3「白玉環」

第百五十七話 好きなものは丸ごと食う

今野こんのさんの食べ方って、とてもきれいですね」


夕刻七時。

コルヌイエホテル内の日本料理店“翠泉すいせん”のボックス席で、今野とさしむかいの夕食を取りながら、藤島環ふじしまたまきは思わずつぶやいた。

環の目の前に座って、メイン料理のあゆを食べていた今野がひょいっと顔を上げた。


「食い方?」

「いま鮎を食べているでしょう。鮎の骨ってきれいに身から抜くのに、ちょっとコツがありますよね。今野さんはとても上手にぬいたから」


ああ、と少し笑って今野は手もとの鮎の皿を見た。

高級ホテルの和食店では、夏らしく鮎の塩焼きがメインとして出された。トウモロコシの天ぷらが添えてあるのが、いかにも季節を押さえている感じだ。

そのひんの良い皿に対して今野の着ているスーツはいささか安っぽい感じがするが、それも今野の年齢を考えたら仕方がないのだろうと環はほほえましく思った。


今野はたしか環と同じ二十四歳のはずだ。以前、松ヶ峰聡まつがみねさとしが事務所スタッフとして今野を採用した時、たしかそういって環に紹介した。

だとしたら、今野のスーツがいかにも量販店のものらしく画一的であることはおかしくないし、今野の意外と肉の厚い胸まわりにスーツのシルエットがあっていないのも当たり前だ。


体に合わないスーツを着ながら、今野の骨太ほねぶとの指はたくみに川魚のやわらかい骨を抜いている。優雅な日本舞踊の踊り手のようだ。

今野はきれいにはしを使いつつ


「俺のうち、めし屋だからさ。ガキの頃からめしの食い方だけは叩き込まれたね。いや、箸の使い方がおかしいとテーブルの反対側からオヤジの箸が飛んで来たから、ほんとに“身体からだに叩き込まれた”んだよ」


くくく、と笑いながら今野は言った。そしてきれいに骨をぬいたみごとな天然鮎を環の皿にポンと乗せてくれた。


「まあ、ここは個室じゃないから鮎の骨を抜くけど、俺ひとりなら鮎は頭から丸ごと食うね。好きなんだよ」


そう言ってから、今野はにやりと笑ってテーブルの向こうにいる環を見た。


「なんでもそうなんだ。俺、」」


環は一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに今野の言葉の意味をさとった。自分の顔が真っ赤になるのがわかる。


「今野さん、あの、こういうところでは、その」

「なんで? 鮎の話だぜ」

「…はい。鮎のはなしです」


くくく、という今野の罪のない笑い声を聞きながら、環はほてった顔をかくそうと一層深くうつむく。そしてふと自分の胸にさがっている“白玉環はくぎょくかん”のペンダントを見つめた。

ぽってりとしたりのあるぎょくはわずかに青みを帯びて、環の胸のあいだにある。

繊細な花の模様がきざみ込まれたぎょくが、自分の呼吸とともに上下に動いているのが環にはつくづく不思議な気がした。


白玉環はくぎょくかん”。

香港在住の日本人映画監督・城見龍里しろみりゅうりの映画に欠かせない小道具だ。

藤島環の隠された父親が、会うことがかなわない娘のために買った護符ごふ


城見龍里の映画のなかで環の成長とともに年を重ねた少女たちを飾っていた玉のペンダントは環の手にわたり、静かに体温を吸っている。

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