十五章 従姉、襲来

  十五章 従姉、襲来


「!」

 古文の呪文を聞いていると、背筋が伸びるような感覚を覚えた。

 この気配は……いや、まさかな。

「どしたの、かがりん」

「気配を感じて。姉さんかな……」

「お姉さんいるんだ、かがりん。何かそういうのいなさそうだとおもってた」

「従姉だけどね。全世界に豚汁を布教してる謎の人」

「そ、それは謎……」

 そこ、私語! と注意される。隣だったしおりんは慌てて教科書に視線を落とした。俺も同じことをする。

 ふと、携帯が震える。こっそり取り出すと、やはり、姉さんだった。


『件名:久々に付き合え

 本文:メシ行くぞ。博多駅に十八時に集合。異論は認めん』


 ムチャクチャな。でも、久々だな。姉さんと食事。

 ん?


『追伸、アタシの友達も来るぞ。可愛いから覚悟しとけ』


 友達かぁ。

 自称トンジルアン――多分豚汁愛好家――の彼女がどこに行こうというのだろうか。

 まぁ、とりあえず。今は授業に集中しますかね。

「光本君、スマホの時間は終わりましたか?」

「いやんバレてる!?」

「微笑めば許しましょう」

 ニコッと微笑むと、ほわーと古文の先生は満たされた顔になって、ご機嫌になり授業に戻っていった。なんか段々、自分の顔が怖くなってきたんだが。

 人より整ってるだけだと思うんだが……まさか、俺に秘められし魔力が!?

「んなわきゃねーわな」

 そう結論付けて、進んでいた古文の板書をノートに写すのだった。



 十八時。一度家に帰って支度。どうせ時間通りにこないだろうけど、俺だけは時間を守ろう。その初対面の連れというのが不確定要素だったけど、可愛いんでしょ? 信じてるぜ姉さん!

 だが、待っていたのは、意外な人物だった。

「あれ、メティ?」

「篝さん。あれ? 何故ここへ?」

「そりゃ頼本依子に呼ばれているからです」

「貴方もですか?」

「ってーことは誘った可愛い友達ってメティのことだったのか。納得」

「な、何て言っていたのですか、依子は」

 メールを見せる。メティは溜息を吐いて、俺の手を取って来た。微笑みを浮かべている。

「篝さんでよかったです。従弟を連れてくると突然連絡して、ビックリしておりまして。なるほど、篝さんとご飯というのも一興です」

「で、どこにメシ食べに行くんだろ、メティ。何か聞いてる?」

「いえ、全く」

「いや、お前の家に行くんだよ、篝」

 やってきた。何かで一発当てて億万長者となった頼本依子は、ボランティア団体に豚汁を提供し、全国各地の貧困地域で炊き出しを行い、TONJIRUがSNSのトレンド入りをした現象を作った人でもある。

 本人はごくごくラフな格好だった。ダメージジーンズにダボダボの黒いシャツ。原型が不明な文字が書かれた黒とオレンジのキャップがトレードマーク。

 身長百四十三センチと悲しみの身長。メティに負けないくらい年齢不詳。二十七くらいだったはず。全く見えない。ともすれば小学生だ。染め上げた金髪をぼさぼさと掻きながら、買い物をした袋をこちらに突き出してくる。

「材料は買っといた。使え、篝」

「って俺んちに来るつもりかよ姉さん。いーけど、それなら別に駅集合じゃなくてよかったんじゃね?」

「集まりやすいだろうが。で、こっちが……えっと、メヒティルトだ。前後になんかあったけど覚えてねえ」

「貴女らしい。それと、彼とは旧知の仲です。貴女の弟は私の王子様なので」

「ぶっははははは! 王子て! いや王子て! 今日日聞かねえぞそんなの! ぷっ、くくくっ……!」

「この血縁共は……! そんなに王子様に憧れるのがおかしいですか!」

「い、いや、お前の趣味に文句言うつもりはねぇ。むしろいいじゃん。アタシの弟カッコいいしな。ま、結婚は譲らんがね。幼い頃、アタシと結婚する約束したもんなー、篝!」

「え!? あれ有効なの!?」

「え!? 有効じゃねえのか!? テメェ結婚詐欺かこの野郎!」

「当時七歳に言うことかよ」

 とりあえず回し蹴りを回避し、距離を取る。

「くそ、相変わらず反射神経えぐいな……」

「姉さんの蹴りはマジで洒落にならんから」

「ま、まぁいいや。おい、篝。お前気になってる女の子どれくらいいる」

 指折り数える。メティ、春希、ナッキー、しおりん、真夜、そよぎちゃん、幸光会長――――

「わ、わかった、もういい。そこにアタシも入れろ」

「無理やりだなあ。でもわかった。俺も姉さんのことは尊敬してるし。そういう仲になるのは嫌じゃない」

「おお! 見たかメティ、お前より好感度高いぜ!」

「篝さん、大好きです!」

「愛してるよメティ」

「おおい!? 嫌じゃない宣言なんだったんだよ!? アタシ馬鹿みてえじゃねえか! あれか!? 嫌じゃないで満足するなっていう愛のムチか!? アタシ結構ムチャクチャにされたい願望あるぞコラァ!」

「キレながらさりげなく自分の性癖を吐露するのをやめなさい、依子」

 メティがツッコミに回ってる、珍しい。いつも奔放な感じで俺をぶん回してるのに。

「んじゃ、とりあえず俺の部屋行こうか。姉さんもしばらくいられるんでしょ? 住む部屋は決まってる?」

「これから探す」

 男らし過ぎるだろ。

「俺んとこおいでよ。どうせ着の身着のままだろうし。生活雑貨とかあるから、買わなくていいでしょ」

「お、悪いな。へへん、メティ。羨ましいだろ」

「……ひとつ屋根の下……過ちが起きないわけもなく……二人は、蜜月を……」

「お、おーい、メヒティルト、帰ってこい。冗談だから。いや住むことは住むけど、さすがに高校生を襲うのはヤバすぎる」

「はっ!? い、いけません。いけませんね。落ち着かないと」

「今日は嬉しいな、メティに庶民の料理をご馳走できるから」

「はい、ご馳走になります」

「他になんかあんのか? 豚汁以外」

「冷凍の塩鮭があるからそれ焼こうかな。んで、ご飯はもち麦があるからもち麦ご飯にして、あ、とろろもあったな。すりおろす? 短冊に切って醤油と生姜で合える?」

「すりおろしで」

「了解、出汁醤油作んないとなあ」

「篝さんは料理ができるのですね」

「まぁ、それなりにね。家庭科に毛が生えたくらい」

「嘘吐け、超得意じゃねえか。お前んとこの実家帰った時、ばあちゃんの正月料理手伝わさせられてたじゃん。あの婆さん、キッチンに人入れるの嫌がるのにだぜ?」

「気に入られてたからねえ。メティ、食べられないものはある?」

「生魚、納豆、パクチー、くさや、シュールストレミング、ドリアン」

「あー……匂いきついのダメか」

「ええ。でも、篝さんの匂いは……大好きです」

 少し照れながらそっぽを向く彼女を、思わずわしゃわしゃする。

「こ、こら! もう少し優しく撫でなさい!」

「メティは可愛いなあ。そして――綺麗だよ、俺のお姫様」

「…………満点です」

「おっまえくそほどチョロいなメヒティルト」

「ほっといてください!」

 意外だ、メティがムキになってる。同級生相手にはこういう顔も見せるんだなあ。

 ふしぎ発見しながら、俺達は俺の部屋へと向かった。



 夕飯が並ぶ。鮭の塩焼き、もち麦ご飯、出汁巻き卵、とろろに出汁と醤油を差したもの、きんぴらごぼう、そして――豚汁。

 まず、姉さんが豚汁を啜る。

「……おお。あんなに少ない具材でこれだけウマいのすげーぞ、篝」

「よかった。メティもよかったら食べてよ」

「頂きますね、篝さん」

 しばらく、全員が食事に夢中になった。

 いち早く食べ終えた姉さんに、熱い緑茶を注ぐ。姉はフレーバーは好まない。玉露も「出汁の味がするじゃねえか!」とマズそうにしていた。いつもの煎茶を注ぎ、湯呑をメティ、姉さんの前に置く。

「あら? 篝さんの分は?」

「こいつ微妙に猫舌だから、いつも水出しの何か仕込んでんだよ。今日は何だ?」

「ルイボスティー」

「一口くれ」

「はい」

「おう。ずず……うえええ、何だこれ。変な風味」

「美味しいんだけどなあ。メティもどう?」

「頂きます。……む、少々安っぽいですね」

「そらスーパーで売ってるお茶パックに求め過ぎってもんだよメティ」

「最高級のを今度取り寄せますね?」

「やめて! どうせ水出しでごくごく飲むんだから! こういうのでいいんだよ、こういうので!」

「そういうものですか……難しいですね」

 メティは悩んでしまったが、とりあえず俺は自分のところに帰って来たルイボスティーを飲む。姉さんは嫌がったが、これがまたいい香りなのだ。爽やかな草の匂いというか……ごめん、形容が難しい。

「で、メヒティルトとはもう子作りしたか?」

「ぶふぉっ!?」「んぶっ!?」

 俺とメティは思いっきりむせてしまった。

「何動揺してんだ? ま、まさか、何か月なんだよ……! メティ、お前高校生を……!」

「ま、まだしてません!」

「これからするのか!?」

「しない……とは、言いきれないですが。ね? 篝さん」

「俺に振らないでメティ。俺に振らないで!? どう返せば正解なのか分かんないから!」

「そうか……お前らに一つ、言っておく」

 …………。

 ……………………。

「キスはレモン味だったか?」

「乙女かよ!」

「……すこし、しょっぱかったです」

 あ、あのときか! メティの家にお泊りした時、俺は襲うか襲うまいかで悶々してたから汗は搔いていただろう。ごめん、レモン味じゃなくて。

「お前ら、キスしたのか……!? ラブラブチュッチュなのか……!?」

「何そのクソみたいな表現。姉さん馬鹿になった?」

「黙ってろラブチュッチュ篝」

「何それ!? なんなのその呼び方!? 俺も馬鹿軍団の仲間みたいだからやめてよ!?」

「私が一方的に、篝さんのほっぺへキスしました」

「お、おおう……進んでるな……。よ、よォし、篝。目を瞑れ。お姉さんがキスしてやるぞお!?」

「声が裏返ってんですけど」

 がし、と頭を掴まれる。女性とは何だったのかと思うほどの怪力で動けない。

「はぁ、はぁ……う、動くなよ、ジッとしてろ……はぁ、はぁ……!」

「警察呼びましょうか」

「バッチリ呼んでいいよメティ」

「待てよ!? あ、アタシ乙女だから緊張してんの分かれ!」

「いえ、今の貴女は変質者として特級でした。警察ならばGPSを埋め込んで経過観察です」

「……!」

 ほっぺにキスをされた。その部分がじんわり熱を持つ感覚。幸せのような感覚が広がり、目の前の従姉が可愛く見えて仕方がなくなった。

「ど、ドキドキしたか?」

「……可愛いよ、マイスウィート」

 俺は姉さんの額にキスをする。

 真っ赤になった姉さんから、力が抜ける。……き、気絶?

 何故か、不服そうなメティが視界に映る。

「……私にも、してほしいですが」

「…………なんか、俺軽い男っぽくない?」

「いいんです。してください」

「いや、おねだりじゃない。俺も、したいから」

 俺は彼女の髪をあげて、額に軽く口を付ける。

 お互いの顔が極限まで近くなる。目と目が、まるで磁石のように引き合っていく。唇と唇が、どうしようもなく引き寄せられ――――

「……姉さん、動画はやめてくれ」

「あ、バレた?」

 我に返って、俺は身を引いた。心底不服そうなメティはさておき、姉さんに呆れる。

「復活早いね」

「お、おう。かつてない衝撃だったが、メヒティルト。王子って……いいな!」

「でしょう!?」

 物凄い喰いつきだった。

 で、姉さんにも王子様で接しろと言われたため小一時間やったら、「やっぱいいわ」ということで元に戻るのだった。何だったんだよ。



 翌朝。

 いい匂いがする。味噌汁の、いい匂い。でも、味噌だけじゃない。複雑な香りがしていた。

 食卓に行くと、キッチンに立つ姉さんの姿があった。こちらを見ると、ニッと快活な笑みを見せてくる。

「おう、はよっす。メシできてんぞ。朝はアタシ、夜は篝な。オーケー?」

「相変わらず強引だね」

「いやか?」

「いいや。そういうところ、尊敬してる」

 席に座り、手を合わせる。

 豚汁主体の健康的な食卓。まず、豚汁を。

 ……おお、ウマい。俺の昨日のやつとは違う味がする。こっちの方が、味噌や豚の甘みが感じられる。俺のは出汁が強くてそれらを殺しがちだったから……勉強になる。

「美味いよ、姉さん」

「おう、いっぱい食え!」

 そう笑う彼女は、ふと――ぐっと大人びて見えて、少しドキドキした。昨日の、頬に残る感触を思いだす。……メティもだけど、可愛いし、綺麗なんだよな。

 不思議な魅力を放つ二人の年上の女性を意識しながら。

 俺は、朝食を頬張るのだった。

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