第25話 協力戦
蝙蝠の全長は三メートルほどだ。
全身の大部分の骨が露わになっており、その間を埋めるように黒ずんだ肉が残っているため、見た目の
「あれが、ここのボス……」
アイシャが、か細い声で独りごちた。
モンスターに慣れていない彼女は、いきなり圧倒的なオーラを放つ異形の怪物を前にして飲まれかけているのだろう。
対峙する敵の正式名称は『コープスバット』。
翼にも穴が空いているため飛翔することはできないが、跳躍し両翼を羽ばたかせて一気に距離を詰めてくることがあるので注意しなければならない。
コープスバットが踏みつけたニックを嘲笑うように、ケタケタと顎を動かす。
すると相手からすぐ目の前の地面が光った。
燦然たる光から迫り出し、完全に骨だけで構成された人間大のネズミが出現する。
「なるべく遠くまで引きつけてくれ」
「ええ、わかってるわ!」
俺が作戦会議時に伝えたことを念押しすると、ユキノが前に出た。
彼女に狙いをつけたネズミが、一直線に走り出す。
「ユキノ、こっちです!」
緊張した面持ちだが、計画通り左斜め後ろに駆け出したアイシャが呼びかけ、二人は後方へと下がっていく。
俺はすぐに、右に大きく弧を描くように走り出した。骨ネズミとの距離を空けたままボスに接近する。
この蝙蝠は炎に弱い。
走りながら剣に流した魔力によって、炎系の初級術【ファイアースラッシュ】を発動。微弱な火力だが、すれ違いざまに炎を纏った剣で斬りつける。
敵は翼と一体化している腕を、進行方向から振り下ろしてきた。
俺は地面に滑り込みそれを躱すと、勢いのままに立ち上がって走り、間合いを確保してから敵を見る。
振り返ると、蝙蝠の姿が俺の視界を埋め尽くしていた。
飛びかかり、例の翼をいかした跳躍で急速に距離を縮めてきていたのだ。
だが──予想通りの攻撃パターンだ。驚くには値しない。
護剣士スティルネスナイトと比べると鈍重な動きのため、横へ跳び容易に事なきを得る。
コープスバットは一撃が重く攻撃力が高いが、単独で挑む場合と複数人で挑む場合では大きく戦闘の内容が変わってくる。
ソロで挑戦すると、喚び出されたネズミを倒すことが主な戦いになるのだ。
出現するのは常に一体とはいえ、倒したらまた次が現れる。コープスバットへの攻撃のチャンスは、召喚までの一瞬を含みわずかしかない。
その上で蝙蝠とネズミ、別々の攻撃を一人で避け続けなければならなかった。
仲間がいると、こんなにも違ってくるのか。
ユキノとアイシャが協力し、ネズミと戦っているのが見えた。
彼女たちがあちらを引き受けてくれているからこそ、俺はコープスバットのみに集中し、続けて攻撃を与えることができるのだ。
十分な火力があるとは言えない分、回数を増やして相手のHPを削っていこう。
「……」
敵を見ると視界の端に倒れたままのニックが入り、形容し難い複雑かつ様々な思いに駆られた。
一刻も早く生死の確認をし、どちらにせよ状況をはっきりとさせたく思うが、浮かび上がって来たそれらを振り払う。
敵の攻撃後に生まれる隙を見逃さず、俺は剣を振った。
魔力を走らせ【剣魔術】を発動させようとする。が、しかし、そこでコープスバットが予想外の行動に出たのだった。
「なっ!?」
驚きとともに魔力が霧散し、振った剣は手応えのないまま空振りに終わった。
俺の目には自身の攻撃から間を置かず、回避行動に移った敵の姿が映っていた。
バックステップで俺の剣を避けると、蝙蝠がこちらに向かって翼を動かす。
そのことによって発生したのは目視できる風の刃。魔力が物体化した物だ。俺の剣と同程度のサイズはある。
なぜ攻撃からすぐに動けたのか。衝撃を受けていたが、俺は一瞬の判断で迫る刃に剣を打ちつけた。
金属を弾いた時と同じ手応えと音。
押し返すと、魔力でできた刃はふっと消える。
次の攻撃が出されるまでの時間は、ゲーム時と同じくらいだったように思う。
しかし、一体なぜ攻撃後に動きが止まるはずのクールタイム──その間に移動ができたのだろう。
戦闘の根幹に関わる事柄だ。ゲームでもコープスバットが動けたことを、俺が忘れているとは考えにくい。
だとすると、この世界のコープスバットはクールタイム中に攻撃以外の回避などはできるということか。
今まで相手にしてきたモンスターは、全ての動きがパターン化してないとはいえ、それ以外はゲームと違いがなかったのだが。
この蝙蝠は、一定以上の強さや知性があるという理由から差異が生じた?
それとも、この個体だけの話──
「ジント、倒したよ!」
何度か攻防を繰り返して、一度距離を空け状況を把握することに専念しようとしたが、ユキノの声が聞こえ断念する。
二人は数分で、受け持ってくれていたネズミを倒したようだ。
「わかった。今下がる!」
確認するが、どちらも目立った傷はない。
コープスバットはネズミを一体倒すと、しばらくしてから再度新たなネズミを召喚する。
ソロだとその間に攻撃するのが鉄則だったが、今は違う。ユキノたちがネズミの
召喚の前兆として近くの地面が光を放つ。
反応が遅れ一撃も入れる時間がないため、今回は後ろへ走り、俺は反対に前に出てくるユキノと入れ替わった。
「ジント、大丈夫ですか?」
近くに行くと、息を整えていたアイシャが訊いてきた。
「ああ。時間はかかるかもしれないが、必ず倒してみせる。そっちは?」
「ユキノのおかげで何とか」
「厳しくなったらいつでも声をかけてくれ。それと可能なら、なるべく時間をかけて倒してくれると助かる。休憩を入れたくなったタイミングで倒してくれればいい」
攻撃のチャンスで敵に躱されてしまっては、なかなかダメージを積み重ねられない。想定よりも長い戦いになるのなら、召喚の回数は減らし勝負に出て行きたい。
「あとでユキノにも伝えてくれ、頼んだ」
二体目のネズミが現れ、ユキノが引き連れて来ている。
アイシャにそう言い残し、俺は壁際を大きく迂回してコープスバットとの戦いを再開する。
命懸けで敵の攻撃を避け、長時間に渡って少しずつダメージを与えていく戦いは経験済みだ。
接近しながら飛来する風の刃を回避し、そのまま再び【ファイアースラッシュ】を発動させる。
そこから最初と同じパターンで敵の攻撃を誘い、躱して走り抜ける。
飛びかかり追ってくる蝙蝠。俺は横に跳躍し、攻撃のチャンスを作るとすかさず距離を詰めた。
相手は前回と違う方向に逃げようとするが、速度を上げて間合いに入り込む。
体力は有限。今はユキノとアイシャも戦っており、自分だけではないのだ。
攻撃の手を増やさず悠長にしていては、いつ誰が痛手を負うかもわからない。
「ふ──ッ!」
今度は、敵を逃すことなく炎の剣で斬撃を与える。
相手が逃げることがあると知っていれば、リスクがあったとしても機会を無駄にせず攻勢に出るべきだ。
力を入れて地面を蹴り、すぐに距離を取って相手の攻撃は避ける。
視野を広く持ち、ユキノたちの状況把握も怠らない。
積極的に攻撃を仕掛けながらも、体感で十分に一回の頻度でネズミの召喚がやってくる。
動きを止めず、ただ敵を倒すことだけに集中していた俺は、意識が向かず自分の息がいつから上がっているのかさえわからなかった。
「ジント……わたしも、そろそろ、きついかも……」
七回目の召喚の際、ユキノが息苦しそうに言った。
戦闘が開始されてから、軽く一時間以上は経過しているだろう。
気を抜けない戦いは、当然だが体力と集中力の消耗が激しい。アイシャにおいては二、三回前の召喚のタイミングから息を荒くしていた。今は口も聞けなさそうだ。
彼女たちがネズミを倒す間隔も短くなって来ている。
時間を稼ぎ倒すために、配慮する余裕もなくなってきているということだ。
また小さなミスから何度か体当たりをくらい、服には傷が残っている。
俺も致命傷は負っていないが、コープスバットの攻撃の余波により浅い傷をいくつか受けてしまった。
「もう少しだ。あと少し持ち堪えてくれ」
先ほどから何度か同じようなことを答えている。
だが現在の自分のおおよその攻撃力の数値を想定した場合、計算上は次で倒せるのではないかと思っていた。
それを証明するように、ネズミを呼び出したコープスバットの体も、すでに焼けた傷跡と崩れかかった骨だらけになっている。
「……わかった、信じてるから」
呼吸音に交じったユキノの言葉を聞き、俺は大きく周って自分がすべきことをしに向かった。
ネズミはユキノが引きつけ、アイシャを守りながら戦ってくれている。
「いい加減、終わりにしよう」
伝わるはずもないが、コープスバットを見据え口にする。
俺が魔力を展開させながら走っていくと、敵はゲームで瀕死状態になった時と同じく風の刃を連続で飛ばしてきた。
攻撃のために準備を整えた剣は使わない。
完全に見切り、左右へと最小限の動きで躱して進んでいく。
接近戦を嫌がる蝙蝠の様子に、勝利の予感が確信へと変わった。
姿勢は低く。地面すれすれを走るように一気に詰め寄った俺は、最後の一歩を踏み込み剣を振り上げる。
炎に焼かれ、敵は鋭い声を漏らした。
──だが、まだだ。
振り抜いた剣を急旋回させ、燕返しの要領でもう一度斬る。
剣に流した魔力は間に合った。二連続での【ファイアースラッシュ】。
炎を帯びた剣は、次はさらに深く入り、強固だったコープスバットの体を断った。
動きを止めた死した蝙蝠が数瞬後、見慣れた淡い光の粒子となって爆散する。消滅し、残されたのは今までで最も大きい魔石だった。
召喚者を失い、ネズミも光となって消えていったようだ。
あちらには魔石がなく、残っていたのは糸が切れたように座り込むユキノとアイシャだけだった。
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