九章 デート
「ううん、絶好のデート日和!」
まさに青天。燦々と輝く太陽に、駆け抜ける五月の温い風が爽やかだ。
黒いシャツ、水色の七分袖のYシャツを上にはおり、下には深緑色のカーゴズボン。靴はショートブーツだ。
首から提げているのは盾の形のループタイだ。ワンアクセント。
財布と携帯電話、スマートウオッチ、ハンカチのみの軽装備。
時間十五分前に到着。ちょっと速く来すぎたか?
「お、おまた、せ」
「いや、まだ十五分の前だぜ」
振り返って、あまりの破壊力に撃ち抜かれる。
白いワンピースに白い帽子。青いローヒールの靴が、背伸びし過ぎない印象で、とても彼女らしい。
まるで避暑地にやって来た、お嬢様のような姿。深窓の令嬢が手の届く範囲にいるような気がして、とりあえず撫でておいた。
「な、何?」
「春希は可愛いなあ。服、良く似合ってる。可愛いよ」
「……あ、ありがとう。篝君、も、カッコいい。オシャレ。意外と普通」
「ど、どんなの着てくると思ったの?」
「もう、ちょっと……かっちり、の方が、似合いそう」
「あー……よく言われるんだけど、俺そういう真面目なのあんまり趣味じゃないんだよね。でも、そっちが良かったら今度はそっちを着てくるよ」
「楽しみに、してる」
楽しみにされちゃ断れないか。頑張ってかっちりめな服を着ていこう。
午前十一時半。まずはランチからだ。
「飯食いに行こう。何がいい?」
「ら、ラーメン!」
「ダメです、もっとデートっぽいところにしなさい」
「ら、ラーメン……」
「そ、そんなに食べたいの?」
「うん」
「そっか。じゃあ行こうか。豚骨は当たり前として、どこに行きたい?」
「長浜!」
「……。そっか」
そういえば春希は庶民派だったな。女の子はあの青い看板の有名ラーメンに行くとばかり思っていたけど。
「よーし、長浜にいくべー」
「うん!」
ゆるゆると、俺達のデートはどうやら豚骨から始まるようだ。
それで食べ終わった後、服屋にやってきていた。
「春希、これなんか似合うんじゃない?」
「……これ、多分胸のあたりがスカスカになりそう」
「ええ、春希結構ある方でしょ」
「D、くらいはあるけど」
言っちゃうんだ。あ、顔を赤くしてる。
聞かなかったふりをしつつ、色んな服を見ていく。
「わ、ワタシの服、見たって、つまらない」
「野郎の服の方がつまんないでしょ」
「そんなこと、ない。今日は、モデル、もいる。資料、集めたい。色々、着て? 何着かプレゼント、したい」
「そんな!? 俺が考えていたことを春希が!?」
「え、何か、買ってくれるの……?」
「うむ。あ、そうだ。お互いにお互いの服を選ぶってのはどう? 制限時間は一時間。値段は一万円まで! レディーのゴーだ!」
「わ、わ!?」
とりあえず別れて、春希のコーデを考える。
彼女はシックで無垢な白も似合うが、割合黒も似合いそうだ。色気のある服に、あの幼気な態度……そそるっ!
そういう方向性で固めていく。
うんうん、何だかピアノの発表会みたいな感じになったが、一万円に収まった。これで良し。
気づけば四十五分が経っていた。やはり、誰かのためにこうやって悩むのはかなり楽しい。意外とサプライズ好きなのかもしれないな、俺。
と、春希が満足そうに駆け寄ってきた。
「選んできた!」
「よっしゃ、着替えるか、お互い」
「うん」
春希が選んでくれた服を着る。黒い細身のスラックス、白いワイシャツ、和風な柄がプリントされた深緑色のチョッキ、そして革靴。かっちりしてるな、予想より……。これは男子高校生のサンプルではない。恐らく趣味なんだろう。
全部着て表に出ると、春希が目をキラキラさせていた。
「似合う! カッコいい!」
「あ、ありがと。春希も、おお、ちゃんと似合うじゃん!」
黒いフレアスカート、乳白色のブラウス、靴はつま先の丸い光沢のある黒い靴。下には白いタイツが当てられていた。まぁさすがに買う前に開けるのは無理か。生足も白くて綺麗だった。
「に、似合う、かな。黒は、あんまり買わない」
「似合う似合う! よっしゃ、お会計するか!」
「うん!」
脱いで、再び交換した後、レジでお会計。そしてお互いが選んだ服に着替えて、服屋を出た。
着なれないのか、もじもじしている春希の手を取る。
「あ……!」
「憧れだったんだ、手をつないで歩くの。いいかな」
「返事、する前に……手、取ってる」
「嫌だったか?」
「嫌じゃ、ない……」
「よかったー! そんじゃ行こうぜい」
定番……とは言えないが。
春希と一緒に海を見に行くことにした。
波を眺めながらボーっとするのが好きなんだそうなのだが、最近行けてなかったらしい。
「春希は山か海かって言われたらどっち?」
「海」
「ほほう。でも山もいいもんだぞー。涼しいし、空気は澄んでるし」
「虫、いっぱいいる。遠足で、山に登った時、お、大きすぎる、ミミズが、いっぱいいて、気持ち悪かった……」
「あー、たまにいるよな」
山ミミズ、メッチャデカいんだよな。畑で見るサイズとは格が違う。
「まぁ、夏になったら海行こうぜ!」
「プールならいい」
「海はダメなのか?」
「……帰る時、サンダルが砂と水でぐちゃぐちゃになる。遊ぶなら、プールがいい」
「なるほど。それじゃプールか、覚悟しとけよ。水着姿」
「……ね、ねえ。男子の水着には、ブーメラ――」
「着ないからな」
「……意地悪」
いや無理だから。
あんな水着着る勇者無理だから。王子的にNG。
「そんなこと言うなら春希だってスリングショットだぞ」
「? なに、それ」
「検索してみ」
ポチポチと携帯を操作し、そして一気に真っ赤になる。
「……えっち」
「ブーメラン要求する春希の方がエッチだ」
「わ、ワタシ、エッチ、じゃない!」
「知ってるんだぞ、春希、こっそりとあの棚にある官能小説を――」
「わ、わー! わー! 言わない、約束!」
「してないしてない。君、ガッツリ読んでたろ、顔を真っ赤にしながら。タイトルだけなら分からなかったけど、後で調べたらねえ……? ねえ、エッチな春希ちゃん?」
「……篝君、なんか、し、知らない」
「そっか。それじゃ俺は帰るよ。じゃあね」
「ま、待って!」
無論冗談だが、春希に冗談はあまり通じないことを、引っ張られて思いだした。
「……きょ、今日は、デート。ワタシ、まだ……篝君、と、いたい」
顔を赤くしながらそんなことを言う彼女の頭をぐりぐりと撫でる。
「髪の毛、ぐしゃぐしゃ、に、なっちゃう……!」
「春希は可愛いなあ」
潮騒が聞こえる。
流れる風に、海水の匂いが入り混じってきた。
砂浜のあるそこに出る。
ベンチが拵えてあるような砂浜だ。遊歩道もあり、老人やご近所さんの散歩コースの意味合いが強いのだろう。
俺達もベンチに座って、潮風と波音を感じる。
「……波の音って、落ち着くな」
「うん。なんだか、好きなんだ」
「分かる気がするよ」
俺は立ち上がり、ジュースを買って戻ってきた。
「ほい、コーラかりんごジュース」
「りんごジュースで」
「あいよ」
それを開け、喉に流し込む。少し汗ばむ陽気の中で飲む、自販機で冷やされたコーラはとても染みた。美味すぎる。
「ふう……」
……。
喧噪も、どこか遠い。波音だけが響く静かな浜辺。
それは何処か、切り取られた図書室の中を思い出すような。落ち着く。
春希はちびちびとりんごジュースを飲んでいる。永遠に味わっていたい、と言わんばかりに。
……確かに。
口数が多い方ではない春希と一緒にいるときは、無言が多い。
だから、この時間は苦ではない。
何より――
「……」
お互いの手と手が繋がっている今は、どうしても――
彼女を、強く意識してしまう。
華奢な指。小さな手。すべすべで、ぷにぷにしたその手触りは、まるで同じ人間とは思えないような。
男とは違う。女性を意識して、ドキドキしてしまった。
「……?」
もたれかかってくる、春希。
随分アグレッシブだな、と思ったら――春希が、寝ていた。
こらこら。こんな無防備に……。
……。
唇、柔らかそうだな……。睫毛長いな……。やっぱ、可愛いよなぁ……。
こんな小さな体なのに、ちゃんと、生活が成り立つだけどの才能があって、そして一人暮らしまでして……。
立派だよなあ。
恐らく、相当根を詰めているはずだ。真面目だが、やはり優しいんだ、春希は。小説の作業が詰まっていて、それで夜遅くまで頑張っているのだろう。化粧で隠していたが、目の下にはくまが出来上がりつつある。
「……」
俺の膝に、彼女の頭を乗せる。
硬いかな。でも、ベンチの木の上よりはいいだろう。
「おやすみ、春希」
せめて、起きるまでは。
君を守る王子様でいさせてほしい。
「ご、ごめ、ん、寝ちゃって……」
「気にしない気にしない! 春希の可愛い寝顔を拝めたんで、ご馳走様です!」
「……もう」
そう仕方なさそうに彼女が笑う。それに笑みを返し、俺は手を振った。
「そんじゃなー! 温かくして寝ろよー!」
「うん……!」
あー、楽しかった。
デートって、やっぱ楽しいもんなんだな。
……相手が、春希だから、なのか?
そこはよく分からないが……。
春希とのデートは、楽しかった。充実していた。それだけは確実に言える。
「……」
家に帰って、静かな部屋に戻る。
ワタシ――暮野春希は、特にこの部屋が嫌いと言うわけではなかった。
騒々しいよりも、静かな方が好きだし。集中も出来る。
そう、思っていたのに。
この部屋が、酷く寂しく感じるのは、なぜ?
「……篝、君……」
彼のことを思い出す。
なんだか、面白い人だ、というのが最初の印象で、そして読者さんと知って、完全に警戒心が無くなった。
面白おかしくて、優しいけど、どこか意地悪で……パターンが、全く分からない。
変なところで凄い度胸を発揮するかと思えば、どこか押しが弱いところがあって。
今日もそうだ。ワタシが寝ちゃったとき、一度起きた。その時も、穏やかな顔で海を眺めていた。ワタシを膝に抱えたまま。安心して、また眠ってしまったんだけども。
ワタシの知ってる男子高校生は、キスくらいしてくるものだと思ってたのに。
女の子が好きなんだろうけど、迫ったら、スッとかわされるような。
そうだ、彼はどこか、波に似ているんだ。
こちらに可愛いとか言っておきながら、いざこちらから距離を縮めようとすると、なんか変なギャグか何かでごまかされる。
だから、なのか。図々しいと思うほど近づくときもあれば、他の誰よりも、不愉快の境界線を弁えていて――付き合いやすい、男の人だった。
「……」
最近、彼のことばかり考えている。
彼を題材にしていた小説は問題と言えば問題だ。彼は完璧超人で、三枚目。今までに書いてこなかった主人公だけど、モチーフがいるから、すいすい進む。
けど、ワタシは――そのヒロインに嫉妬してしまっている。
このヒロインは、鈍感で、トロくて――まるでワタシ。
他にお似合いのヒロインもいっぱいいるのに。
本当なのかな。可愛いって。
それは――誰にでも、言っているんじゃないの?
――振り向かせたい。ワタシだけに、可愛いって、言ってほしい。
「!」
――今、ワタシは、何を考えた?
彼は、王子様なんだ。ワタシなんかが、独占できるわけがない。
でも、その気がない子とデートなんて、するのかな。
その気がない子と、手を繋いだり……膝を貸してくれたり、する、のかな。
分からない。
分からないけど。
「…………」
この想いが理解できれば。
ちゃんと、認識できれば。
命題である、学園ラブコメが――どうにかなる気がしていた。
王子様である彼をどこか三人称で見ていたい気もするし。
ヒロイン視点で、彼との時間を満喫したいとも思う。
「……」
早く、明日にならないかな。
学校が始まったら、会えるんだから。口実がなくても、彼は図書室に来てくれる。なぜだかは知らないけど、顔を出してくれるんだ。
「ふふっ」
メール、送ってみようかな。
こうやって自分から連絡した男子って……彼、だけだし。
『こんばんは』……いや、これだけじゃ、迷惑かな。『お風呂、あがったところ』は、いらないかな。どういう自己宣言だか、分からないし。日常のことの方がいいかな。『テレビでヨガをやってる』……うん、どうでもいいかな。あ、アニメの話にしよう。『作画崩壊、すごかった』……ううん、なんか、思ってたやり取りとどんどん違ってくる。
彼は知らないんだろう。
ワタシの寝不足の原因が――こうして、送るメールを書いては消してを繰り返し、気づけば夜が更けている――なんて、間抜けなことだなんて。
でも、何だろう。
その時間が、やけに楽しい。
結局その日はメールを送れなかったけど。
『デートありがとう! また行こうぜ! 今度はプール! 水着楽しみ! スリングショットでもいいのだよ!』
という、なんとも彼らしいメールが届いて。
明日、直接言いたくなって。寝てしまった。
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