!? 俺を、飼ってくれるかい?」
「いや、生徒会に時折迷い込んでくる野良的なあれじゃね?」
「まぁそれでもいいや。餌付けしてくれ」
「堂々と言うことかな、それ」
「それじゃあこのシュークリームを一口あげる!」
「わーい!」
「いや、それは貴方が買ってきたものでは……?」
思わずそう口に出してしまう。
行動に謎が多い光本篝という人間だが、不思議と不愉快ではない。むしろ逆だ。最近は、いてくれないと少し寂しい。
でも、それを直接口にするのは、何となく負けた気がする。
「こほっ……」
「ん? どしたの、ユキ先輩?」
「ん。昨日徹夜をしていて……」
「えー? 何してたんです? 夜更かしは美容の敵だぜ」
「少し読書を。止まらなくなってしまって」
「どんなのどんなの?」
「訊くのは構いませんが、後悔しますよ?」
「そんな本はないね。どんな本にも教養というものがあってだね――」
「貴方みたいなひょうきんな男性と中年男性の二人が壮絶に絡み合うお話で……」
「訊かなきゃ良かった! そんなの聞かせてくるなよ!? もうちょっと可愛いの読んでてよ!」
「イメージを勝手に抱かないでください」
「抱くだけなら自由! 先輩が言ったことだ」
「そうだ、交換読書でもしましょう?」
「この流れで!? 絶対男同士じゃん!」
「そうですね」
「否定しないの!?」
「いかがですか?」
「ぐ、お……ゆ、ユキ先輩のおススメなら、俺は……俺は……!」
「なんて、冗談です」
「どこからどこまでが?」
「さあ? どこからでしょう」
こほ、と追って出る咳を疎ましく思いつつ、シュークリームを食べていく。
この甘い時間は、どれだけ続いてくれるんだろう。願わくば、永遠に味わっていたい。
そう思いつつも、それは叶わないと分かっていた。食べていけば、このシュークリームも消えていくように、きっと、いつか離れ離れになる。
「どうしたの、ユキ先輩?」
「いえ。お菓子は美味しいですね。ちょっと体重計が気になっちゃいますが」
「うーん、ユキ先輩もほっそいからなあ。もっと食べてもらって」
「おデブになったら貰ってくださいね?」
「普通に貰いたいんだけど」
「贅沢ですね。ハウス」
「俺の扱い雑!? でも先輩可愛いから許しちゃうでへへ」
「貴方はそうでなくては」
「その微妙な信頼は何か傷つくけどまぁよし!」
そう笑う彼に、思わず顔が微笑んでしまう。
何故か意外そうな顔をして、彼はそっぽを向いてしまった。でも、分かっています。
だって、彼――耳まで赤くなってるのだから。
そして、油断していた。
「けほっ……」
まさか風邪を引くとは。
中間考査前だ。勉強をしたいけど、寒気が止まらない。三十七度八分は普通に熱がある類。解熱剤を飲んだが、あまり効いていないらしい。
どれくらい時間が経っただろうか。いつの間にか、空が赤い。夕方か。少しは水分を入れないと……
ん? 階段を上がる音。忙しない。このけたたましさは、妹だろうか。
「ね、姉ちゃん!」
「幸春、騒々しい、ですよ……けほっ」
「な、なんかすっごいの来たんだけど!? 何あれ、芸能人か何か!? あ、あげちゃっていいかな!?」
「好きになさい……」
良く事情は呑み込めなかったが、この子は言っても聞かない。
ドタバタと戻り、今度は静かな足音の誰かが段を上がっている。
誰だろう。こんな足音、家族の中の誰でもない……
「ちっす、ユキ先輩!」
「なっ!? けほっ、けほっ……!?」
現れたのは、光本篝君だった。
色々聞きたいことは山のように突然出てきたが、なぜ、ここに?
「ど、どうして……?」
「いや、生徒会長のユキ先輩が休みだっていうじゃん? フツーに心配になって、メティに家教えてもらった」
「あの人は……個人情報保護法が仕事してない……けほっ」
「何か食べた?」
「……いえ」
「と思って、ほら」
ゼリー飲料だ。ラムネ味らしい。もう一度解熱剤を飲む前に、何かお腹に入れておきたかった。
「ありがとうございます」
お礼もそこそこに、蓋を開けて、一気に流し込んだ。そうすると、落ち着いてくる。
「ふう……」
「あ、良かったらこれも」
のど飴だ。助かる。今、酷い声だから……。
「んでこれ」
「ひゃ……!?」
おでこに何か貼られた。ひんやりしている。冷却シートか。実の妹は特に私が風邪を引いても何もしなかったというのに、他人である篝さんがこうして世話を焼いてくれるのが、何だか不思議だ。
「大丈夫? ユキ先輩、なんか顔赤くね?」
「……熱のせいです」
そう言うことにしておいてほしい。
まともに顔が見れない。なのに、顔が見たい。心細い。こんなに、私って、弱かったっけ。こんなに、脆かったっけ。
「そっか。それじゃ、女性の部屋にいつまでも侵入は野暮だからな。俺はここで……」
何をしているのか、自分でもわからなかった。
ただ、思いっきり、彼の服を握ってしまった。手が、震えている。今頃になって、自分が何をしたのか、理解した。子どもだ。思わず、手を離しかける。離そうと、するのだが。上手くいかない。
どうしてだろう。こんな弱った姿なんか見てほしくないというのに。
どこにも、今は行かないで欲しかった。
彼は仕方なさそうに微笑む。
ダメ。今そんな風に笑わないで。
胸が痛む。鼓動が、早鐘を打ってる。
どうして。どうして……?
貴方は、どうして、こんなにも……私の心に居座るの。どうして、こんなにも……私を、子どもにさせる。
掴んでいた手を、彼はやんわり振りほどいた。それだけで、この世の終わりが訪れたかのような、暗い気分になった。迷惑、だっただろう。間違いない。こんな赤の他人の家まで来て、看病までしてくれたのに、ワガママをしてしまった。当然の反応だ。
――手が、重ねられる。
大きくて、少しごつごつした手だ。でも、とても――とても、温かかった。
それだけで、私の心が温かく、晴れわたっていく。
「ユキ先輩がいいなら、顔見せてよ。ズルいよなあ、ユキ先輩。こんな病気の時でも綺麗なんだから」
そんなわけない。そんなわけないのに。
いつもの、淡くはあるけど、お化粧だってしていない。ドすっぴんなのに。弱り切っているというのに。
そんな私が、綺麗なわけがない。
気を遣ってるのか。王子モードなのか。でも、私は単純な生き物だと再認識した。
そういう言葉で、一々、私は嬉しくなるのだから。
「……あまり、見てはだめです」
「ヤダ。見させてよ。こういう機会って、あんまりないし。へへっ、得しちゃったぜ。美少女を独り占めだい!」
いつも通りの彼。それじゃあ、さっきの言葉も、本音なの……?
色々、ぐるぐると考えてしまう。
けど、繋いだ手から伝わる安心感が、私をホッとさせている。眠気がぶり返すのを、何となく自覚した。
「……おやすみ、ユキ先輩。大丈夫、七時くらいまではいるから」
優しい彼の言葉に、思わず目蓋が落ちる。
眠りは、やけに呆気なく訪れた。
◇
看病した夜は、姉さんに料理を作れなかった。いや、正確には作ったのだが、冷蔵庫に入れさせてもらった。ハンバーグだったのだが、出来立てじゃないと何かヤダともしゃもしゃ食べながら言われた。ごめん。今度焼き立て作るから。
ユキ先輩の風邪は良くなった、と今朝のメールにあった。ホッと一息。
それ以上に、楽しみなことができた今日。
「篝君、学食いこーよ! デカ盛り第二弾、超デラックスカルボナーラを食べにいこ!」
「真夜、悪い。今日は先約がな」
「なるほど。今度付き合ってね!」
「おう」
真夜と別れ、俺は三階に向かう。いつもなら放課後に立ち寄る、生徒会室がある階だ。
「ふんふーん、ふんふふんふーん」
昼休み。元気になったユキ先輩がお昼をご馳走してくれるらしい。
なにかなー、学食だろうし。あのデカい唐揚げ丼はなしにして。A定食かなー、今日は。
生徒会室で待ち合わせ。室内に入ると、ユキ先輩が一人で、待っていた。
俺を見る。いつものニコニコした笑顔だが、今日はなんか……作っている感じがしない。
「お、お待ちしてました、篝君」
「ユキ先輩! さっそく学食行こうぜい! いやー、先輩と学食楽しみだなあ!」
「い、いえ。今日は、その、学食ではなく……」
「?」
「……いつも作っている、お弁当を。その、二人分ですね、用意したのですが」
「え!? マジで!? ユキ先輩の手作り弁当!?」
「ええ。……でも、学食の方がよければ……」
「手作り弁当の方が何億倍も嬉しいに決まってんじゃん! うわ、すっげー楽しみ! 早く早く!」
「ふふっ、作ったかいがありました」
取り出したのは、長方形の弁当箱。
わかめの混ぜご飯に、唐揚げ、卵焼き、プチトマト、スパゲティのケチャップ和え、ポテサラ。野菜が少なく見えるが、完備、とまでに彼女は野菜ジュースのパックを横に置いた。
「どうぞ」
「おお……おおおおお! いっただっきまーす!」
食べる。うおお、ウマい……! 意外にも優しい味付けだ……! でも決して薄くはない。食べやすさというか、マイルドというか。旨味を活かしたこの味は、食が進む!
「気持ちのいい食べっぷりです」
「いや、ウマい! 先輩料理すっげー上手いんだな!」
「ええ、嗜む程度ですが。私も」
小さな弁当を取り出して、ユキ先輩は食べ始めた。このサイズの弁当を作ってくれるなんて……わざわざ、俺のために。感激もひとしおだ。
「くっはー、美味かった! いや、なんかごめん、先輩。普通にご馳走になった」
「いいんです。私が作りたくて作ったのですから」
あっという間に完食して野菜ジュースをあける。こっちも美味い。
「……篝君は、その。まだ、私とお近づきになりたいのですか?」
「そりゃなりたいとも! 可愛いもん、ユキ先輩は! 俺からしてみれば、高嶺の花ですぜ!」
「そう高嶺でもありませんよ。ほら」
彼女は、俺の手を取って来た。若干、震えている。緊張が伝わってきたが、彼女は真摯な瞳だった。
「……高嶺なのは、貴方の方ですよ、王子様。でも、そう。こうして、手を伸ばせば届いて、手を伸ばせば、捕まえることだってできます」
言い切って、彼女は手を離した。少し距離を取って、いつもの曖昧な笑みではなく、悪戯っぽい、茶目っ気のある笑みを浮かべた。
「でも。貴方が私を高嶺だというのであれば――――待ってますよ、篝君」
その微笑みは、思わず見惚れるほど、可愛らしく、綺麗な微笑みで。
思わず写真を撮っていた。
「何を撮ってるんですか」
「いや、百万回保存しようかと」
「もう。……大切にしてくれないと、嫌ですからね?」
「専用フォルダ作ってロックしときます」
「よろしい」
そう微笑む彼女は、もう仮面が見当たらない。等身大の彼女と、俺はやり取りしているのだと、よく分かる。
その日は結局、二人きりで、話しながら昼休みを過ごしたのだった。
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