十章 引率
「本日は引率に来て頂いて、ありがとうございます」
「あ、ああ。うん。別にいいけど」
星名そよぎ……ナッキーの妹に頼まれ、屋内プールにやってきていた。人で混む前に遊びたいということで、頼みこまれた。
ナッキーも付いてきている。水着は着ているようだが、いつものトリガーハッピーシャツを身に纏っていて、黒いビキニタイプなんだな、くらいしか分からないでいる。シャツの裾は結んでいて、少しおへそが見えていた。
そよぎちゃんは普通にワンピースタイプ。淡いブルーの水着が綺麗だ。他、小学生の女の子が三人くらい。
「ナッキーがいるんだったら、俺いらなかったんじゃない?」
「何を言うの、かがりん。私はここでFPSやるから。無線鯖で無双タイムさ……!」
「え!? ナッキー何しにここへ来たの!?」
携帯ゲーム機のようなPCでナッキーはカチャカチャとゲームをやり始めた。不健康すぎるだろ。
「こうなるので。では、一緒に遊びましょう」
「おうよ! 何して遊ぶ?」
「まずジャグジーです」
え!? 流れるプールとかじゃないの!? 初手お風呂なの!?
そういうわけで。
女子小学生と一緒にお風呂。なんだか危険な気もするが、引率だからしゃーない。
「ねー、そよぎー。泳がないのー?」
「まずは体を温めてから。それから冷たいのに入ると気持ちいいよ」
「なるほど!」
サウナかよ。
ぼこぼこと湧き出るジェットに癒されてから、流れるプールへ。
「みんな泳げるのか?」
「はい」「うん」「ほどほど」「泳げなくはない!」
なら心配いらないか。
念のために、一個浮き輪を借りてきた。
坂道を降りて、冷たい水の感触にきゃっきゃしている小学生たち。俺も入っていく。
……なるほど、気持ちいい。少し火照った体に、この温度は染みた。
同じような家族連れがぽつぽついるくらいで、プールは普通だ。イモ洗いのような混雑でもなんでもなく、快適。この時期を選んだそよぎちゃんは本当に賢い。
しばらく、流されながら遊泳し、次に向かったのは。
「いっ!?」
なんで競技用プールのゾーンに来るんだよ。
「水泳、見せてほしいです!」
「いや、面白いもんじゃないよ」
俺にとってプールは挫折というか、力量を思い知った場所でもあるので、あんまり好きではないんだけど。
「わかった、合図くれ」
でも、キラキラとした瞳に、仕方なく、飛び込み台に立つ。
刹那に、意識が浮上する。静寂に聞こえる中――
「よーい……」
その声を聴く。
「どん!」
蹴りだす。
矢のように放たれた体を、最小限の面積の入水で仕掛けていく。ドルフィンキックで浮上しながら加速し、クロールを開始した。
ストロークが全盛期より僅かに衰えている。ゴーグル無し、海パン。そんな悪条件の中、加速していく。ずれてくれるなよ。
記録は……二十五秒。短路で海パンでこれだけ出てたらマシな方かな。
「す……すっごいです……! 早いです!」
口々に凄いと言われ、少し困る。全力は出したけど、恐々だし。本気出したらきっと海パンが脱げる。
まぁ、カッコがついたみたいで、よかった。
私はリザルト画面から視線を外し、二十五メートルプールを見ていた。
学園の王子様。そして、そよぎの王子様。光本篝。
見た目は、ありだ。男にそんなに興味がない私でも、カッコいーなーってなんとなく思うし。嫌な感じはしない。
むしろ、私のこんな趣味に理解があって、同級生の妹なんて超絶関係ない位置取りの女の子の頼みを聞いているのは、律儀だって思うし。好感度は、低くないというか。
親友の真夜にもご飯渡してくれてるし。あいつの腹ペコと私の財布の中身が心配だったけど、問題は解決しているように思える。
後、FPSでは負けたくない相手だ。
かがりんは立ち回りが上手い。エイムが超絶凄い……というわけではないんだけど、地味に上手い。よく訓練されてるし、咄嗟に動けるのもプラス。
状況判断が早くて、ナイフキルが鮮やか。敵にとにかく当てるスタイルで、投げナイフなんか扱わせたら一流というか。今度、動画録ってもらおう。練習したい。なげものってなんでああも当たらないんだろう。当ててる人と当てれてない人との脳構造が違うんじゃないかって、最近割とマジで疑っている。
ホント、ムカつく。練習してるのは分かってるのに、抜けないなんて。いつか絶対ぎゃふんと言わせたい。
水泳をする彼を眺める。海パンであそこまで早いの、チートじゃん。どういうことなんだろ。
丸いテーブルに置かれた、メロンソーダを飲む。氷が溶けてて、少し味が薄い。けど冷たい飲み物っていいなぁ。
あれ、こっちくる。
「よう、泳がねーの? ナッキー」
「い・や。そよぎと遊んでやってよ」
「そっか! 気が向いたら、こっちきて、足だけでも水に浸かろうぜ」
「うん、わかった」
ほら、こういうとこ。
無理に誘わないとか、結構好感度高いよね。
……こういう人なのかな。長く付き合える人って。
趣味に理解があって、私の友達と仲良くて、カッコよくて……飽きない、楽しい人。
「!?」
な、ないないない!
相手は、あの三枚目なんだよ!? それはないでしょー。ほら、もう一回かがりんを見よう!
今度は子供向けのプールゾーンで鬼ごっこしてるみたいだった。大人げないかがりんは、本当に子供達と向き合って、遊んでくれてる。子供に好かれるのかな。
優しくて、面白くて、強い……――
「いや、だから!」
何でそんなこと考えるかなぁ、私!
「なあ、そこの彼女ー!」
「は?」
「い、いや。何でプールまで来てゲーム機弄ってんの? わけわかんないんだけど!」
「どっか行ってよ」
「はぁ? そんな暇なら、俺等と遊ぼうぜえ?」
ほら、目線が下に来る。
いやらしい視線だ。最低。やっぱり、男子ってこうなんだ。
監視員さんを――あれ、いない?
こいつら、まさか見計らって――
「よーっす、ナッキーハロー!」
タイミングよく……かがりんが手を振りながらやってきた。それも、大袈裟に。
「か、かがりん!」
「は? 何だお前」
「俺? その子の彼氏なんですけど」
「はぁ? お前馬鹿じゃねーのか? 彼女ほっといて何やってんだよ。退屈でゲーム弄ってたのによぉ。最悪じゃね?」
「考えが足りないのはお前だろ? プールに来てまでやりたいってのは、それだけ本気だってことが分かんないのか? 俺は彼女のやりたいことを応援したいんだ。考えも、愛も。浅いよ。そこの子供用のプールにすら及ばない」
――――。
こういう、ところだ。
爽やかに、カッコよく。王子は演技だって分かってるのに、こう、びしっと決めてくる。
「もう一度聞くよ。好きなことに一生懸命な俺の彼女に、何か用かい?」
「……」
無言で、男達は去っていった。
「か、カッコいいだなんて思ってないんだからね!」
「ち、チクショウ……身も心もイケメンだったとは……」
いや、何でかがりん見て顔赤くしてんだろ、あの人達。
「いや、かがりん。演技いいよ。ありがと」
「は? 演技? ありゃ本心だぞ」
――――~~~~っ!?
「いてっ。なに、なんなのナッキー!?」
ぺしぺしと背中を叩く。
かがりんのくせに。何でそんなに……カッコいいんだよぅ。
ロッカーに、ゲーム機を置いてきた。
「……どしたの、ナッキー。FPSは?」
「持って入れないでしょ、ジャグジーに」
「え?」
「私、泳げないの。だから、その。ジャグジーでよければ、一緒に……」
恥ずかしい告白だった。今時、泳げないなんて。小、中とプールの授業は休まなきゃいけなかった。だって、日差しがあるから。
日焼け止め程度では意味がない。焼けてしまうのだ、この肌は。そう言う理由で、レジャーとかは軒並み屋根の下。いつの間にかゲームに逃げる生活を、送らざるを得なかった。
クラスメイトとかは羨ましがったり、からかったりしてきたけど、それが嫌だった。だから、プールのない高校に進学したんだし。
彼も、からかうのかな。馬鹿に、するのかな。
「なぁんだ。んじゃジャグジー行こうぜー!」
ごくあっさり、流された。
「……笑わないの? 泳げないの」
「ナッキーアルビノでしょ。そう言う人、見たことあるんだ。プールって大体屋外だから、できないでしょ、火傷するし。泳げないのは分かるよ。でも、ジャグジー一緒に入れるなんて嬉しいぜナッキー! お風呂は気持ちいいもんな。それに、ようやくそのTシャツの下が透けて見えるんだぜ……!」
「そこなの!?」
思わず、笑ってしまった。
そっか、分かってくれる人、いるんだ。
茶化さないで、受け止めてくれる人も、やっぱりいるんだな。
私はシャツを脱いだ。黒い、フリルもないオーソドックスなビキニ。
「……綺麗だよ、輝羅梨。似合ってる」
――ずるい。
こんな時だけ、名前をしっかり呼んじゃって。
顔が熱くなるのを感じながら、ジャグジーに歩いて行く。
それを、かがりんは追ってくる。
「そよぎちゃんももう一回ジャグジーで!」
「はい、篝様!」
「え、様付けぇ!? ちょ、そよぎ! この偽王子が調子に乗るからダメだって!」
「何を言ってるんですか、お姉ちゃん。篝様は様を付けるべき人間です」
「崇拝かよ! かがりんもなんか言ってよ!」
「なんか言って変えてくれるなら俺も言うけど……」
「あー……。ごめん、かがりん」
「いいけどさ。やっぱナッキースタイルいいね」
「か、篝様、見ててください! 六年後ぐらいにはわたしも……! ナイスバディーに!」
「期待してるよ、プリンセスそよぎ」
「ふぁああああ! はい、頑張ります! 牛乳、飲みます!」
……。妹とも仲いいし。そよぎがライバルなのか。なんかふくざ……
……え? 今、ライバルって? 妹を?
かがりんのこと、私、好きなの……?
んなわけないない。ちゃんと彼の顔を見ると――
――優しい眼差し。楽しそうな笑み。
こっちを、向かないで。だって――そんなこと、今されたら――勘違いじゃ、なくなるのに――
微笑みが、向けられた瞬間――
――トクン。トクン、トクントクン――
……恋に落ちる瞬間って、音がすると思う。
何かが落ちる音、とか。よく訊くけど。
私にとってそれは――きゅん、と、胸が締め付けられる音で。
「……」
「どうしたんだよ、ナッキー」
「……何でもない! ほら、お風呂入ろ、かがりん!」
こんなに、激しい気持ちだったなんて。
隣にいる。手を伸ばせば、触れる距離に、彼がいるだけで。
どうしようもないくらい――好きが、抑えきれない。
手を取ってみる。
かがりんは、嫌な顔一つせず、私の病的な白い手を、握り返してくれた。
帰りのバスの中、みんな寝ちゃったけど、かがりんだけは起きてて、談笑に付き合ってくれた。
「ねえ、かがりん。……もしも、もしもさ。好きだって女の子が告白してきたら、どうするの?」
「んー……。王子じゃないと分かってて、受け入れてくれるなら。いや、受け入れてくれるだけじゃいやだな。この三枚目な俺も好きでいてくれる人がいいや」
「難しそうだねぇ」
「だよなー」
難しいだけで、ちゃんといるんだよ、かがりん。
人って――星のようなものだと思う。
都会で探すと見えないくせに、違う場所に行くと、残酷なほどよく見える。
都会は、普段は光り輝いて、奥の――空の輝きが見えないけど。
こうやって、好きになってみて――別の場所に立つことで、彼の本質が、ようやく見えてくる。
この人、本当は――怖いんだ。
受け入れてほしい。本当の自分を見てほしい。そうして、心からの安心が、欲しい人なんだなと思う。
だから、人の傷つくことは言わないし、誰にでも、優しく振る舞うんだ。それが愛を貰える手段だと、本能的に理解してるから。
「え?」
強引に、かがりんを引き寄せ、膝に乗せる。
「な、ナッキー!?」
「……ナンパされた時、怖かった。だから、お礼」
「……。うん、もらっとく」
こんなの、ただの口実だ。
もっと近づきたい。もっと仲良くなりたい。
でもよくわからない。だから、物理的に距離を縮めた。
私の恋愛なんて、そんなものだ。少女漫画とかレディコミを読まず、血と汗と硝煙を体験する世界で戦っていた私にとって、恋なんてケース、イレギュラーすぎてわかんなかった。
よく、愛のために忠誠を曲げる兵士がいたんだけど。そいつはクソだと思い込んでいた。国や仲間を売る最低野郎だって、今の今まで考えてたんだけど。
こんな気持ちを前にしてしまったら――
強い光で、何も見えなくなる。
仲間との友情や、国への忠誠心、軍への絆でさえ――
愛って、凄いエネルギーなんだなって。リアルタイムで痛感した。
「……寝ていいよ、かがりん」
「寝たらこの感触を味わえんだろ」
「かがりんらしいね」
そうして、目的地にたどり着くまで。
私達は、バスに揺られていた。
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