第17話 ユキノの友達

 学院から二十分ほど行くと、その店はあった。

 B層との階層間にほど近い住宅で、こぢんまりと営業されているウッドテイストの喫茶店だ。


 ゲーム時代に来たことはないので、存在していなかったか住宅の門が閉まっており中へ入れなかったのだろう。この近辺に利用できる店はなかった。


「お茶をしにお店に来るなんて、初めてかも」


 柔和な雰囲気を持つ老齢のマスターが全員分の飲み物を出し、奥へ戻るとユキノが落ち着きのない様子でそう言った。


 彼女と向かいに座るアイシャの二人は、アイスティーを。

 対してユキノの隣にいる俺と、アイシャの隣にいるナーダはホットコーヒーを注文している。


「静かで良い場所だな」

「マスターが、ナーダの知り合いなんです」


 俺がカップに口をつけてから店内を見回すと、アイシャが嬉しそうに微笑んだ。ダークエルフのメイドは、マスターを一瞥してから言葉を継ぐ。


「彼とは古い友人で、半ば趣味で始めた店だそうなので、人も少なくよく利用させてもらっています」


 たしかに奥まった場所にぽつりとある店なので、今も客は俺たちしかいない。

 先ほど飲んだところコーヒーの味は素晴らしかったが、趣味でやっているため立地的にも客を増やすつもりはないようだ。


 ナーダの外見は二十代前半に見える。

 だが実際は、その十数倍の年齢だったはずだ。年老いたマスターとは、彼の髪が白くなる前からの友人なのだろう。


 ナーダの話にユキノが相槌を打つ。


「へー。ナーダさんの知り合いの方のお店なら、なおのことアイシャも安心ね」

「はい。なので息を抜きたくなったりしたら、ここへはよく連れてきてもらうんです」


 アイシャは感謝の面持ちでナーダを見た。


「私のせいで普段はなかなか自由に行動できないのですが、二人で外出できることが楽しくて。今後は……もっと気楽に動けるようになれば良いのですが」


 心配するようにアイシャが視線を落とす。


 探索学院の生徒は学院による守護を受け、外部の者による加害が発覚した場合は、教員が実力を行使し反撃することが許可されている。

 制裁の有無は場合によって異なるが、これによって学院生は都市内において保護されているといえる状況にあった。


 そのためアイシャは、ナーダの勧めで学院入学を決意したという経緯がある。


「お嬢様、前にもお話しましたが学院に入れば自由な行動は可能になります。現在のように日常から警戒する必要はなくなるはずです」

「そう……ね。ナーダが言っているんだもの。信じきれないような態度をとってしまって、ごめんなさい」

「いえ。長く続いた日々が終わるのですから、ご不安は当然のことです」


 ユキノも共感を表すように頷いている。

 真っ直ぐな目をアイシャに向けて、それから彼女は手を差し出した。


「実技試験も突破して、入学したら私とも一緒に出かけましょう」

「ユキノ……。はいっ、ありがとうございます! ぜひ一緒に」


 アイシャは目を潤ませ、ユキノの手を握り返す。その様子をナーダは微笑ましそうに見守っている。


 アイシャの表情を見て、俺は意外に思った。

 ゲームでは入学からしばらくは表情が固く、どこか周囲を警戒しているようだったのだ。

 今のような柔らかい顔をするのは、彼女が中心となるイベントを越えてから。それも命に関わる、かなり大きなイベントをクリアしてからだった。


 強硬手段を諦めた叔父が、穏便にアイシャを攫おうと掘り出し物の【魔機物スクロール】を使った際、想定していたものと違う魔法が入っていたため危機に瀕すことになるのだ。

 真実が判明していくにつれ、プレイヤーも叔父の目的は無傷で捕らえることで、これも不慮の事故だったと知るのだが──。


 今はアイシャの表情についてだ。

 変化の理由は、やはりユキノの存在にあるのだろう。


 俺を介して間接的に出会ったこともあり、二人はアイシャの叔父との一件から離れた場所で出会った。

 だから普通の、同年代の友達になっていけているのかもしれない。コミュニケーションのみで友情の糸を編むように。


 俺と同じく知人でさえ少ないユキノに、友達と呼べる存在ができたのなら喜ばしいことだ。

 口角がわずかに上がることを感じながら、視線を彼女たちから外すとナーダと目があった。穏やかな表情を見るに、互いに偶然タイミングが重なったようだ。


「そういえば、ナーダさんはニックの父親について何かご存知ではありませんか?」

「ニック……道中お話されていた方のことですね」


 ここに来るまでの間、正門でのニックとの件は共有済みだった。

 良い機会だと質問をすると、彼女は一拍おいてからそれが誰のことであるか思い出したらしい。


「その方のお父上は、お嬢様の叔父であるジェオルド・グレイスが信頼している者の一人かと。貴族ではありませんが、一代にして財を成したのはジェオルド・グレイスの協力があってのこと。権力と多額の献金によって双方が結びついた親密な関係だったと記憶しております」


 なるほど……現実世界として街が回っているからこそだ。両者の利益によって結びついた繋がりが存在するのは。


 横で一頻り握手をして、手を離そうとしていたユキノが固まった。

 アイシャの手を握った姿勢のまま、ユキノはこちらを向く。頭を回しているのか、斜め上を見ている。


「えっ、アイシャの叔父さんが権力を提供してるって聞こえたような……」

「はい。その通りです」


 ナーダが首肯すると、彼女はバッと勢いよく握手していた手を引いた。


「も、もしかして叔父さんって貴族? ということは……アイシャも貴族──なんて話はないわよね、さすがに。うん」

「いえ、貴族ですよ?」


 一人で納得しようとしているユキノだったが、間を置かずアイシャが答えた。

 そう──言葉通り、彼女はたしかに貴族の出だった。


 ユキノは何度か目を瞬かせた後、放心したように息を吐く。


「ど、どうしようジント。わたし、貴族だって知らずに……」

「アイシャが気にしないのなら、今後も変わらず接した方がいいと思うぞ。それにユキノも、第三学院に入ったら貴族も平民もないと言っていただろ」


 アイシャの方を見ると、彼女は俺に軽く頭を下げてから続けた。


「そうです、ユキノ。同級生になれば関係ないのですし、そもそも私とは学院の規則だからではなく今から気にせず対等に仲良くしてください。今の私は家を出て隠れているので、『元貴族』と言った方が良いかもしれないくらいですし」


 自虐気味なアイシャの発言に、ユキノは困惑している。

 特権階級である貴族はほとんどが都市の中央であるA層に住んでいるのだ。D層で生活する俺たちのような平民は、滅多に目にしない。会話することなど、一生のうちでない方が普通だった。


 ユキノはしばらく慌てふためいた様子だったが、アイシャと目を合わせると動きを止めた。

 優しく目尻を下げるアイシャを見て、考えを固めたのだろう。


「わかった……うん。アイシャがそう言ってくれるなら、わたしはこれまでと同じようにする。だってここから態度を変えるのも、逆に恥ずかしいじゃない」


 さっぱりした表情で言われ、アイシャは今度は自分から手を差し出した。


「ありがとうございます! ではもう一度、握手です。さっきの一緒に出かけるという約束に変わりはないと」


 ユキノが気恥ずかしそうに手を出すと、アイシャは少し強引なくらいの速さで掴み、その手をぶんぶんと振った。


 ナーダに目を向けると、彼女はわずかに強張った様子でアイシャたちを見ていた。

 他の二人は気が付いていないようだが、俺はニックの父親について質問した時に、彼女の瞳が不自然に揺れたことを見逃していなかった。


 俺はあのとき確認したのだ。ゲームでも明言はされずストーリーの後半で仄めかされた程度だったが、ナーダが初めから──叔父がアイシャを狙っている理由などを全て知っていたのかを。


 この反応を見る限り、やはり彼女はアイシャにも伝えていない情報を持っているらしい。ニックの父親についての仔細から、叔父たちの目的。そして、アイシャの出生の秘密。


 おそらくナーダは、アイシャの両親から託されたのだ。万が一自分たちがいなくなった後は、娘を守ってくれと。

 そして彼女は全ての状況を理解した上でアイシャを守り、共に暮らしている。


 主人公がいない中、アイシャが命の危機に瀕すイベントが起きるのなら、俺が代わりに助ければ良いだろう。

 きっとその時は、隣に彼女の友人であるユキノもいるはずだ。


 俺たちは主人公に比べ成長速度などが劣っているため完璧に道筋を再現し、失敗のない未来を手繰り寄せることはできない。

 だが、自分なりに最善を尽くすことはできる。

 その時が来たら、たとえ不審に思われたとしてもナーダに協力を要請するのだ。実力は折り紙つき。必ず、大きな助けになってくれるはずだ。


 予想外の展開はニックの推薦入学が取り消されてしまったことだけで、それ以上は発展していかなければ良いのだが。

 道の先に不穏な空気が立ち込めている。どうしてもちらついて消えてくれないそんな想像を、俺は掻き消すように芳醇なコーヒーを飲んだ。

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