第13話 不在の出会い

 二週間後。


 訓練はつつがなく進み、すでに合格ラインまで実力を上げられたと感じている。ユキノがレベル5になってからは、俺たちはモンスターを倒すことよりも基礎的な身のこなし方を研鑽していった。


 目に焼き付いているゲームでの主人公の動きは、滑らかで洗練されている。

 真似事を超え、俺は忠実に再現し自分のものにしようと考えたのだ。


 ビビアンカとの出会いもあり、やる気に燃えるユキノも練習に付き合い、この期間でかなり剣の振り方をものにしてきていた。


 ちなみに、あれからニックの姿は見ていない。

 一般入試に切り替え手続きを済ませたというような話は小耳に挟んだが、それ以上の情報はなかった。

 未来を変えてしまったことに対し思うところがないと言えば嘘になる。だが、あくまで彼の身から出た錆だという認識は変わらなかった。


 そして今日、ユキノの部屋で夕飯を終えた俺は、すぐに自室へ戻ることにした。


「あれ、今日はもう帰るの?」


 ユキノから声をかけられる。

 最近は食後に紅茶を飲みながら一日の復習をする時があったから、即座に帰ることが気になったのだろう。


「あーちょっとだな、今晩はゆっくりしようと思ってな」

「そう……。うん、それじゃあまた明日」


 ユキノは不思議そうに目を瞬かせている。


「ああ、おやすみ」


 引き止められる前に、俺は自然な態度で挨拶をし扉を開けた。違和感を覚えられたかもしれないが、長く一緒にいるのだからこれくらいは仕方がないだろう。


 部屋に戻り、所持していた黒い外套を手に取る。

 音を立てないよう注意を払いながらもう一度外に出た俺は、冷えた風に外套を羽織りながら廊下を進んだ。


 途中にあるカレンダーには、試験まであと三週間のところまで印がつけられている。ユキノに伝えずに出てきたが、俺は今晩どうしても行っておきたい場所があった。


 この日、ある出来事が起こるのだ。


 それは【ラスティ・マジック】を始める前に流れるムービーの一幕。

 雲に覆われた夜空の下、仮面をつけた複数の男たちに追われる少女がいた。とある路地でプレイヤーである主人公は彼女と偶然ぶつかり、抜け道を案内して手助けするのだ。


 これが本編へと繋がり、学院で再会するメインヒロインとの出会いだった。


 以前までなら行く気は少しもなかったのだが、ニックの件があり心変わりしたのだ。ストーリーへ足を踏み込んでいくのなら、いっそのこと実際にこの目で見てみたい。

 もちろん流石に、遠くの陰から見るだけのつもりだ。


 D層の特徴でもある建物が密集し、階段の多い細い道を登っていくと開けた場所に出た。目の前には白石の壁に空いた空間がある。


「……行くか」


 中へ足を進めると、幅の広い階段が続いていた。

 夜ということもあり人は少ない。踊り場がある度に、奥と手前に行ったり来たり向きを変えながら続く階段を上がっていく。


 ビルの三階分ほどの段数を上ると、再び地上に出た。

 俺たちが住んでいる街に比べ広々としており、統一感のある建物が整理された区画ごとに建っている。ここが探索学院もあるC層だ。

 生活に使うエネルギーは魔石由来のものを使っているからか、D層とは違い空へ伸びる煙が見当たらない。


 俺は真っ直ぐに目的地へと向かった。

 ムービーで登場した路地は割り出されており、プレイヤーの中ではかなり有名だった。俺もゲーム時代に訪れたことがあったため、道に迷いはしなかった。


 外周部付近にある団地で、主人公たちは出会うことになる。


 孤児院に住む彼──キャラクターメイクによっては女性の場合もあるが──は、突然届いた招待状により学院への推薦入学が決まっている。

 なぜ自分のもとへ招待状が届いたのか。わからない理由を考えながら、日課である夜のランニングをしていた時のことだった。


「この辺りでいいか」


 人の気配がない静かな団地の一角で、俺はそう言って壁に背中を預ける。


 それぞれ主人公とヒロインが来る道を避け、ワンブロック先で出会う場所を選んだ。こちらからは見えるが、干渉することにはならないはずだ。

 念のため外套のフードを目深に被っておく。


 正確な時間はわからないが、設定集で見た事の経緯によるとそろそろだろう。


 しばらく夜風に吹かれていると、遠くから足音が聞こえてきた。

 リズムの早いその音は段々とはっきりと、そして大きくなってくる。


 壁から顔を出し覗く。すると、ちょうど少女が外周部に駆け出てきたところだった。


 後ろは一つにまとめられた満月よりも美しい金髪が、足を踏み出すたびに激しく揺れている。遠くからでも澄んだ碧眼が細められ、息が上がり苦しそうな表情をしていることがわかった。


 ヒロインであり困難に満ちた人生を往くアイシャ・グレイスだ。


 彼女はまたすぐに角を曲がり、団地の中へと消えていく。

 遅れて、先程アイシャが出てきた場所から仮面の追っ手が一人現れた。姿を見逃したかに思えたが、曇天に響く足音を頼りに男も同じ角から団地へ入っていく。


 たしかあと五人いた追っ手は、途中で遅れをとったため距離が離れている状態にあったはずだ。

 寸前まで迫っているのは一人だけということか。


 俺は次に、自分がいる道の先に視線を移す。

 団地を抜けてきたアイシャは右に曲がり、俺に背を向ける形で十字路に向かっていた。あそこで、角から出てきた主人公とタイミングよくぶつかるのだ。


 ゲームの始まりの場面を現実として見る。

 当然だが経験などしたことがない体験に、全てが動き出す瞬間を前にしているような感動を覚える。


 アイシャは追っ手が道に現れるよりも先に、たどり着いた十字路を曲がろうとした。俺は期待を胸に目を凝らしたが、


「──なんだ?」


 次の瞬間、アイシャが何事もなく左へ曲がっていった光景を見て愕然とした。


 十字路の先から誰も現れなかったのだ。

 団地を抜けてきた追っ手の背中を見つめながら、頭を回転させる。


 俺が場所を間違えたのだろうか。いや、そんなはずはない。たしかにここだ。

 だとしたら、何らかの理由で主人公の到着が遅れたのか?


「くそっ」


 どうであれ、今は立ちすくんでいる場合ではない。口を出た言葉とともに、俺は彼女たちが進んだ道ではなく外周部から先回りすることにした。

 レベルの上昇などで成長した身体能力をフルに使い、全速力で駆け抜ける。


 かなり迂回して道の先に出ると、アイシャは仮面の男に追いつかれ捕らえられかけていた。


 周囲には他に人がおらず、主人公らしき人物の姿はない。

 なぜ誰も現れないのか。俺にとって最悪かつ、もっとも避けたい恐ろしい可能性が脳裏に浮かんでくるが、建物の陰に隠れて救世主の登場を望む。


 追いつかれた少女は、腰に差していた黄金色の長剣を抜いた。

 向かい合う男も短剣を抜き、戦う姿勢を見せている。


 この仮面の男たちはある陰謀によって動かされた駒に過ぎず、アイシャの捕縛を命じられている。

 そのため殺される心配はないだろうが、足止めをくらった時点でアイシャにとっては絶望的な展開だ。


 足を止めれば、他の追っ手たちも続々と集まってくることだろう。

 主人公が現れなかったため、逃げ切れる見込みはなくなった。


 始まった剣戟の様子を目にしてから、俺は建物の陰に体を戻した。

 待てども姿を現さない主人公の不在に、理由はなんであれ、この場にはもう来ないのだと悟る。


 目を閉じ、空に顔を向ける。

 どうすれば良いのか考えをまとめようとしたが、答えは一つしかなかった。


 ここでアイシャが捕まれば、それこそストーリーに変化が生じるどころの話ではない。それに何より、目の前で連れ攫われそうになっている少女を見捨てるなどという選択肢はないだろう。


 最後に状況を確認すると、アイシャたちの立ち位置が反転していた。

 男がこちらに背を向けている。


 単にムービーの場面を見にきただけなので、俺は武器を持っていない。

 何かできるのなら今が好機だと踏み、俺は角から飛び出た。どちらにも顔を見られない方が良いだろうとフードを目深に被ったまま、力強く地面を蹴る。


 足音は最小に留めたつもりだったが、気配を感じ取られたのかもしれない。

 背後から一気に距離を詰めると、男が振り向こうとした。


 しかし──なんとかそれに間に合った俺は、とうに高く跳躍していた。


 その横顔に向かって全力で飛び蹴りを決める。

 上手く振り抜かれた足に、蹴られた男が遠くへ吹っ飛んでいく。奥では瞠目するアイシャの顔が見えた。


「逃げるぞ。ついて来られるか?」


 俺がそう呼びかけたとき、夜空を覆う雲の隙間から月光が差し込んできた。

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