十三章 お師匠さま

  十三章 お師匠さま


「大分曲がるようになったじゃん」

 それなりに変化するカーブを捕球して、俺は微笑みを彼女に向けた。

 綾小路詩織。あまり変わらない表情がミステリアスな女の子で、ゲームが好き。パ○プロにハマっており、現実でも野球が好きなようだ。しかし、自分に運動神経がないから、それに付き合わせるのは申し訳ない……と言った主義らしかった。

 今は、自分からキャッチボールに誘うくらい、俺とは打ち解けていた。

 投げ返すと、綺麗な顔に微笑みを浮かべるしおりん。

「うん、頑張った。指を鍛える輪ゴムのストレッチが効いたかもしれない」

 輪ゴムを指に引っ掛けてびよんびよん伸ばすトレーニング。極めて地味だが、こういう地味な努力も大事だ。

 大きな変化を生むためなら、抜き方も工夫しなければならない。しおりんがやったのは、もう少し指にかかり、抜くよりも切るようなカーブ。腕力を補うため、回転に意識を向けた結果だと思う。

 投げ返されたボールを捕って、俺はカーブを投げた。

 投げなれたボールだ。ふわりと斜めに沈んでいく。しおりんはそれを零したが、当たらなくてよかった。軟球でやってるけど、当たったら痛いもんな。

「……ねえ、かがりんはぼくの師匠になるのかな。カーブの」

「まぁ、そうだね」

「何となく憧れがあった。師弟関係。師匠って呼んでいい?」

「いいぞ、しおりん。というか、何で急に師匠?」

「だって……」

 ぼそぼそと何かを言ったはずなのだが、聞こえてこない。顔を上げた彼女は、少し頬を赤くして、彼女はまっすぐを俺の胸めがけて放った。

「っと」

「いいから。かがりんは、師匠」

「まぁ、それはそれでいいけど……」

 よく分からない。何でそんな行動に出たのか。

 考えてもよく分からないまま、その時のノリと冗談だろうと高を括り、今日は解散となった。



「師匠」

 翌日。

 しおりんの発した一言は、全員が聞いており、まずナッキーが首を傾げた。

「師匠って……何の? この三枚目のギャグなんか習わない方がいいよ、詩織ちゃん」

「ナッキー、俺も傷つくからね? こうやって明るく応対してるけど心は傷ついてるからね!?」

「嘘だぁ、メンタル鋼のくせに」

「炎と格闘と地面にしこたま弱いので虐めないでください。でももっと踏んで!」

「かがりん一秒で矛盾してるよ! 早過ぎだよそれは! もっとポリシー持って!」

「どんな時でも、俺は俺らしく。それが、可憐な乙女のポリシーだ!」

「乙女じゃないじゃん! めっちゃ野郎じゃん! 王子様なんでしょ!?」

「いや王子様でもないから! メティには内緒でそれを認知させるの止めてほしいんだけどどう?」

「いや、どうって言われても。理事長に報告するしか」

「ひでえ!?」

 確かにな。仲間しか裏切らんよな。ナッキー、信じてたのに……まぁ可愛いから良し!

 さておき、しおりんに向き直る。相変わらず表情が読めない。

「で、どうしたの、しおりん。あれ? 師匠は昨日のおふざけでは?」

「パン買ってきました」

「え? あ、うん。ありがとう」

 パンを受け取る。コーンマヨか。好きでもないが嫌いでもない微妙なところ。

「エナジードリンクもあります」

「うん? あ、ありがとう」

 ピンク色のエナドリを受け取る。体にあんまりよくないから摂取しなかったんだけど、まぁたまにならいいかな。

「メントール配合の新作バニラ味のガムもあります。さあ、一気にいこう」

「食べ合わせ何とかならなかったの!? コーンマヨパンとエナドリはさておきそこにガム!? なんで!?」

「チョコダラケもある」

「ガムが溶けちゃうだろそれは! い、いや、しおりん。なんでまた……」

「弟子は、師匠の命令を聞くものだから」

「え、ちょっとかがりん、そこに座んなさい。幼気なしおりんをパシらせた罰として、この強化プラスチックハリセンでビンタね」

「優しくしてね? って待たんかい! しおりん、俺命令してないよね!?」

「命令される前に動いてこそ、真のパシリ」

「パシリなの!? 弟子ですらねーじゃん! なんで!?」

「仲間も、真の、ってつけておかないと、正式加入しない。結局続編でも真の仲間を持ち上げて、そのただの仲間は雑な扱い。怖い世の中」

「ゲームとごっちゃにしないで!? そのゲームはアニメ成功したじゃん! アニメ版だけ見てればいいから! あの仲間も真の仲間になったから!」

「まぁ、食べて」

「い、いいけど……お金、いくら?」

「お納めください」

「そんなわけにも!?」

「師匠は、弟子から搾取するもの」

「とんだ偏見だよそれは! ほら、その認識は全部ごみ箱に捨てちゃえ!」

 とりあえず千円札を握らせる。

「いいのに……」

「よくありません。なんでまた、こんなことしだしたんだよ。しこたまビビるじゃん」

「嬉しくない?」

「嬉しくない」

 キッパリと言い放つが、彼女は何か考え込んでしまった。と思えば顔を上げ、こちらに寄りかかってくる。むにゅん、と彼女の体に見合わない大きな胸が当たる。う、うおおお!

「うっわ、かがりんが幸せそう!」

「おっぱいですよナッキー。おっぱいです。おっぱいが嫌いな男なんていません。でも、しおりん。なんで急にスキンシップを?」

「……な、なんでだと思う?」

「…………。…………? なんで?」

 しおりんはむすっとしながら頬を膨らませ、俺に抱き着いてくる。なんで!? 俺にくっつかなきゃ死ぬ呪いでも罹ってんの!?

「こ、怖いよしおりん! 俺達友達では!?」

「今は師匠と弟子の間柄。師匠は弟子に色々する権利がある」

「いやいやいやいや!? ないから! 落ち着いて考えようしおりん!」

「更科さん」

「んお?」

 サーターアンダギーっぽいなにかを食べていた真夜が、ミルクフランスパン二本を投げられる。

「かがりんを抱きしめて。ぼくといっしょに」

「いいよー!」

「人を誘うな! どういうイベント!? 後、真夜も好きでも何でもないやつに抱き着いたりしてくんなマジで!」

「えー、あたし篝君のこと好きだよ?」

「今か明かされる衝撃の真実!?」

「ベーコンエッグパンの次に」

「基準が分かんないよ!? どういう類の好きなのかがまるで見えてこないよ!? ってうおおお!?」

 背後から真夜が。しおりんにしろ真夜にしろ、そ、育ってるなあ。その感想はちょっとじじむさいか。端的に言えば、達するパフ!

「うわあ、かがりんが主人公ではなさそうな締まりのない顔してる……」

「お、俺、ひょっとしてモテ期!? モテ期がTOU☆RAIなのか!?」

「……」

 おお、ナッキーも右手を握ってくれたぞ! 後は、左……!

「し、しつれい、します。篝君、数学の教科書、かり、に……え……? ハーレム王……?」

 春希の口から壮絶に頭悪い単語出てきちゃった。でもこの状況をロクに形容する言葉も特に見当たらない。

「春希! 俺の左手になってくれ!」

「え、あ……ど、どういう、状況なのか……ま、全く、分からない……!」

「さあ、カムヒア!」

「……お、お幸せに?」

「ちょい待ち」

 ぐねん、と上半身をねじって机から教科書を取り出す。

「う、うわあ……!? その場から、い、イナバウアーみたいに、ねじりながらのけぞって、そ、そのまま、元の体、勢に……!? こ、怖い……!」

「はい、春希」

「あ、うん。ありがとう……? こ、腰とか、背中、平気?」

「おうともよ! 俺のお父さんタコでお母さんがイカだから」

「な、軟体人間!?」

「前世は銀色のスライムだったりすると信じてる」

「人からはきっと狩りの対象だったんだ……師匠、可哀想」「経験値、餌……」

「しおりん、春希、意外にえぐいな……」

 王道RPGなど知らなさそうなナッキーと真夜はキョトンとしていた。もう少し他のゲームに興味持とうぜ、ナッキー。もうちょっとゲームに興味持とうぜ真夜。

「見つけましたよハーレム野郎」

「おお、メティ! どうしよう、俺すっごいモテ期だぞ!」

「黒服、やつを拘束して一時間漢だらけの……ふふふっ!」

「意味深に笑うなよ!? こわっ!? え、何されんの!?」

「特に意味はないですが、王子の特権を使って肉欲を支配するのはNGと言っておきましょう」

「違うよ!? 全然違うよ!? なあ、真夜……って食ってる! フランスパン食ってる! あれ!? ナッキー!? ゲーム機弄ってないでこっち見て、俺危機だよ!? あ、春希! 行かないで! ああ、しおりんも何合掌してんだよ! ああ、待って、助けて――うわぁああああああああ――――――――っ!?」

 俺は黒服にドナドナされていく。ああ、むさくるしいよう。筋肉が当たるよう。堅いよう。制汗剤の匂いがするよう。

 結局、俺は一時間、黒服に囲まれてボードゲームを行った。カードに書かれている内容を履行するのだが、男同士のハグやスキンシップがてんこ盛りで、もうなんつーか。勘弁して……。



 すっかり精神的に去勢された俺は、五時間目終了と共に教室に戻って来た。

 滝のような涙を流す俺に、さすがにナッキーが寄って来た。

「あー、いつもの男同士の怖い奴?」

「裏切り者……! 俺は一時間男とくんずほぐれつしてたんだぞ……! 女の子とキャッキャウフフしたいわ!」

「ああ、あれじゃない? さっきまで女の子に囲まれてた反動?」

「え!? 何それ!? 俺美味しい思いしたらヤバい思いもしなきゃならないの!? なんで!?」

「師匠、弄られてる時が輝いてると思う」

「しおりん!? 俺はもうちょっと大人しくしてたいんですけど!?」

「……師弟ごっこは、やめる」

「そうしてくれ。やっぱりしおりんは、俺の大事な友達だからな!」

 満面の笑みを向けると、彼女は何故か傷ついたような顔をした。それも一瞬だった。気のせい……なのか? 事実なら、何で悲しそうな顔をしたんだろう。よもや、外見など度外視のしおりんが俺を好きになるなんてことはないだろうし。

「ま、何にせよ。普通が一番だよ。というわけで、もう一回抱き着いてくれしおりん、ナッキー、真夜」

「ふっふっふー、理事長にコールだ!」

「やめようよナッキー! こら、しおりん、スマホを取り出すな!? 真夜はもうちょっとこっちに興味持て、こら、おにぎり食ってないで!」

「もしもし、理事長先生?」

「アッー!? やめろやめてやめてくれください! もう男同士は勘弁してぇぇぇぇ――――――――っ!?」


  ◇


 いつも賑やかな彼を見る。

 綺麗な女の子に、囲まれている。教科書を返しに来た、図書館の姫こと暮野さん。色が白くて明るい、星名さん。大らかで運動が得意な更科さん。年齢不詳極まれりな合法ロリの理事長。生徒会長とも、仲がよさそうだった。星名さんの妹さんとも、交友があると聞く。

 みんな、トクベツ感が、なんとなくある。ぼくも、そう呼ばれたい。

 だから、師弟関係なんて、持ち出した。そんなの、彼との関係を進める一つに過ぎない。

 今のぼくは、単なる友達。

 その関係でいるのが、嫌になった。

 友達でいると、切なくなる。友達でいると、友達って断言された時に、心に亀裂が走るようだった。そして、その言葉に安堵している自分もいる。

 関係を変えたいのに、変わるのが怖い。

 それは、ぼくが今の関係を愛しく思ってるから。

 そしてきっと、ぼくが彼を愛しく思っているからだ。

「……女の子だったらいいのに」

 多分、女の子なら、最高の親友になれてたと思う。

 でも、ぼくと君は、どうしようもなく異性で。

 どうしようもなく――ぼくは、君に惹かれてる。

 かがりん……いや、篝君。

 このもどかしい距離を詰めるのは簡単だ。振られても、彼ならまた微笑んでくれる。

 でも、こんな面白おかしいツッコミとか、遠慮のなさとか。そういうのはきっと、告白したら全部なくなっちゃう。

 このままで、いいんだよね?

 このままで、いさせてね。

「ああ……大好きだなぁ……」

「え? 何が、しおりん?」

「…………最近出てきた猪狩○ポジションのライバル役」

「あー、良いキャラしてるよなぁ!」

 ぼくだけに向けてくれる微笑みを、独占したいと思うのは、贅沢だろう。

 だって、相手は学園の王子様。

 ……でも、いつかきっと。

 ぼくだけに微笑んで欲しい。そう告白する日が、やってくると思う。

 だから、それまで。

「……」

「? なーに、しおりん。こっち見て」

「なんでもない」

 王子様で、あってね。カッコよくて、面白い、最高の友達のまま、誰のものにもならないでいてね。

 そして、どうか。

 この想いに、気づきませんように――――

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