第百五十八話 準備
「それ、見せてもらってもいい?」
ええ、と答えて環は自分の首から白玉環をつけている革ひもをはずし、今野の手に乗せた。
今野は高級ホテルの和食テーブルの上で、今まで
「…きれいなもんだな。俺はずっと映画の画面ごしでしか見たことがなかった」
「
環がそう言うと今野もうなずいた。そしてゆっくりと手の中で白い玉をころがして、裏を見る。
「裏は花じゃないんだね」
「ええ。龍が彫刻してあります」
「この龍が、花を守っているわけか」
今野は小さな
「なんで
「さあ…
環はほんのりと微笑んで答えた。今野がじろりと環を眺める。
「ちぇっ。こういう時さ、君はほんとに口が固いんだよな」
「ごめんなさい」
「いいよ。口が固いのは、政治家の嫁としてはいいことだ」
「―――よめ?」
環が首をかしげる。聡の結婚相手のことだろうか。
いや、聡はもう二度と女性と結婚しようとは思わないだろうと環は思った。
環の兄がわりの
聡の親友であり唯一の政治秘書である
それ以来、聡は目に見えて落ち着き、以前とはうってかわって生き生きとしはじめた。
イライラしたり不安がったりすることがなくなり、もはや一切のプライドを振り捨てて目の前の衆院選に集中しはじめた。
聡の集中度が、環にびりびりと伝わってくるほどの”本気”だ。
もともとカリスマ性の高い男だから、いったん聡が能動的に動き始めると周囲はたやすく聡の作り出す大波に飲み込まれた。
今では松ヶ峰聡の政治後援会“
聡の変貌ぶりを見て、環は、聡が身体も愛情も自分自身の未来でさえもたったひとりのひとに預けきったことを知った。
それがどれほど幸せなことなのかも、今の環には分かる。
だから環は二人のことをそっと見ているだけにしたいのだ。
今野さん、と言ってから環は静かに
「サト兄さんのことは、選挙が終わるまではそっとしておきましょう。ご自分の考えがあるようですから」
「さとしさん?なんで聡さんが出てくるの?―――俺の嫁の話だよ。つまり、きみのこと」
ああもう、といって今野は
「バカだな、俺は。どうしてこんなところでこんな
「じゅんび?」
環は老舗ホテルの和食レストランの中で、目をぱちくりさせた。
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