第22話 大切な存在

 森の中にある川に沿って北上していく。


「本当だ。湯気が出てきた……」


 川の水から湯煙が立っていることを確認すると、ユキノが眉を上げた。

 実技試験から二日後、あとは結果発表を待つだけになった俺たちは、『火と水の森』の中を歩いていた。


 今日はフレイムウルフを倒しに来たのではない。

 たまには息抜きでもどうだと、ユキノを誘ってある場所を目指しているのだ。


「ここから少し行ったら、上り坂になっていたからな。小川の流れに沿って何かないかと登っていたら見つけたんだ」

「すごいラッキーだよね。いくつか同じような場所があるとはギルドで聞いたけど、まだ未発見の場所みたいだったし」

「ああ。その上、周囲にはモンスターの気配もなく安全そうだったぞ。あの時の俺は、藁にも縋る思いで買い取ってもらえる物を探していたら無駄足になったんだが」


 二人で話しながら、歩き続ける。

 フィールドに出る以上は剣を携え装備は整えているが、いつもとは違い今は互いにナップサック風の革鞄を肩にかけてあった。中にはタオルなどが入っている。


 向かっている先は、天然の温泉だった。

 灼熱の狼がいて、豊かな水が流れる森。そんな設定のエリアのため、この森の付近にはゲームでもいくつかの秘湯が存在していたのだ。


 この世界でも、ほとんどの温泉は発見されギルドで情報が共有されていた。

 しかし中でも見つけづらい一箇所が、未発見のままだったので俺は今日、こうして行ってみることにしたのだった。


「あの時はユキノが家で待ってるからすぐに帰ったが、元気に二人で来れて……感慨深いな」

「ほんと、ジントのおかげだよ。ありがとうございます」


 ユキノが照れ隠しなのか、変に丁寧な仕草で頭を下げる。


 普段、俺たちは主にペアで行動している。

 そのため俺が秘湯の場所を知っているとおかしいので、彼女にはユキノが魔力暴走により活動できなかった期間に、一帯を走り回っていた際に偶然発見したと伝えている。

 二人が現在、装備している剣を見つけた時と同じようにとだ。


「あ、小川ってあそこのこと?」

「そうだ。先が上り坂になっているだろ」


 川に注ぐ支流が見えてきた。

 先を見るように言うと、ユキノが顔を見つめてくる。


「上り坂って……あの先、思ったよりも険しくないかしら……」


 川から分岐し、湯気が濃くなる小川の先はほとんど岩壁だった。

【剣庫の洞窟】で採用された段々の岩を登ってあがる地形は、アップデート前から元々はここにあったものだった。

 後からあちらにも同じような足場が作られ、この辺りではロッククライミングができるスポットが二つになったのだ。


「誰も見つけてない場所なんだ。これくらいは仕方がないだろ?」

「そう言われると……。まあ、ここまで来たんだから頑張るしかないわよ」


 ユキノはよし、と気合を入れて傾斜のある川沿いを進んでいく。


「せっかくの温泉に入らず帰れるわけないじゃない」


 思いのほか楽しみにしてくれていたのか、それから足を止めることなく坂を登り、俺たちは岩壁の頂上へと到着した。


 そこで待っていた光景を見て、ユキノが口を開ける。


「わぁ綺麗! こんな場所が自然とできて、ずっと誰にも見つけられずにあったなんて……」


 大きな岩の間にある開けた空間には、一般的な銭湯にあるくらいのサイズの広さで、湧き出た温泉が溜まっていた。

 奥は俺たちが登ってきたよりも角度が大きく、直角に近い絶壁が下に向かってある。温泉の一部はそちらへも流れていき、滝になって落下していっている。


「あっちは手付かずのエリアだろうな」

「ここを通って降りて行けたら、探索できるかしら?」


 来た方向は岩がいくつもあり視界が遮られているが、奥は青い空と、どこまでも続く森が目に飛び込んでくる。


 ユキノに訊かれ、俺は顎に手を当てた。


「帰りを心配しなかったらできるかもしれないが……どんなモンスターがいるのかもわからない状況では、さすがに危険すぎるだろうな」

「うーん、そうだよね。それに、今も挑んでる最前線が他にもいっぱいあるんだから、そっちに参加した方がいいだろうし」

「まだまだ未開拓エリアは多いからな。ここから見える範囲に気になるものもない以上、無理に挑む必要性はないだろ」


 危険が潜んでいないか辺りを周って確認しながら、絶壁の下について話す。


 ゲームでは、ここよりも奥へは行けなかった。

 今なら努力すれば行けないこともないだろう。だが命と換えてまで行きたいかと訊かれたとしたら、そこまでの物は見当たらない。


「何にせよ、今はまだ俺たちには最前線に加われるだけの実力もないがな」


 周囲をぐるりと見て元いた場所に戻ってくる。

 立ち止まった俺に対し、ユキノがそのまま温泉の右側へと行った。


「たしかに心配はなさそうね。ジントが言ってた通りちょうどいい形で温泉も分かれてるし、わたしはこっちにするね」


 ゲームとの設計と同じく、この秘湯は横に並ぶ大きな岩のおかげで真ん中で二分割されている。

 岩の影に入り服を脱ぎ、景色が綺麗な奥側でなければ立っていても反対から様子は見えない。


 俺は左側の岩の裏へ向かい、服を脱いでから湯に浸かった。

 長く歩き体が温まっていたとはいえ、冷たい空気との温度差が身に沁みる。


 ユキノにも言ってないが、ここへ来た理由は息抜きの他にもう一つあった。


 現実となった今は気休め程度にしかならない話だろうが、ゲーム時代はここの温泉に入ることで幸運値に関する隠しパラメーターが上昇し、モンスターがドロップアイテムを残しやすくなったりしたのだ。

 結果発表を前に、実は願掛けを兼ねて来ている。


 温泉を二分する中央の岩の近くで、湯に浸かりながら試験の結果だけでなく今後の平穏を心に浮かべる。

 冷たい風と温泉の心地よさのギャップに至福を感じていると、岩の向こうから湯の中を進む音が聞こえてきた。


「ジント、いる?」

「ああ、ここにいるぞ」


 すぐ近くでユキノが止まり声が聞こえてきたので、返事をするとジャバッと勢いよく動く音が鳴った。


「わっ。もう、びっくりさせないでよ……。そんなに近くにいるなんて」


 少ししてから落ち着いたのだろう。咳払いが聞こえてくる。


「……ここ、いい場所だね」

「そう言ってもらえると今のうちに来られて良かったよ。学院に入ったら、これまでのように自由にフィールドに出られる余裕もなくなるはずだからな」

「忙しくなるだろうからね。楽しみな気持ちの方が強いけど」


 入学が待ちきれないとばかりにわくわくした声だ。

 ユキノがいる方から時折、水面を優しく叩く音が聞こえてくる。


「アイシャも、ナツミとロイも、同じ学院の生徒として早く会えないかしら」

「あと少しだろ。全員、間違いなく合格できると信じておこう──もちろん俺たちもな」


 発表までの二日間は、休暇として街で生活することにしている。

 あと待つだけだ。落ち着いた日々を過ごし、その日がくるのを待つ。

 俺が想像よりも強かった風が吹く音に耳を傾け、遠くの空を飛ぶ鳥を見ていると、ユキノがぽつりと言った。


「少し前までは夢に過ぎなくてジントにも言えなかったのに、まさか本当に学院の試験を受けて手応えを感じられるようになるなんてね」


 命をかけてフィールドに出ながら、俺たちは収入が少なく貧しい生活を送っていた。変化が生じたのは、俺が前世の記憶を思い出してからだ。


 それまでの記憶を色濃く持つユキノは、いっそう思えば遠くまで来たと感じているに違いない。

 レベルアップやアイシャなどとの出会いだけでなく、彼女に至っては魔力の暴走による命の危機に瀕したこともあったのだ。


「ありがとう。本当にジントのおかげだよ。……わたしが学院に行きたいって勝手に言ったのに、一緒に目指してもくれて」

「そんなことはないぞ。俺もユキノがいるから助かっているんだ。誘ってくれたのはユキノでも、最後は俺自身が学院で成長したいと思ったんだしな」


 彼女がいるから、前を見据えて生きていけている。

 ユキノには生きて、思い描いた夢を実現していって欲しいと思っている。


 記憶が戻ったとしても俺は──こんな本音を伝えられるくらい、それまでの人生で心の芯から大切に思うことができる存在がいなければ、こうはいかなかったはずだ。


「もう、ジント……。そんなこと言って、なんか恥ずかしいじゃない」


 岩の向こうから、明るくも気恥ずかしそうな声が届く。


「と、とにかく。これからは、わたしもジントに追いつけるように頑張るから。それだけ! あっちに腰をかけられそうな良い場所があったから、ちょっと行ってみるね」


 俺の返事も待たず、ユキノがいそいそと移動していく音がした。

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