第百五十九話 たくさんの龍が守る花

「バラの花とシャンパン?」


藤島環ふじしまたまきは信じられないような気持で、老舗ホテルの和食店のテーブルで少し怒っているように横を向く今野こんのを見る。


「スイートのお部屋に、バラとシャンパンを用意してもらったんですか?」

「だって。プロポーズの時にはバラとシャンパンと指輪がセットだって、井上いのうえさんがそう言いはるんだ」

「井上さん?このホテルのスタッフの井上さんですか」


環はもう開いた口がふさがらない。

今野はいったんテーブルに置いた“白玉環はくぎょくかん”をあらめて手に取り、環の前で照り輝く白い玉のペンダントヘッドをブラブラとゆらして見せた。

その顔は、まだ少し怒っているみたいだ。


「あのさ、君みたいな女の子と本気で付き合おうと思ったら、男にもそれなりの覚悟が必要なわけ。ただ遊んで終わりにはできないの―――君は、たくさんの龍に守られている花だから」

「龍…」

「君は血がつながっていなくても名古屋随一の名門・松ヶ峰家まつがみねけの一員だ。それから音也おとやさんにとっても妹同然で、あのおっかねえバレリーナ、北方きたかた先生だって君を娘みたいにかわいがっている。

そんな鉄壁の守りのなかから惚れた女の子を引っさらって行こうと思ったら、プロポーズ以外に何ができるの?」

「プロポーズって…結婚するんですか、今野さん」

「するよ、君とね」

「でも、政治家の嫁って」


環はもう何を言っていいのかよくわからない。

目の前の今野はガリガリと頭をひっかいて横を向いている。

今野の耳が、赤くなっていた。


「あのさ、俺いずれ選挙に出ようと思っているんだ」

「選挙…参院選ですか、それとも衆院」

「どっちでもないよ、県議選。俺だって自分が国政こくせいに出られるうつわじゃないことぐらい、分かっているんだ。市議か、できれば愛知県議員をねらいたい。でも俺ひとりじゃ無理だ。君が一緒にいてくれなきゃ」


今野は言葉を切り、環の方をまっすぐに向いてきた。

少しだけあごの張った顔のなかに、きれいな目鼻めはながきれいに配置されている。今野の容姿はさとしや音也のようなわかりやすい美貌と違うが、人に安心感を与える顔だ。

清潔感があって、好感度が高い。


このまっすぐな目線は写真映しゃしんばえする、と環は思った。

選挙ポスター向きの顔で、有権者に訴えかける顔だ。

今野の”まっすぐさ”をじくにすれば県議選レベルはまちがいなく勝てる、と環は一瞬のうちに怜悧な計算を終えた。


「勝てるわ。今野さんなら、絶対に勝てる」

「簡単に言うなよ」


今野はそう言って笑い、環の鼻をテーブルごしにきゅっとつまみ上げた。


「選挙はみずものだ。やってみなきゃわからない。だから負けたときには君が助けてくれよ。

君は俺の隣で支援者にむかって『主人の力不足でした、申しわけございません』っていって泣いて謝るんだ。効果があるぜ、きっと」

「泣きませんよ、勝つんですもの―――ううん、勝っても泣いたほうがいいんでしょうね?」


ふふっと環は笑った。今野も照れたように笑い、


「ああ。勝ったときは『すべて皆さまのおかげです。どうぞ今後とも、今野をご支援ください』って言って泣くんだ。これもいいよな」


ふたりで笑いながら、どこから出てきたのかわからない涙が環のふっくらした頬をすべっていく。

今野の骨太の指が環の涙をぬぐいとる。


「なんだよ、もう泣いている。涙は俺の選挙まで取っておいてよ。二・三年後になるだろうけどさ」

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