第23話 合格

 掲示板に、ずらりと数字が並んでいる。

 縦に五、横に二八。横長の白い紙に、離れた距離からでも見えるよう大きなサイズで黒く印字された受験番号だ。


 貼り出されたばかりのため、掲示板を見上げる受験生の数は多い。

 緊張した面持ちで、通知書にある自分の番号を探している。


 俺たちが休暇に天然温泉を訪れてから三日が経った。

 試験の合格者発表が行われる今日は、本館と呼ばれる学院中央の建物の前で、午前十時より結果が掲示されている。

 ユキノの希望により俺たちも時間に合わせてきたのだが、人が多くてなかなか前へ行けない。


 後ろの方から、隣にいるユキノはつま先立ちになって何とか数字を見ている。


「えーっと、わたしのは…………あった! ジント、あったよ! ほらっ!!」


 幸い、彼女の番号は最上段にあった。無事に見えたようで、自分の番号があり目を丸くして満開の笑みを咲かせている。


「良かったな。これで朝からしていた緊張も解けただろう」

「そうね! これでわたしも学院に……あっ。じ、ジントも大丈夫よね? 一つ前の番号だから、横の列の一番下にあるはずだけど見えなくて……」

「ああ。それなら、さっきあったぞ。この隙間から見えるか?」


 身を屈め、ユキノに顔を寄せて指を差す。

 俺が示した場所に視線を合わすと、彼女も前にいる人の間から数字を発見したらしい。自分の合格を知った時よりも、一段と嬉しそうにこちらを向く。


「良かったぁー二人とも合格っ!」


 体勢を元に戻し顔を離しながら、俺は今にも飛び跳ねそうなユキノを見て思わず笑ってしまった。


「なんで笑うのよ、もっとジントも喜んだらいいじゃないっ」

「そんなに喜んでくれるとな。合格よりも、そっちの方が嬉しかっただけだ」


 ユキノがきょとんとすると、次第に頬を紅潮させていく。

 素直な気持ちを伝えただけで、恥ずかしい思いをさせるつもりはなかったのだが。目をパチパチと瞬かせながら見つめられ、言葉に困る。


「……だが確かに、二人とも合格できたことは良いことだな」


 あの温泉での幸運値上昇の効果があったのか。効果の有無はわからないが、良い結果に終わったので行って損はなかっただろう。


 固まったユキノに俺が賛同するように付け足していると、彼女の肩越しに声がした。


「よう、どうだったか?」


 二人揃って顔を向けると、そこには手を挙げながら近づいてくるロイがいた。横にはナツミの姿もある。

 手に持った通知書と明るい表情から察するに、彼らもすでに自分の合格を知った後のようだ。


 ユキノは思考を切り替えた様子で、小さく手を振り返す。


「ナツミ、ロイ。また会えたわね。わたしたちも合格だったわ」


 その言葉に、ナツミが苦笑する。


「あたしたち、まだ合格したって言ってないけど?」

「嬉しそうな顔を見たら、すぐにわかったわよ」

「あはは、そうかしら? ま、こっちは、あなたたちは合格するだろうって実技試験の日から思ってたけどね」


 相変わらずユキノは人と距離をつめるのが上手い。社交性があり、分け隔てなく接するところを見ていると、日銭を稼ぐことで手一杯の毎日を送ってさえいなかれば、元から知人が多かったのではないかと思う。


 楽しそうに話しているユキノとナツミを、ロイは俺と同じように見ている。


「合格おめでとう」

「おう、そっちこそ。今後は同級生としてよろしく頼むな」


 声をかけると、彼は目尻を下げて小さく続けた。


「誰かさんがお前たちには負けないって意気込んでるからな。互いに競い合っていこうぜ」


 にやりと笑いかけられる。だが、その笑みは長くは続かなかった。


「ちょっと? あたしだけが張り合ってるみたいに言うけど、あんただってジントたちを追い越すって話してたじゃない」


 ナツミに聞かれてしまい、肘で横腹を突かれロイは「ごふっ」と顔を歪める。

 突かれた場所をさすりながら、彼はため息を吐いた。


「こ、細かいことはいいんだよ。お前がああ言ってたから、オレもやる気になったってだけだ。もう行くぞ、合格者はあっちだからな」


 ロイが見た方向には上級生の男子がいた。


「合格者の手続きは、こちらでーす!」


 濃い紅──臙脂えんじ色や白色が使われたブレザーに、スラックスの第三探索学院の制服を着ている。


 彼の案内に従い、合格を確認した者は本館の中へと入っていっている。

 制服の採寸や、すでに所持している場合は学院に自分の剣の登録を行うのだ。自分の合格を信じ、剣を持ってくるのは一種の様式美になっていた。


 もちろん俺とユキノ、ロイとナツミも試験日とは違い今日は腰に剣を差している。


「あ、ねえジント。あそこにいるのアイシャだ」


 俺たちも本館に向かおうと思ったが、ユキノが肩を叩いてきたので見ると、たしかに掲示板の前にアイシャの姿があった。

 今は受験生以外も学院に入ることができるので、横にはナーダがいる。


「ユキノたちの知り合い?」

「ええ、あそこにいる金髪の子がね」


 質問に答えるとナツミは、ナーダと笑顔を浮かべながら話しているアイシャを見てから言った。


「あの様子だと、あの子も受かったようね。せっかくだから声でもかけてきたらどう? あたしたちは先に行ってるから」

「うん。それじゃあナツミたちは、また。ジント、行こっか」

「ああ、二人ともまたな」


 ナツミの提案を受け、俺もユキノに続く。

 軽い挨拶を済ませ、ロイたちが行くのを見送ってからアイシャの下へと足を向けた。


「アイシャ」


 ユキノが呼びかけると、彼女はこちらを向き朗らかな表情で口角を上げた。


「ユキノ、ジント! お久しぶりです。合格しましたよ」

「俺たちも合格だ」


 見上げられる形になったので、俺が代表して答える。するとアイシャは特段驚くこともなく、一つ頷いた。


「良かった……これで、一緒に通えますね」

「さすがジント様です。ユキノ様も、おめでとうございます」


 しみじみと言うアイシャに続き、ナーダが微笑を湛え称賛してくれる。

 ユキノはそれに照れつつも、頭を下げた。


「あ、ありがとうございます」


 アイシャもナーダも、以前までと比べ晴れ晴れとした表情をしている。

 きっと学院への入学が決まり、これまで送ってきた警戒の日々から解放されるからだろう。


「じゃあ──」


 俺が制服の採寸などに行こうと言おうとしたとき、


「ウォルド、あとで少し話がある」


 突然背後から声をかけられ、驚いて振り向くと、そこにはビビアンカがいた。


「……お久しぶりです。どうかされましたか?」

「いや、これが厄介な話でな。まとまった時間が欲しい。当然お前が全ての手続きが終えるまで待っているつもりだが、その後に構わないか」

「はあ……。お待ちいただけるのなら問題はありませんが」


 今回ばかりは何の話をされるのか、全く予想がつかない。


 しかし、今にも頭を抱え出しそうなビビアンカの至って真面目な顔を見るに、決して取るに足らない話というわけではなさそうだ。

 具体的に言葉にはできないが、今日の彼女はこれまでとどこか雰囲気が異なっているように感じる。


「そうか。ではタイミングを見計らって、改めてお前を探させてもらおう」


 ビビアンカはそう言い残し、いつものように歩幅を広く取りながらツカツカと道の先に歩いていく。


「話って何かしら……?」


 ユキノの呟きで考えるが、やはり俺にも思い当たる節はない。


「わからないが、とにかく今は俺たちも行こう。遅くなると、着々と順番を待つ時間が伸びていくだろうからな」

「そうだよ、だったら急がないと。アイシャも早く行こう」

「はい! ナーダ、行ってくるわね」


 まだ背中が見えるビビアンカが、何の話をするつもりなのかはわからない。


 だが、今すべきことは明確だ。

 続々と本館に行っている他の合格者たちよりも、諸々が後になると考えれば少しは急ぐべきだろう。


「かしこまりました。ではお嬢様、私は正門の前でお待ちしております」


 一礼するナーダと別れ、歩を進める。

 足早に三人で本館の入り口を目指していたが、掲示板の端を通り抜けたあたりで後ろから駆けてくるような足音が聞こえ、ふと振り返ると乱れた髪の男が目に入った。


 男は今にも転びそうになりながら、焦点の合わない目つきでこちらに走ってきている。

 彼は──五日前とは見違えるほどやつれた、ニックだった。


 咄嗟に警戒し、腰に携えている剣の柄に手を添える。だがニックが剣を持っていないことに気づき、俺は柄から手を外して立ち止まった。


「えっ? どうし……」


 俺が振り返ると、ユキノもびっくりした様子で足を止め体を反転させる。アイシャも続き──二人も、ニックに気づいたようだ。

 彼の奥では去ろうとしていたナーダも、警戒しこちらに向かっているのが見える。


 それだけニックが異様な空気を放っているのだ。

 かつては粗暴ながら若さ特有の無鉄砲さやエネルギーを感じさせた彼だったが、今はそれらがなく、表情には絶望や焦燥のみが色濃く浮かび上がっている。


 間違いなく俺たちを目指して駆け寄ってくるニックに、声をかけようとした次の瞬間だった。


「うああぁぁあああああああああッッ!!」


 捉えようによっては悲痛の叫びにも聞こえる声を発し、彼は腰の後ろから何かを取り出した。武器か──?

 街の中での無用な抜剣は褒められたものではないため、限界まで控えていたが今がその時かもしれない。


 再び柄に手を伸ばす。だが、ニックが手に取ったのは武器ではなかった。


「……なんで、お前が」


 現状は武器以上に危惧すべき、恐ろしい物だったのだ。ゲームの中で見覚えのあるそれに、なぜ彼が持っているのかと疑問が口をつく。

 それでもニックから答えがもたらされるわけもなく、彼がそれを捻る間に俺は後ろにいるユキノとアイシャを押し飛ばそうとした。


 二人の後方では、道の先に行っていたビビアンカが全速力で戻ってきている。

 おそらくニックの叫び声を耳にして、事態の収拾に当たろうと向かっているのだろう。


「逃げろ、二人とも──」


 俺はユキノたちに手を伸ばす。が、背後からガチャンと音がして光が放たれる方が先だった。


 ニックが、勢いを緩めることなく肉薄してくる。

 放たれた光は渦となり、俺たち三人とニックを覆った。


 彼が手に持っていたのは、【魔機物スクロール】だ。

 それも、ゲームにおいて唯一登場した筒の周りが水色の物。アイシャのイベントで、彼女を穏便に攫おうとした叔父が使用した物だった。


 しかし、中に入っていた魔法が想定とは違ったため、命をかけた難易度の高い出来事へと発展するのだ。


 ユキノが受けた『再構築』とも比較にならないほど大量の魔力が、光の渦の中を満たす。


 これは間に合わない。

 そう判断した俺は、かなり近くまで来ていたビビアンカの目を光の渦越しに真っ直ぐと見つめ、ある場所の名前を口にした。


「────」


 届いたかはわからない。たとえ伝わっていたとしても、救助に来てくれるかもわからない。

 ただ彼女が訝しげに眉を顰め、口元の動きからだけでも俺が何と言っているのか、読み取ろうとしていることが見て取れた。


 眩い光がさらに一段と強くなり、視界を奪う。

 次に光が落ち着き、周囲の様子を窺えるようになった時──俺たち四人は、先ほどまでいた学院の本館前にいなかった。


 目の前に広がっているのは、真っ暗な坑道だ。


 遥か昔、【魔機物スクロール】はどんな魔法ででも作ることができた。

 ニックが使った物には、説明書きに記されていた場所とは異なった座標──ダンジョンの最奥に結び付けられた『転移』の魔法が収められていたのだ。

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