第2話 モブの決意
「信じられないな、こんなこと」
動転した気が落ち着くまでは、しばらく時間が必要だった。
まだ冷静には程遠い。だが一応は、自分の身に何が起こったのか現状を推察できるくらいにはなっている。
あれから鏡を見て固まっているところを少女に見られてしまった俺は、なんとかそれを誤魔化すと、食事をすることになった。
スプーンを落としていたことからもわかるように、食事の最中だったらしい。
献立は互いに具のないスープと、硬い丸パンが一つ。
たったそれだけで、あまりにも寂しかった。
向かいに座る少女がパンをスープに浸して食べていたので、俺もその真似をした。そして、食事を終える頃になって突然、ぼんやりと脳裏にあるものが浮かんできたのだった。
机に頭をぶつける前まで──ジントが持っていた記憶の断片だ。
助かった、と心の底から思った。
自分が置かれた状況を整理できるからだけではない。このまま食後にどう動けば良いのか、理解することができたからだ。
記憶に従って普段からジントがしているように二人分の食器を洗う。
その後、玄関から外に出て、俺は狭い廊下を挟んですぐ目の前にある自室に帰ることにした。
間取りに差はなく、およそ六畳の部屋にはベッドとクローゼット。
食卓の代わりに剣や革製の防具などが隅に二つずつ置かれている。
俺はベッドに腰を下ろすと、はあっと深く息を吐いた。
──そして今に至る。
「信じられないが……確かに現実だ。でも、なんで俺がジントに?」
頬を抓った時の痛みや、食事をして感じた全てがここは現実だと証明している。決して多くはないが頭に浮かんだジント自身の記憶を探りつつ、俺はこの人物について改めて思い出すことにした。
ゲームでは単にジントという名前が表示されていたと思うが、フルネームはジント・ウォルドというそうだ。
プレイヤーが操作する主人公などと同世代に見える外見だったが、学院にいたキャラクターではない。
酒場の端で一人孤独に酔いつぶれ、話しかけると『なんで俺だけ生き残ってしまったんだ……』と寂しそうに応えるだけのぼっちなモブだった。
ストーリーに関わることも、クエストが発生することもなかった。
ゲームの知識で知っていることといえば、それくらいだ。
あとは頭にあるジントとしての記憶だが……と考えていると、俺は何かが音を立てて綺麗に線として繋がったような感覚を覚えた。
「──いや、そうか」
ハッとして勢いよく立ち上がる。
「俺、ジントとして生まれ変わってたのか……。今まで気づかなかっただけで」
理由も、原因も、全く不明だが間違いない。
唐突に自分がジントになってしまったような気でいたが、そうではなかった。
俺は元々この体に生まれ変わり、ここまで十五年間生きてきていたのだ。
それが机に頭を強打した弾みか何かで、前世の記憶を思い出し、人格に変化を来した。記憶と同じように、おそらく人格も日本で暮らしていた前世での俺の方が強くなってしまったのだろう。
今さら元に戻る術はわからない。
それに何より、ジントとしての朧げな記憶に残っている世界の姿に。
自分が【ラスティ・マジック】の中の人物に生まれ変わっていたという事実に、気分が高揚し新たな人生を受け入れるに至る。
「……だったら、やっぱりここは」
部屋には外を見渡せるような窓はない。
いち早くこの目で街の様子を確認したかった。
俺は高鳴る胸に急かされながら部屋を出て、左右に扉が並ぶ薄暗くて細い横穴のような廊下を足早に進む。
途中の壁にカレンダーが貼られていた。
通り抜けざまに一瞥すると、月のうち終わった日にちにはマークが付けられており、今日がなんとプレイヤーたちが学院に入学するメインストーリー開始の約三ヶ月前だとわかった。
衝撃を受けながらも足は止まらない。
廊下の端まで行き、階段の踊り場になった屋外へと出る。
すると、いつもゲーム画面の中で見ていた景色が視界いっぱいに広がった。
「──【セントラル】」
金属と石が混ざり合った、人類最後の城塞都市の名だ。
直径は三十キロメートルほどで、総面積は東京二十三区に相当する。
広大な都市は中央に行くにつれて段々と階層上に高くなっていく形をしているため、外周方面に顔を向けると見晴らしがよく、遠く彼方まで望むことができた。
頬を撫でる風に、微かな金属の匂い。
夜の街並みを照らす暖かな光と所々から立ち昇る煙の具合から、ここが中央から五あるうち四番目の階層──D層の東部だとすぐにわかった。
想像していたよりも風が冷たく肌寒い。
本当にここは、あの【ラスティ・マジック】の世界なのか……。
長らく憧れていた架空の世界が現実のものとなり、眼前に広がっている。
俺が喜びと戸惑いの間に揺れていると、いきなり背後から声がかかった。
「ジント、どうしたの?」
一緒に食事を取っていた少女の声だ。
「少し街を見たくなってな」
「……街を? なんだ、もうびっくりさせないでよ」
あくまで自然体に振り向き返事をすると、彼女はそのまま俺の横に来た。
そして自分も街に目を向ける。
「やっぱり顔色がおかしかったから気になって部屋に行こうとしたら、外に向かってたから。心配になってついて来ちゃったじゃない」
「あー……それはなんだ、すまん。心配をかけたな」
「ちょっと、ジントが謝らないでよ。わたしが勝手に心配しただけだから。それに……もう大丈夫そうだし、良かったから」
手をぶんぶんと振って否定する彼女は、最後には目を逸らして頬を赤らめた。
ジントとしての記憶が薄くなってはしまったが、何とか今はもうこの少女が誰であるかはっきりと思い出している。
彼女の名前はユキノ・フレイザー。
この世界での俺──ジントの幼馴染みで、支え合って生きているただ一人の家族だ。
そう、ジントとユキノには親がいない。
頭に残された断片的な記憶によると、育った孤児院の経営状況が悪化したため、俺たちは自ら孤児院を出て半年前からパーティを組み、モンスターを倒して生計を立てているらしい。
しかし先ほどの夕飯のメニューからも察せられる通り、稼ぎはかなり少ない。
互いに一人用の狭い公営住宅に住み、ほとんどその日暮らしのようだ。
「いつも助かってるぞ、ユキノ」
「え? な、なによいきなり」
白い月明かりを浴びて、淡く輝く彼女がこちらを見る。
今までの記憶が曖昧になってもユキノと普通に話せていることに、俺はどうなっても自分がジント・ウォルドであることを実感していた。
そうなると──
「この機会に日頃の感謝を伝えたくなってな」
「いや、なんでそうなるの。やっぱりどこか体調が悪いんじゃないわよね?」
「何の問題もないよ。ほら、もう顔色も普通だろ」
「うーん……確かに、いつも通りのジントだ」
顔を近づけ凝視してきたユキノは、元に戻ると廊下に足を向けた。
「……まあでも、こっちこそありがとう。普段からジントに助けられてるのは、わたしも一緒だから。寒いし、もう帰ろう?」
ユキノは最後に「えへへ」と照れくさそうに笑うと、部屋に帰っていく。
その背中に続きながら、やはり一人だったらジントとしての俺はここまで生きてこられなかっただろうな、と思った。
現在はゲーム本編開始の約三ヶ月前。
この世界が本当にゲームの内容と同じだとしたら、俺が持っている膨大な知識を活かせるかもしれない。
もちろんゲームと現実は勝手が違うだろう。
ジント・ウォルドは主人公ではない。
とはいえモブキャラなりに今までより多く稼ぎ、満足できるだけの食事をユキノと食べられるようになるくらいなら、おそらく問題はないはずだ。
その先で、夢にまで見たこの世界を自分の足で冒険できたらと期待が膨らんでいく。
しかし──まだ気になることがあった。
ゲーム内には、ユキノの姿がなかったのだ。
あれだけ世界中をくまなく回った俺が、一度も出会うことなく偶然知らなかったとは考えにくい。
それに酒場で酔っ払い、寂しそうな雰囲気を漂わせていたジント。
『なんで俺だけ生き残ってしまったんだ……』
このセリフからも推測できるように、今から本編開始までの三ヶ月の間に、ジントはユキノを失ったという設定だったのかもしれない。
もしこれからそんな人生が待っているのだとしたら、何としても抗わなければならない。記憶が薄れても、彼女を大切に思う気持ちはこの体に残っている。
だから、俺は決意した。
知識を使って稼ぎを増やすと同時に──俺たちは、強くなろうと。
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