第26話 命ある人間

「本当に、やっと終わったのよね……?」


 俺がニックの状態を確認してから行くと、ユキノは顔を伏せたまま言った。

 ゴゴゴッと振動を感じ、見ると石扉が開いていっている。その様子にアイシャが力なく目を向ける。


「そのようですね……。ジント、彼は?」

「……駄目だ。ニックはもう、死んでいた」

「……っ。そう、ですか…………」


 洞窟内に、呼吸音だけが反響する。


 アイシャとユキノは、扉の近くで倒れているニックを見た。

 戦闘中に気づくことはできなかったが、改めて確認すると体の至る所が押し潰され、息がないことも必然と言って良いほどの大負傷だった。

 周囲には血液が散っている。


 この空間に外から別のモンスターが入ってくることはないため、ただ沈黙が続く。突然アイシャが口元を手で覆ったかと思うと、彼女は吐きそうになった。

 幸い胃の内容物を外に出すことはなく、苦しげな声だけが漏れる。


「うっ」

「大丈夫、アイシャ?」


 ユキノが背中をさすると、彼女は潤んだ赤い目を向けた。


「ありがとうございます。ただ、私たちをここへ転移させた彼にも責任はあるとは思いますが……父親と私の叔父に指示されたと言うのなら、彼も……」

「ええ、そうね。あの困惑は嘘には見えなかったし、きっと本当にこんな場所に来るとは思ってなかったのよ」

「父親が違った転移先を伝え、彼を見殺しにしたということでしょうか……?」


 アイシャの声が大きくなっていく。

 俺も感じていたやる瀬なさだけではなく、二人は怒りも滲ませ始めた。


「その可能性もあるが、こうも考えられないか。アイシャの叔父かニックの父親──どちらが【魔機物スクロール】を準備したかは知らないが、彼らも転移先は別の場所だと勘違いしていたのかもしれないと」


 間違った方向に推測し、怒りを増幅させることに意味はない。

 別の見方を示すとユキノが首を傾げる。


「たしかに……そうも考えられるわね。でも、だったら事故で……」

「ああ。なにしろアイシャの叔父は、君を狙ってはいたがすぐに殺そうとしてはいなかっただろう? 目的が命を奪うことでないなら、今回の一件とは辻褄が合わない」


 尋ねるとアイシャが頷いた。


「叔父は私を殺そうとはせず、捕らえようとしていました。しかし、やはり……」


 彼女は、両親が自分に残した遺産を叔父に狙われていると考えている。

 これまでの状況から、わざわざ死の可能性が高い場所に転移させようとはしないことを理解したのだろう。


 それでも誰かの明確な殺意によって、この状況に陥ったと思いたいのか。反論しようとする。

 だが、続く言葉が見つからなかったようだ。


【魔機物】を使い転移させたニックたちの行動に問題があるとはいえ、彼が事故の末に死んだのだとしたら──。

 生還した上で、非難でも何でもすれば良かったのだ。だが武器を持たないニックを、守れず死なせてしまったという事実は俺たちに重くのしかかる。


「どちらにせよ、ひとまずここで休憩しよう。もしかすると、ここまで来た探索者に救出してもらえるかもしれない」


 ここにいればモンスターに襲われる心配もない。

 外に出ないのだったら再び石扉が閉まることも、ボスが再湧出リポップすることもないはずだ。


 ビビアンカやナーダのみならず、誰かがこの場所まで来てくれることを願い、俺は地面に座った。

 返ってくる言葉はなく、三人の中には疲労と無念さが漂っていた。


 それから一時間と少し。

 石扉の向こうに伸びる坑道から、初めて足音が聞こえて来た。


 俺とユキノは立ち上がったが、アイシャはぼんやりと顔を向けただけだ。


 テンポが速い足音が、次第に大きくなってくる。数は二つ。走ってこちらに向かって来ている。

 曲がり角の先から光が漏れ闇に支配された坑道が照らされると、すぐに【剣魔術】によって発光する剣を持った人物たちの姿が目に入った。


 考えうる限り最良の救助班が来たと、研ぎ澄ましていた集中が解ける。


「……え」

「……なんで」


 ユキノとアイシャは、なぜ彼女たちがいるのかと目を疑ったのだろう。

 瞠目すると一点を見つめたまま固まり、それから表情をほのかに柔らかくした。


「──お嬢様ッ!」


 ダークエルフのメイドが前に出て、剣を鞘に戻しながらおよそ人が出せる限界を超えた速度で走ってくる。


「ナーダ……?」


 アイシャも呆気に取られつつ立ち上がると、扉の方へ向かっていく。


 元からいた俺たちが外に出なければ、新しく人が入って来たとしても扉は閉まらないだろう。

 しかし念には念を入れ、俺たちも続き石扉の側で救助に来た二人と落ち合った。


「どうしてここに?」

「それが、あの方が……」


 アイシャが飛び込んで抱きつくと、ナーダは振り返る。

 そこには遅れて近づいてくるビビアンカの姿があった。


「個人的な推測から当たりをつけただけだ。私自身、本当にお前たちがここにいて驚いているがね」


 剣を収めたビビアンカは、そう言いながらチラリと俺を見る。

 転移の際、俺が骸廃坑道のボス部屋と伝えるために叫んだ声は他の誰にも届いていなかったらしい。ただ一人、口の動きを読み取った彼女を除いて。


「転移先を、予想した? そんなことが……」


 ユキノの呟きにアイシャとナーダも同調し、ビビアンカを見るが流される。


 この様子だと、おそらく誰にも俺が伝えたとは言っていないのだろう。

 彼女にはいずれ何故わかったのかと詰問されるはずだが、答えなければならない相手が最小に留まるので助かった。


 ナーダを同行させ道中のモンスターを倒しやすくするため、教員としての信頼がある自分の考えとして伝えたのかもしれない。


「お前たちだけでコープスバットを撃破したのか」


 サイズが大きいため地面に置いたままにしてある魔石を見つけたらしい。

 ビビアンカは眉を上げ、主人のいない空間を見渡す。


「それで、あの少年──ニック・ハーパーは……」


 出入り口には飛び散った血痕も少なく、最後の瞬間に敵の足に引っかかり彼はすぐ隣の壁付近に移動している。

 角度があり視界に入っていなかったのだろう。ようやくビビアンカは静かに地に伏しているニックを見つけると、ぴたりと動きを止めた。


「…………」

「……どうかされましたか?」


 ナーダもアイシャを放すと、足を進め覗き込む。そして、目を見開いた。


「っ! これは……」


 眉根を寄せるナーダに比べ、ビビアンカは反応が薄かったが、その表情にはわずかに罪悪感のようなものが見え隠れしている。


 俺が見聞きしたこと、事の経緯を説明するとビビアンカが口を開いた。


「まず初めに、三人には迷惑をかけた。すまない。一連の出来事も、ハーパーの死も私が彼を不合格にしたことに起因している」


 頭を下げられ、長い黒髪がさらりと垂れる。


 彼女の謝罪に最も驚いたのは俺だった。

 時折不器用な優しさは見せるが、あくまで我が道を行く狂気を孕んだ人物と認識していたからだ。ビビアンカ・スミスは本来、他人の死に感情を動かすような性格ではなかった。


「今も判断は正当だったと考えているが、やり方が悪かった。今日の発表で合否を知る形にしておけば、せめて別の何らかの形になっていただろう」


 取り繕った言葉ではなく、心の底からの本音が感じられ驚きは増す。


 俺がビビアンカを見ていると、横でアイシャが首を振った。


「いえ、この責任は私の叔父たちにあります。真相はどうであれ、このようなことがあったのです。ですから、はっきりとさせるために協力していただけませんか? 彼の遺体をこのままにするわけにもいきませんし」

「お嬢様っ? まさか、ジェオルドの下に……」


 ナーダは、アイシャが叔父に狙われている本当の理由を知らないままでいられるのなら、その方が良いと考えている。

 そのため彼女は焦った様子で質問したが、


「流石にそこまではできないわ。その後のことは任せさせていただいて、私は彼の父親に会いに行って話を聞くだけのつもりよ」


 アイシャが否定したことで安心したのだろう。

 ナーダは跳ねさせた肩を、ほっと下ろしている。


「承知しました。ですが、まだ学院へは入学前です。スミス先生にご同行いただけるのでしたら……」

「わかった。このことは、責任を持って私も手伝おう」


 ビビアンカが首肯すると、ユキノが続いた。


「わたしたちも行くわよね、ジント? 人数が多い方が、アイシャも安心でしょう」


 ニックの父親とはアイシャを会わせて良いとナーダが判断したと言うことは、ジェオルドは周囲にアイシャの秘密を広めてはいないのだろう。


「ああ、そうだな」


 頷くと、俺たちはニックを連れて地上を目指すことになった。


 彼の死は、この世界で命は一つしかないということを改めて思い知らせてくる。ゲームにいなかったユキノとは違い、本編に関わる他の面々を、俺はまだ架空のキャラクターだと心のどこかで思ってしまっていた部分があるのかもしれない。


 血が通っている生きた人間ということを忘れてはならない。

 アイシャがユキノや俺と出会いゲーム開始時とは性格が変わったように、現実では絶えず人は変わっていくのだ。


 ビビアンカの変化も、そのようなことなのかもしれない。

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